第36話 石河開/修復者たち
石河開は、淡々と語り出す。心に深く刻まれた、罪の話を。
「僕はね、賭けをしたんだ」
「賭け?」
「デイドリームメイカーは、僕の前に二人の木林を差し出した。片方は木林みのり本人であり、もう片方は、亡くなった木林いのりに似せて彼が作った……人形だった。もともと命のない人格を破壊するのも、破壊者の役目だから、僕はその人形を壊そうとした」
「壊した……のか?」
「いいや、壊せなかった。失敗したんだ。君のお姉さんに捕まって、あの長い薙刀で消されそうになった。でも、僕は消されなかった。デイドリームメイカーが、チャンスをくれた。『二人のうち、どちらが本物の人間の人格か、見抜くことができたら、見逃してやる。それどころか、作られた存在のほうを言い当てられたなら、おとなしく自首をしてやってもいい』ってね」
「ところが……本物のほうを破壊してしまったと」
「そういうことになる。もともとの依頼者である彼女は、もうどこにもいない。……僕には自信があったんだ。本物を見抜けるはずだってね。ところが一緒に暮らすうちに、作られた存在である木林いのりのほうを好きになってしまった。今にして思えば、まるで僕自身が催眠に掛けられていたんじゃないかってくらい、おかしいけれど、当時の僕は、『僕が作られた人格に恋をするはずがない』なんて狂った考えを抱いていて、あとは失敗と誤算の連続さ。僕は、そこにたしかに生きていた木林みのりの人格を壊してしまった」
「壊れると、どうなるんだ」
「生きていても、死んだようになる。言葉を発することもなく、何かに感動することもない、それこそ、人形のようになってしまう」
「人形……」
俺はその時、横たわる木林のそばにいた石河と戒刃の目を思い出していた。感情のない瞳、精神が別のところにいってしまった肉体。生きながらにして死んでいるかのような、異様な雰囲気。
「僕がぽっきりと破壊してしまったあとで、デイドリームメイカーに種明かしをされた。『おまえが壊したほうが、依頼主の木林みのりだ』とね。僕は慌てた。お願いした。『どうか、木林みのりを直してください』なんて、破壊者失格のことを口走った。僕の願いは聞き届けられ、破壊された人格を素材にして、本物に限りなく似せた新しい木林みのりが作られた。
けれども、破壊し尽くされた人格を修復なんてできない。そうなった時点で、本来は二度と動かないはずなんだ。だけど、そこがデイドリームメイカーの卓越したところでさ、木林みのりという人間の中に、みのりといのり、入れ替わる二人の作られた人格を混ぜて入れることで、鼓動や呼吸を生み出し、人間のように動けるようにしたんだ。それ以来、僕は木林姉妹の面倒をずっと見てきた。……とまぁ、こんな経緯で、デイドリームメイカーの協力者になってるってわけだ」
「そんな……」
長い話を終え、ふぅと不安を吐き出すように息をついた石河は、続けて言う。
「だからね、結城。僕には木林姉妹を見届ける責任があるんだよ。誰よりもね。たしかに彼女たちは、ある観点から見れば、もう両方とも本物じゃない。有限の命、いつ醒めるとも知れない白昼夢みたいなものだ。けれど二人とも、互いを本物だと思い合っている。そのことだけは、忘れないであげてほしい。なんて、僕が言うのもどうかと思うんだけどね」
人殺し、失敗、破壊。そんな取り返しのつかない悲劇が、俺の父親の手によって引き起こされたというわけだ。なんだよ、本物と偽物を見抜けるかの賭けって。そんなものが賭けの対象になるってのかよ。まったくもって、ふざけてる。現実離れしているし、人間離れしている。許せないと感じられた。
「やっぱり、できれば、秘密にしておきたかったんだけど」
悲しそうに石河は言った。
普通の友達ってやつに憧れていたのは、俺だけじゃなかった。石河開もまた、俺を大切に思ってくれていたようだ。
それにしても、腹が立つ。俺の大切な友人を悲しませ、秘密にしなきゃいけないことを押し付けたのだとしたら、これも許せないことだ。また、父親を殴りに行く理由が増えてしまった。何発殴ればいいか、あとで数えておかないと。
いや、もうすでに数えきれないか。
「なあ石河、そもそも俺の親父の目的って、一体なんだ? 人間をもてあそんで遊ぶことか? それとも新しい人類でも作ろうとしてんのか?」
「さあね。僕が知っているのは、過酷な運命に翻弄された人や物に短い有限の命を与えて、幸せな別れを提供している彼の姿だ。最期の時を思うままに過ごしてもらうことでね」
「じゃあ、どっちにしたって、命をもてあそんでるじゃねえか」
「うん、怒る気持ちもわからなくはない」
「だって、想像してみろよ。それはさ、命をもらったほうも、すぐに来てしまう別れを知りながら生きるってことだろう? そんなの悲し過ぎる」
「だけどね、結城。いずれ来る別れを知って生きるっていうのは、僕たち人間と何か違うのかい?」
「それは……」
そこで空気が沈んだ。俺も石河も黙ってしまって、重苦しい雰囲気になってしまった。
どうしたもんかと思っていると、
「おい石河ァ」
戒刃が、沈んだ空気をぶった切って石河を呼んだ。
落ち込んだ雰囲気を振り払おうと、彼なりに気を遣ってくれたのかもしれない。
石河は溜息ひとつ。
「何だよ、雑魚」
「なっ! ざ……雑魚だと……うぐぐ。ま、まあ良い。ちょうどデイドリームメイカーの息子もこの場に居ることだし、一つ言っておきたいんだがな、オレは今回、そこのソイツに負けたんだ。決して石河に負けたわけじゃないからな!」
