乙女心と秋の空
あぁは言って部屋を出たものの、直ぐに浴場に行く気にはなれなかった。
特に大きい理由があるわけではない。
少しだけ一人になりたかったのかもしれない。
一人になるメリットは2つ。
1つ。旅に出た感慨深さを感じられること。
2つ。旅を通じて当時の記憶と、今尚仄かに香る想いを想起する時間が出来ること。
……時間か。それは不可逆に進む不条理そのもの。
その中で私は。私が怖いとしたら、忘れ去られていくこと。消えていくこと。
此の時間の流れの中、脆く風化し形も記憶も崩れ去る。
それは訪れる必然であり、私を堪らなく恐怖させる。
その点を鑑みると、やはり真央くんは手に届かない。
流れる時間の中でも、変わらずに精巧で完璧な存在であることを感じていた。
初恋の躍動感、。
人を好きである気持ち・時間。
そしてどこか一人占めしたい悪戯で業の深い欲求。
いわば私に乙女を芽生えさせた『瞬間』は10年前のこの京都だった。
だから、私はこの旅に連れてきた。
強引ではあったものの、それでも彼は旅行に来た。
嗚呼。ただそれだけでも嬉しい。
心にまるで栄養を蓄えた花の蕾が膨らんでいくような、そんな躍動に似た心に気持ちが膨らむ。
その蕾も耳に入ってくるニュースにより膨らんだそばから萎れていった。
「京都市内の観光地敷地内で切断された遺体が見つかった事件についてですが――」
私達のための時間と場所を、穢す輩。
その事実が私にとって忌避すべき事象。
また、或いは神聖な思い出を穢す憎悪の対象。
……ふふっ、汚点という言葉がふさわしいかしらね。
汚点。あの人に穢れはない。あってはいけない。
なのに何だろう、この胸のざわめきは。
脳裏にイメージが浮かぶ。黒々とした中に光る、一筋の白。
いつ見たのかしら、思い出せない。何故かとても頭が痛む。
でも。その一筋の白が……黒に落とされたただ一点の白が許せない。
許せなくて、私はどうしたんだっけ。
そこで私はハッとした。
変わらず、テレビは切断遺体のニュースを流している。
桂離宮で見つかった腕が火葬されたように焼け落ちているらしいことを、淡々と述べている。
にしても、腕ねぇ。
腕を引いたあの時、引いた真央くんの腕は、体温は私よりひんやりした気持ちよさがあったのを思い出した。
どこか固く緊張してぎこちない人の手。
あぁ、あと少し。今も昔も。
隣に並ぶほんの15センチに満たない距離を詰めてしまえば幸せだったのに。
年甲斐もなく、まるで女学生のような照れ方をする。
『乙女心と秋の空』とはよく言ったものだけれど。
自分でもテンションが、上下左右縦横無尽にコロコロ変わっていると思う。
さぁ、そろそろお風呂に行こうかな!
冷えた腕の感覚と落ち着かない秋空を清めに行こ。
その夜、私は風呂の硫黄と鉄の匂いを、肌身で感じながらゆっくりと禊のひとときを過ごした。