第5話 みかんの書置き/他校の女子
朝起きて、目の前に見慣れない景色があって、自分の居る場所が何処なのか、一瞬理解できなかった。横を向いた時、視界に高く積み上げられたミカンの箱が見えて、昨日あった出来事を全て思い出す。
「ああ、そうか。みかんの家だ」
――夢じゃなくて、現実なんだよな。
そんなことを思いつつ、ソファの上で体を起こすと、テーブルの上に、この部屋の鍵があった。そして、鍵のすぐそばに、書置きがあるのが見えた。
「うげぇ、書置きだと?」
もう書置きとか置手紙とかに対して、果てしない恐怖を感じる体質になってしまったらしい。何か悪い事が書かれているような気がして、見るのを躊躇った。けれども、怖がってばかりでいても仕方ない。勇気を出して読み上げてみる。
「アキラちゃんへ。先に行きます。朝ごはんは、ミカンです。みかんより」
先に行くって、まだ朝六時だぞ。何時に起きたんだ?
特に悪い事は書かれていなかった。まあ、強いて悪い事と言えば、朝食がミカンであるということくらいか。
田中みかんは、毎朝毎晩ミカンミカンなのか?
わけのわからない言葉を考えてしまった俺。だが言いたいことは伝わったかと思う。
そんなわけで、シャワーを借りたり、ミカンを食べたりした後、学校へ行く準備をする。
制服のワイシャツやらブレザーやらに身を包み、ネクタイを締める。昼飯用にミカンを二個ほどポケットに入れて、学生鞄を手に持った。書置きの側に置いてあった鍵も忘れずに持って、扉を開ける。
外に出た後、施錠して、しっかり確認する。鍵はポケットに沈めた。
カンカン、と靴底で金属音を立てながら階段を下り、ピンク色の鉄扉から外に出た。
「げ」
思わず声が出てしまった。
学校へ、向かう道がわからない。
夜と朝とでは、見える世界が全く違っていて、しかも方向感覚が良いとは言えない俺は、どうやったら学校に近づけるのやら、全く見当がつかない。以前の家からは、出て三分で学校に着いたし、ほぼ一本道だったから、複雑な道を記憶する必要もなかった。ここは何処なんだ。どうすれば俺が通う学校に辿り着くことが出来るんだ。
いやまて、落ち着け。昨晩歩いてここまで来たんだし、同じ街にあることはわかっているんだ。慌てるな。
そうしてアテもなく歩き出す。
近ごろはスマホというものが存在していて、地図アプリなるものを使えば道に迷うことはないという。父親が置いていったお金で機種変更でもしようかな。いつまでたってもガラパゴスでは、女の子にもモテない気がするしな。
しばらく歩いても、周囲の景色は全く見たことないもののままだ。昨日みかんと歩いた道を進んでいるつもりだが、全く自信が持てない。
そこで俺は、前を歩いていた違う学校の女子生徒を追い抜き、話しかけた。髪の短い女子だった。
「あの、すみません」
「な、何ですか?」驚いた表情。
「俺の学校、どこにあるかわかります?」
怪しむ目つきである。無理もないこととは思うが、俺は真剣に迷っている。
「な、ナンパですか?」
違うよ。道を訊ねてるんだよ。
「俺は真剣です」
「へ?」
名も知らぬ高校生女子は、セーターに覆われた手の甲を口元に当て、頬を赤らめていた。
「…………」
視線をあちこちに泳がせたりしている。相変わらず熟したリンゴみたいに顔が赤い。
「…………」
んん? あれ、何か変な雰囲気だこれ。俺は何も変なことしてないと思うんだが。
「でも、私、あなたの名前知らないし……」
名前を教えないと道を教えてくれないって、どういうことだ。だが名前を教えるだけで学校へ至る道を教えてもらえるなら、安いものだ。
「結城アキラ」
「あ……私は、月島弥生です……」
そうですか。でも何で自己紹介タイム?
「…………」
そして、この沈黙である。
早く道を教えてほしい。遅刻してしまう。
「あの、その制服は、みのる学園ですよね……」
「そう。それです。みのる学園には、ここからだと、どうやって行けば良いんでしょうか?」
「へ? え? だって、自分の学校の場所……わからないんですか?」
怪訝そうに俺を見ていた。
「た、たまには、違う道で登校してみようと思って、そしたら道に迷っちまって」
全く必要のない嘘を吐いた。
「そ、そうなんですか。みのる学園なら、えっと……この道を真っ直ぐ進むと、大きな街道に出ますから、そこを右に曲がってしばらく行くと、本屋さんがあって、そこをもう一度右に曲がると、見えてきます」
「そっか、ありがとう」
俺は、その高校生女子に頭を下げると、その子が案内してくれた通りの道順で行くことを決め、走り出した。
「え? あ、ちょっと……」
そんな声が背中の方から聴こえたが、俺には急がなければならない理由があった。このままだと遅刻しそうだったからだ。腕時計をチラチラ見ながら全力に近いダッシュをキメる。
高校生女子の案内の通りに走ったら、時間内に学校に到着することができた。まことに感謝である。
「おはよう、結城」
「ああ、おはよう、石河」
友人の石河開と、朝の挨拶を交わした。
「あ、アキラちゃん、おはよう」
「おう、おはよう。みかん」
えへへと笑う田中みかん。
すぐにチャイムが鳴って、担任の梨々子先生が入ってきた。
俺は着席し、鞄の中から、梨々子先生に提出すべき宿題を取り出そうとした。しかし、どうやら宿題をみかんの家に忘れてしまったらしい。クソ間抜けだった。まあ、期限は明日までらしいから、何とかなるだろう。明日持ってくるのを忘れなければいいんだ。
梨々子先生が、宿題を求めるアイコンタクトをしてきたが、宿題を持ってきてない手前、合わす顔が無い気がして、さっき道を教えてくれた女子みたいに、思い切り目を逸らしてやった。