永遠の意味
黒い"感情の箱"その先は。
「この旅行記。
この中で、彼女が自身の気持ちを吐露しているじゃないか。
被害者や思い出の穢れを憎み嫌っていたり、時間による摩耗を恐れたり」
それがどうしたのだろうか。
マサキは到底理解に及ばない。
「犯行当日の夜、彼女はともすると……彼の後ろ姿に"何か"を見たのだ。
例えば、『穢れ』や『老い』。
僕はそれを『黒々とした中に光る、一筋の白』って日記の文。
白髪とかを見たのでは」
「ば、馬鹿な。たったそれだけの理由で……。
初恋の人に白髪が生えたってだけの理由で、彼女は凶行に及んだっていうのですか。
あり得ないですよ、そんなこと」
マサキは立ち上がり声を荒げた。
立つ勢いで椅子は転げて鈍い音を立てる。机の花が揺れる。
「果たして、本当にあり得ないと思うかい?
この世にはアイドルが結婚しただけで可愛さ余って憎さ百倍、殺そうとする人間もいる。
それを考えると、殺すこと自体はごく自然な成り行きだったんじゃないかな。
黒久の考える津王という男の像に立ち返ろう。
思い出と感情による経年美化が進み過ぎ、完全で完璧にして、不朽の存在と化してしまった。
しかし、その崇拝する偶像に一片の疵を垣間見た。
その瞬間、彼女は"不意に"殺意が心を通った。
自分の求めた『完全』がそこに無かったから、と」
一瞬の沈黙が、部屋を支配する。ゆらゆらと揺れた花もピタリと止まる。
「では殺すこと自体が永遠であり、完全である、と」
「そこは真っ当な人間の感覚では理解しかねる。
けど、少し人の道理から外れた解釈をするなら、その通りかと。
殺すことで時間を止めたとも、脳裏に焼き付く事件として記録を遺すことで永遠にしたとも捉えることができる」
そこで、鳶谷はニヤリとする。
「ま、僕が同じ立場で理由付けをするなら死体を防腐処理して飾るね。
永遠に自分のものであり、止まりきった時間の中で完全性を保つからね」
「笑えない冗談はやめてください……」
「ま!実際問題、彼女も偶像を像にしちゃったんだからね」
この発想をできる時点で、この人もどこかおかしいのではないだろうか。
…………。
自宅に帰った時、自分の最愛の人がまるで緻密に作られた置物のように飾ってある光景。
張り詰め硬くなった肉の感覚と、腐臭を想起し、視界が眼差しが揺れる。
想い人に完全性を求めた挙句ただ殺し、感極まってバラす。
凡そ其れは人の行える所業ではない。
ひとりの女の情念が創りあげた、まさに魔道に堕ちた鬼の成す業である。
待てよ、バラす?
「待ってください!
完璧であることを求めたなら、なぜ遺体を綺麗な状態ではなく、ばら撒いたのですか。
自ら壊して、その上捕まりやすくするような真似を、黒久は行ったのですか」
その質問を受けて鳶谷の口角は、静かに厭らしく上がる。
「あぁ、それについて類推出来るところは」
出来るところは。
緊張が高まる。
「彼女の創った物語には描かれてないから、不明だ」
オイオイオイ……。この人は。
「冗談はさておき、実はその点に関しては確信に近いものを得ている」
なんだ、検討はついているのか。
「発見された部位を順番に追おう。
荒木神社は右足。
桂離宮は右腕。
清水寺は左足。
金閣寺は左腕。
そして宿のある太秦土本町では胴体と頭。
地図上でこの5箇所を結ぶと――」
そう淡々と述べながら、5本の線を淡々と描く。
「こ、これは!?」
マサキがハッと息をのむ。
「判ったかい?五芒星、星形ができるんだ。
荒木神社は『木』の文字があり、あの一体は大木の多い山岳地帯。
桂離宮は『火』で腕が火葬されていた。周囲は過去炎上した寺も多い土地柄だ。
金閣寺は『金』で構成。
清水寺はその名の通り、もとより『水』をたたえた寺。
太秦土本は『土』の文字を含み、また古墳も作られ、土に縁が深い」
属性を表している、ということだろうか。
「ほぅら、見事に木金土水火が揃っている。
そもそもこの星型は『五行思想』と言う。
木金土水火の5大元素で世界が成り立つとする、思想だね。
水は木を育てる、木は火の勢いを増やす。
火は灰を生じ土を育てる。
土は、養分を固め金を生じる。
このお互い隣同士を活かすことを『相生』。
逆に水は火を消す。
木は土の栄養を吸う。
火は金を溶かす。
土は水の流れを止める。
金は木を切り落とす。
互いに殺しあう性質を『相克』という。
まさに京都の町を、一枚の五行思想の図にしたということさ」
占いなどで聞いたことがある気がする。
けれど、そんな属性の何が意味があるのだろうか。
「頭が西、つまり死者の国を向いている。
それも含めて考察すると実に綺麗な仕上がりだ、うん。
まぁまぁ僕は只の精神科医だからね。
オカルティズムの専門じゃないから詳しいことは分らないか。
けれど、五行の思想は森羅万象に宿る"大きな力"の流れらしい。
これに準えることで、超自然的な循環する力そのものを意味したんじゃないかな。
"循環"は途切れなければ"永遠"だ」
ここまで聞いて、終ぞマサキは半分も理解できなかった。
五行がどうとかのみではない。
意味合いを持たせて、複雑かつ面倒な手順を踏む意味。
愛する人を殺してしまう精神構造。
彼女のこころ、そのものへの理解に遠く及ばなかった。
それを目の前で捉え分析してしまう、目の前の男ですら、今や恐怖を感じる。
恐怖の感情。
事件の猟奇性。
そしてその裏に潜むかもしれない動機。
それらがまるで普通のことかのように、この場においては罷り通っている。
それを受け入れられない自分がおかしいのか。
マサキは常識と眼前の現実、認識すら疑った。
まるでこの病棟の空気が脳髄を侵食するかのように……。