第3話 誘い/積み上がるミカン箱
行くアテもなく彷徨う。
運命的な何かに操られ、歩かされているような気がして、反抗して立ち止まった。
俺が立ち止まったところで、都会の人々の足は止まることなく、右へ左へ流れていく。
高校二年にしてホームレスになった俺。この先の人生とやらが限りなく不安だ。
巨大な鞄を肩にかける俺の姿は、この繁華街の通行人の目にどう映っているんだろうね。田舎から出てきて、都会の厳しさに負けてホームシックになり、故郷へと帰ろうとする人間にでも見えるだろうか。帰る故郷があるんだったら、俺だって帰りたいさ。だけど、俺を待っていてくれる人が居る場所なんて何処にも無い。
無いんだ。
悲しいけど、それが現実。
普通でいることが、こんなに難しい。どうして俺がこんな仕打ちを受けないといけないのか、どの神様に訊けばいいんだろう。前世で何か悪い事でもしちまったんだろうか。
どこか遠くへ行きたいな、と思ったが、学校がある以上、なるべくこの街で暮らしたいところだ。
「あれ? アキラちゃんじゃない」
街を歩いていると、背後から聴いたことのある女の子の声がした。
声のした方を振り返ると、誰も居なかった。
「おぅい、下だよー」
少し下に視線を落とすと、背の小さな女の子。田中みかんという名の小さなクラスメイトが立っていた。茶色っぽいくるくる髪をした素晴らしき女の子である。見た目はかなり幼く見えるが、高校生だ。箱に入れて持って帰りたくなるような、思わず笑顔になってしまうような可愛さだ。
「アキラちゃんって呼ばれると、なんか女みたいで嫌だな」
「じゃあ、ゆうきちゃんの方が良かった?」
「それも女みたいだな」
「じゃあ、アキラちゃんでいいじゃん」
俺は「ちゃん」を付けて呼ばれたくないということを遠まわしに伝えたのだが、どうやらこの娘に変化球は通用しにくいらしかった。それとも、あえて俺の嫌がる呼び方をしようとしてるのだろうか。そうは考えたくはないが……。ああもう、アキラちゃんとか結城ちゃんとか好きに呼べば良いよ。俺はもう疲れたよ。
「ありゃ、何か元気ないね。何かあったの?」
「何かがあったといえばあって、そして何もなくなったな」
「はぁ?」
「まぁ、田中には関係のないことだ」
「あ、こら。田中って呼ばないでよ。あたしのことは下の名前で呼んで」
「はいはい、みかんちゃんね。みかんちゃんには関係のないことだよ」
「アキラちゃんは、これから何処に行くの?」
田中みかんは、興味津々といった様子。そして必殺上目遣いで俺の目を見つめていた。
「何処に行くべきなんだろうね。少なくとも、家には帰れないな」
「あ、お父さんと喧嘩でもしたの? お母さんと? お姉ちゃんと? 近所の野良猫と?」
近所の野良猫と喧嘩して家出する光景を想像してみた。微笑まし過ぎて感動の涙が出てきそうだな。ただ、ツッコミを入れる気力は、今の俺には無い。
「そんな理由だったら、うれしいんだけどな。普通っぽくて」
「アキラちゃん? 本当に大丈夫? ツッコミが欲しかったんだけど……やっぱり元気ないね」
俺を品定めするように、ジロジロと観察する田中みかん。
「田中は――」
「み、か、ん」
何でそんなに呼び方にこだわるんだろうか。まあ、とにかく、毎回言い直していたんじゃ会話にならない。今後は望み通り、みかんと呼んであげることにしよう。
「みかんは、何してるんだ?」
「街歩いてた」
「何のために」
「家に帰るために」
「なるほど」
「アキラちゃん、この後暇?」
「暇だな」
この先の人生ずっと予定が無い。そんなフワフワした現実が、おそろしい。
「じゃあ、付き合って」
みかんの甘い声と必殺上目遣いで、悩殺されかける俺。やばい、これだけで鼻血でそう。
田中みかんは、俺の中での恋人候補ランキングにおいて、二位に圧倒的な差をつけトップに君臨する可愛い系女子だった。俺の理想の容姿で、理想の笑顔で、理想の性格で、理想の声だった。俺の中で最高級のアイドル的存在と言い切っても良いくらいだ。
食べ物のミカンと同じくらい好きだ。ああ、これじゃあどれくらい好きなのか伝わらないか。そうだな、毎日二十個食べても飽きないくらい好きだ。
