最終話 結城アキラの手紙/普通じゃない世界
姉との二人暮らしには勿体ないくらいに広い家。自分の部屋まで戻った俺は、とても久しぶりに、自分の机に向かってみた。
そして、何を思ったか、手紙なんてもんを書いてみようと思い立った。
宛先は、特に無い。
はじめは、誰かに宛てて書こうとした。でも、父親、母親、姉、なかなか誰宛てにしてもしっくり来ない。木林みのり、木林いのり、月島弥生、石河開、戒刃嶽人と、あと……あと誰かいたかな。とにかく、全然しっくり来ないんだ。
だから、もう俺の大切な全員に宛てて書くことにした。
『皆に出会えた。俺は皆が好きです。大好きです。だから、ずっと一緒にいたいと思えました。そう思えたことが、何よりも嬉しいです』
すっげぇ恥ずかしい手紙だなと思った。
「手紙って、難しい」
慣れない言葉遣いで、まるで書かされたみたいなことを書いて。面と向かってしゃべったり、メールするのとは勝手が違う。
いつか、ちゃんと書き直したいなと思いつつ、俺はペンを静かに置いた。
あぶりだしの仕掛けにしておけば自分以外に読まれないかな、などと考えながら顔を上げると、窓の外は、いつの間にか夕方になっていた。ミカンのような色した太陽の光が差し込んでくる。甘くて美味しそうだが、とても眩しかった。
今、俺の周囲の世界は、数か月前とは大きく変わった。
背の高い二重人格の女の子、いつも制服ブレザーを着ている催眠術師、刑事にあこがれる細身で年上の女の子、残念な長身男、派手でおかしな血の繋がらない姉。
本当に、俺の周りは変なヤツばかりだ。
――普通になりたいと思っていた。
――普通の関係ってやつを求め続けていた。
どうやらここは、普通じゃない世界みたいだけど、妙に居心地が良かった。
「そういえば、また今日もミカンしか食べてないから、腹減ったな」
呟いたとき、なんだか不意に、どこかにミカンばかり食べている可愛いヤツが居るんじゃないかって、そんな漠然としたイメージが浮上して、なんだかとても心が温まるような、あったかい色も思い浮かんだけれど、具体的な形を思い浮かべることができなかった。
本当にもう、何なんだろうかとモヤモヤだけど、深く考えるのは、後回し。
まずは空腹を埋めよう。どうせ自分じゃ作れないから、またファミレスかな。
姉ちゃんと弥生は、いつものところに居るかな。
立ち上がり、天井に向かって腕を伸ばすストレッチ。
自分の書いた恥ずかしい手紙を大事にすることに決め、後で「宝箱」にでも入れようと思った。ミカンも後で食べることにして、手紙の上に置いた。
日常が、楽しくなりそうな予感があった。楽しくなれよと心の中で言い聞かせてもみた。
手紙と、みかんと、催眠術。
あやふやで、ぼやけた世界を生きていく。自分の足で歩き出す。立ち止まらずに進んで行こう。
きっと、要領の悪い俺のことだ。色んな人に追い抜かれたり、置いていかれたりするんだろうな。
それでも、いつの日か、こんな俺を好きでい続けてくれる誰かが、隣を歩いてくれるなら。
そんな夢みたいな時を待ちながら、夢みたいに普通じゃない日々を送って行きたいと思う。
いつか大好きな女の子に、後ろから、声を掛けられる時まで――。
「行ってきます」
一歩ずつ、しっかりと、無限の可能性に続く部屋の扉へと歩いていく。
ふと、何かの気配を感じて振り返る。
机の上に座ったみかんが、ウインクしながら「いってらっしゃい」と言った気がした。夕陽を浴びて、嬉しそうに、とても楽しそうに、屈託ない笑顔を浮かべているような、そんな気がした。
「そんなわけないか」
再び振り返り、薄暗い廊下に踏み出そうとした時、今度こそ、はっきりとした明るい声が響いた。俺の名前を呼ぶ声だ。
「……みかん?」
俺の記憶の空白に、オレンジ色が広がった。
完