どうやら、戒刃は、人格破壊者である前に、石河を愛し過ぎちゃってる人のようだ。近付きすぎず、遠くから眺めているだけならば、面白いヤツなのかもしれない。
石河は溜息を一つ吐いて、
「構って欲しいなら遊んでやるから、他人を巻き込むな」
「本当か? 遊んでくれるのか?」
「少しならね」
「よっしゃあ!」
喜色満面でガッツポーズする戒刃。間違いなく石河のことを嫌ってなどいない。好き過ぎるのが、これでもかというくらいに伝わってくる。
「ゲームで勝負だ! ゲームゲーム」と、鞄からモニターを引っ張り出し、コンセントを探しながら持ち運んできた重たい新機種のゲーム機を取り上げた。
しかし、どこかでぶつけでもしたのだろうか、それとも初期不良というやつか、ゲーム機は完全に沈黙。ウンともスンともいわない。プラグを抜き差ししてみても、全く起動する気配を見せない。
「ん? 戒刃、どうした」と石河。
「おかしいぜ、おいデイドリームメイカーの息子。お前、何かしたんじゃないだろうな?」
「いや、何も」
突然に疑いを向けられたが、こいつがゲーム機を持ってきていることさえも知らなかったくらいだ。どうしろっていうんだ。
石河はやれやれといった様子で、
「僕はゲームなんか興味ないから、別にいいけどね」
「よくねえ! ゲームだったら、石河に勝てるはずなんだ!」
戒刃が負けて床を殴ってる光景が脳裏に浮かんだ。石河とゲームなんかやったことないけれど、なんとなく何をやっても戒刃が勝利することは無いんじゃなかろうか。
それでも何度でも向かっていく不屈の精神を持っていると思うから、どうか末永く挑み続けてほしい。今後一切、俺に八つ当たりとかしないでほしい。
「石河、ドライバーをよこせ」
「どうした、急に」
「分解する」
「分解? 僕はよく知らないけれど、それ新品のゲーム機なんだろ?」
「ああ、店で並んで買ったばかりだが問題ない。どこがおかしいのか突き止め、修復する」
戒刃は丁寧な手つきでゲーム機に貼りつけてあった色々なシールを剥がし、黒い箱を取り外した。そして、露わになった内部の複雑な基盤を観察する。色とりどりの線を外し、ネジを回してパーツを外していく。優雅にすら感じられる、滑らかな手つきだった。
どうやら問題の箇所を見つけたようで、「ふむ」と呟きながら再び組み直すと、満足そうに鼻を鳴らした。
その感心すべき戒刃嶽人の姿に、俺は小さな引っ掛かりを覚えた。
「破壊者とか名乗ってたわりに、修理とかするんだな」
「――デイドリームメイカーの息子ォ! 貴様、喧嘩を売っているな?」
「いや、そうじゃねえよ。破壊なんて、案外お前には似合わないんじゃないかなって、直してる姿を見てて思っただけだ」
「なっ……」
戒刃は、目を見開き、そしてすぐに逸らした。攻撃してくる様子は無かった。
「あとな、戒刃、俺には、結城アキラって名前があるんだ。これからは、ナントカの息子とかいうんじゃなくって、ちゃんと名前で呼んでくれないか?」
「なるほど。結城アキラ。悪くない旋律だ」
「そりゃどうも」
「一つ言っておくがな、結城アキラ。人格破壊は、世界を修復するための手段だ。オレは今でもそれは間違っていないと思っている」
「そりゃ困る。木林たちを狙われ続けるんじゃ、安心できない」
「ふん、貴様が勝利をもぎ取ったからには、もうアレはオレのターゲットから外れた。安心しろ」
「よかった」
「それとだな、結城アキラよ」
「何だよ、あらたまって」
「あー、なんというか……その、ありえない話かもしれんがな、もしも取り返しのつかないほどに壊れてしまった人格でさえも正しく修復することができて、その果てに世界を修復し尽くすことができるとしたら……オレは、その道を選ぶのも悪くはないと思っている」
その言葉をきいて、石河は笑いを漏らした。そして、笑みを浮かべながら勝ち誇ったように言う。
「それって、僕に色々教わりたいってこと?」
「ぐっ、なぜそうなる! だれが石河などに頭を垂れて教えを乞わねばならんのだ!」
「僕はメイカーの弟子だからね。修復法も多く伝授されているよ」
「なるほどなァ! じゃあオレがゲームで勝ったら、貴様の知る技術を全て明け渡してもらおう!」
「おい、僕は普段からゲームなんてやらないんだぞ。なんでそんな分の悪い賭けに乗らなきゃいけないんだよ」
さっきは絶対に戒刃は勝てないなと思ったけれど、殺風景な部屋の天井に向かって拳を突き上げ歓喜する戒刃嶽人の姿が脳裏を駆け抜けていった。案外、そうなる可能性を俺は見たいのかもしれない。
ゲーム画面が起動した。
そんなところで、俺は「さてと」と呟き立ち上がる。
「む、結城アキラ、もう帰ってしまうというのか?」と戒刃。
「ああ。また来るよ。お邪魔みたいだし」
そしたら石河は、帰らないでくれと懇願するような苦笑いを見せた。
「ククク、そうだな。貴様もいずれオレが倒してやるが、今は石河に集中したい。早々に立ち去るがよい」
「いや、だから僕は賭けに乗るつもりはないって」
「どうした石河ぁ。何してる。さっさとコントローラーを握るがいい。ほらァ」
腕を引っ張り、無理矢理コントローラーを握らせていた。
「ああ、もう、うるさい。僕に触るな気色悪い」
微笑ましい光景だと思った。
「まあ、二人とも頑張れよ」
俺は最後のミカン一つを手に取ると、石河開の家を出た。
少し急な坂をゆっくりと下り、自分の家へと向かっていく。