「でもな、付き合うと言っても、もう夜だぞ? どこに行くんだ? ラーメン屋か?」
俺がそう言うと、
「あたしの家」
みかんは、しれっとそう言った。
いきなり、家っすか……。
★
田中みかんは、八階建てマンションの三階にある一室に住んでいた。
リビングに通され、テーブルを囲むように配置されたソファの一つに座るように言われ、言う通りにする。ふかふかだった。女の子の部屋に入るのは初めてだ。爽やかで、少し甘い香りがする。ドキドキが止まらん。
「さあ、アキラちゃん。語ろう」
反対側に座った田中みかんは真剣な表情で言った。
語ろうったって、何を語ればいいんだ。
「待て、みかん……俺からこんなことを言うのはおかしいかもしれんが、一体何が目的だ」
「え? 何が?」
「まず親御さんは何処だ。夜に女子の家に足を踏み入れるということは、つまり、間違いが起こってしまう可能性があってだな」
「まず、親はいないよ。一人暮らしなの」
「一人暮らしだと? 尚更危険じゃないか!」
「そして、間違いは起こらないよ」
「何故だ」
「信じてるから」
「何を」
「結城アキラちゃんを」
「…………」
曇りなき瞳で俺を見つめるみかん。やばい。抱きしめたい。小さな彼女を胸に抱き、そのまま強く締め付けて茶色がかった髪を撫で回したい。
しかし、俺は人間だ。獣ではない。だから、高校生女子と密室二人きりという限りなく悩ましいシチュエーションでありながらも、襲ったりしない。絶対に襲ったりしないんだ。
不純異性交遊、ダメ絶対。
まして相手は他の同級生女子よりも発育が遅い娘だ。絶対に手を出してはならない。絶対にだ。
「ねえアキラちゃん。ミカン食べない?」
何だと。誘っているのか?
「みかん、それはつまりあれか? あたしを食べてくださいということか?」
「はい? 何言って……ああ、そんなこと言う奴、くたばればいいよ」
そんな言葉を浴びせられた俺の視界には、テーブルの上に置かれた果物が見えていた。
ああ、果物のミカンか。ていうか、可愛い女の子がくたばれとか言っちゃダメだろ。
ただ、まあ、「ごめんなさい」と、とりあえず謝っておこう。
「それで? アキラちゃん。ミカン好き?」
「大好きだ」
うん? これって、告らされているんじゃないか?
いや、それは考え過ぎだろうが、なんだか意識しちゃうと恥ずかしい。
「そっか、よかった。いくつ食べる? 箱あるけど」
「さすがだ。みかんという名が付いているだけのことはあるな。じゃあ、とりあえず五個もらおうかな」
「はーい」
ドン、ドン、ドドドン。
五階建てのミカン箱ビルが目の前に登場した。
「あの……五個って……」
「とりあえず五箱って、言ったよね」
「え」
「言ったよね?」
「あ、はい」
「いやー助かるなー」
「もしかして、俺に付き合えっていうのは……」
「そうだよ。余っててさ。無駄にするのは勿体ないでしょ? だから、アキラちゃんに食べるの手伝ってもらおうと思って。それと、何か思い悩んでいる様子だったから、ついでにおいしいミカンを食べながら語り合おうかなと思って」
なるほど。しかし、とりあえず五箱ってことは、まだまだあるってことだよな。一体、全部で何箱あるんだ。
俺は、一つ目のミカンの皮を剥いて、中身を半分に割る。それをひとかけらずつちぎって、口に運ぶ。世の中にはミカン丸ごと一気に食っちまう人も居て、それこそが至高の食べ方だと考える者も居るらしい。俺は、こういうちまちました食べ方を好む。時間に余裕があれば、薄皮もむきむきしてから食べたいところである。丸ごと口に入れるなんて、余程の事が無い限り有り得ないね。
「それで、アキラちゃん」
「何だ」
「アキラちゃんが、何を悩んでいるのか、教えてよ」
「そんなに聞きたいか?」
「うん。だってあたし、美化委員だもん」
「ちょっとまて、悩み事を打ち明けるのと美化委員と何の関わりがあるんだ」
「ふふ、やっとツッコミいれてくれた。それでこそアキラちゃんだよ」
何だかよくわからんが、少し楽になった気がした。