第27話 ラブ/巨乳願望2
木林みのりと共に下校し、駅近くのファミレスに寄る。
今日は、月島弥生先生に、テストの結果を報告するために、いつものファミレスに行かなければならない日だった。
俺達がファミレスに到着すると、既に弥生が座って待ち構えていた。
「こんばんは」と、弥生。
「はい! こんばんは!」
俺は、やたら引き締まった挨拶をした。考える前に口と身体が動いていた。
「弥生先生! お久しぶりです!」
みのりも同じように直立して手の指先までピシリと伸ばして立っていた。
どうやら弥生の特訓授業を経て、俺たちの中での月島弥生という存在は、一気に恐怖の対象になったらしい。俺とみのりは、弥生先生と向き合うように並んでシートに座る。窓側がみのり、通路側が俺だった。
「二人とも、ちょっと待っていて」
弥生は、立ち上がり、ドリンクバーのカウンターに行った。
戻ってきた弥生の手には、二つのグラス。片方は、ウーロン茶、もう片方は、オレンジジュースだった。ミカンジュースではなく、オレンジジュースだ。俺くらいのミカン好きになれば、見るだけでオレンジジュースとミカンジュースの違いがわかるようになるのだ。
「ありがとうございます、弥生先生!」
俺たち二人は、声を揃えた。
「ドリンクバー四つ頼んでおいたの。だから、好きに使っていいわよ」
弥生はそう言うと、向かいのシートに腰かけた。わざわざ窓際を空けて、通路側に座った。
「二人とも、テストはどうだった?」
「満点でした」
みのりは、やや戸惑いながら、答案用紙の束を渡した。
「平均八十四点でした」
俺は得意気にそう言って、答案用紙の束を渡した。
「アキラ……。八十四点って……?」
「驚いたか? 高得点で」
すると弥生は、テーブルを左手で叩いた後、俺を指差しながら、
「この出来損ないが!」
と叫ぶ。ビクッと体を震わせる俺とみのり。
「ごめんなさいッ」
思わず謝る俺。
何故……こんなに良い点数なのに。かつて無いぞ、八十点越えなんて。
「私が教えたんだから、全て満点で当り前よ。間違えて良いのは、ケアレスミスの二点まで。言ったはずでしょう? 聞いてなかったの?」
そんなの聞いた記憶が無いけども。でも……。
「すみません!」
俺はしゃきっとした謝罪をした。
「まぁ、仕方ないわね……今のアキラの実力じゃ。焦らずじっくり、いつのまにか勉強も好きになってくれればいいわ。それで……まあ、テストの話はこれくらいにして、無駄話をしましょう」
「はい、弥生先生!」
俺が言うと、すごく悲しそうな顔をした。
「もう先生はやめて」
★
「あ、そういえばアキラ。この間渡した手紙、まだ持ってる?」
「ああ。あるよ」
手紙とは、この間弥生から受け取った『LOVE』と書かれただけのものだ。当然大事に保管してある。
「やっぱり、ローマ字なんて高等な言語は、アキラにはわかりにくかったのよね、書き直したから受け取って」
弥生はそんな事を言って、またピンク色の便箋を渡してきた。
受け取って見てみると、中央に『ラブ』と書かれていた。
「わかる? 理解できる? その単語」
ひどくバカにされているのではなかろうか。いや、しかし、『ラブ』とはつまり、恋や愛のことであるが、それを真の意味で理解するというのは、困難なことであり、ここで簡単に「理解できる」などと言ってしまえば、俺が考えの浅い軽い男だと思われやしないか?
これは、罠だ。俺の知性は今、試されようとしている。そうに違いない。
そこで俺は、「……ありがとう」と言った。
「ん? それって、つまり、どういう意味? アキラも私のこと好きでいてくれるの? 私と付き合ってくれるの?」
げぇ、中途半端な回答をしたせいで、更にわけのわからないことになった。俺は弥生のことは好きだが、それよりももっと好きな人がいるはずなんだ。
――あれ、でも、待てよ。
もっと好きな人って、誰だ。
それがわからない以上、ごめんなさいと断る理由もないぞ。かといって、中途半端な気持ちで弥生と付き合うわけにはいかなくて……。
あぁもう、なんだか頭の中がゴチャゴチャしてるな。
何なんだよ、ちくしょう。
「…………」
多少の混乱の末、俺は無言を選択した。
「と、ところで……みのり。元気ないけど、どうしたの?」
弥生の方から話題を逸らしてくれた。どうやら、付き合うかどうかの答えは、まだ出さなくても良いらしい。
「んー……何だか、あたしの頭の中に、すっごくケムケムしたものがあって……その正体をずうっと考えているんだけど、どうしても、何が引っ掛かってるんだか、わからなくて」
木林みのりはそう言って、両手で頭を押さえた。ケムケムってのは何だかわからないが、モヤモヤと同質のものだろう。煙に包まれている感じかな。
「みのりも、何か気になることがあるの?」
弥生にも、すっきりしないことがある様子だった。
「俺にもあるぜ、謎のモヤモヤ」
その正体について、全く見当がつかないというのも、三人同じで、俺は何となく弥生の隣にある不自然な空席を眺めていた。
「まあ、いいか、気にしても仕方ないし」
みのりはそう言うと、弥生の持ってきたウーロン茶を一気に飲み干し、
「結城、おかわり」
などと言った。
こいつ、それでわざわざ窓際の席に座ったのか。
「ウーロン茶でいいのか?」
「いいわよ」
俺は席を立ち、ドリンクバーで、日頃の恨みを晴らす意味も込めて、ウーロン茶の他にも色々な液体を混ぜ、そのグラスを持って戻った。
「ありがとう」
みのりは、俺からグラスを受け取り、弥生との会話に戻った。
「でも男の人って、皆、大きすぎる胸は好きじゃないって言うわよね」
一体何の話をしているのかと思えば、また胸の話か。よく何度も飽きないな。
以前もこんな話を女性陣三人で……。
三人?
あれ、木林と弥生がいて、あと一人は……。
んー、モヤモヤするな。まあいいか。
ともかく俺は、そういう話には混じりたくないので、なんとなく窓の外を見てみる。
制服を着た長身長髪の男が、車道を挟んだ向こう側にある建物の壁に寄りかかって立っているのが見えた。あれは、転校してきた変な男、カッコイイ名前の戒刃くんじゃないか。
前にもこんなことがあった気がする。長身長髪の男にファミレスの外から見られているという場面は、なんとなく印象に残っていた。
俺が軽く手を振ってみると、転校生は無視をして、すぐに壁を離れて歩き出した。不快感を与える動作に見えた。フンとか鼻を鳴らしながら去っていったに違いない。
「ちょっと、アキラ、なにしてんの?」
「いや、知り合いがいたもんで」
「今の話、きいてた?」
「あ、いや、きいてなかった。ごめん、弥生」
「だからね、男が巨乳を嫌うなんて大嘘よね。男は本能的にバランスよく膨らんだ胸が好きなもんでしょ?」
弥生さん、それはどうだろう。人それぞれだと思うんだ。
「じゃあ、胸大きくするには、どうしたらいいのよ?」
みのりよ、お前はそのままで十分美しいぞ。素晴らしい観賞美だ。無理に胸を大きくする必要なんか絶対に無い。
「それは、私に訊かれても……」
弥生は言いながら、また音符マークの書かれた店員ちゃん呼び出しボタンを連打した。
ややあって、「ご注文でしょうかー?」と言いながら、巨乳の店員ちゃんがやって来ると、弥生は立ち上がった。
「きゃぁ……ちょ……なに、何するんですか……」
無言で彼女を捕まえ、窓際の席に押し込むと、蓋をするように通路側に座った。
「おい、弥生……何を……」
「私たちの注文を、ゆっくりじっくり聞いてもらおうと思って」
いくらこの店が祖父の店だからって、やりたい放題すぎるだろう。怒られろよ。こっぴどく。
「あのぅ、私仕事中で……」
お盆を抱いた可憐な店員ちゃんは、職務に戻ろうとするが、弥生はそれを阻止。
「私たち三人は、胸を大きくするために、がんばっているの」
「ええ?」
驚いて、ぱちくりした目で俺を見つめる店員ちゃん。
「ちょっと待て。俺は違うだろ」
「ああ、そうか。私たち二人、ね。それで、どうやったら胸が大きくなるかを、巨乳であるあなたに根掘り葉掘り訊こうと思ってね」
「あ、あ、あのぅ」
店員ちゃんは子犬のようなつぶらな瞳で俺を見つめてくる。助けを求めているようだ。
「おい、弥生! 店員さんに――」
「あなたの話はきいてない」
「……はい」
俺が黙らされたのを見て、店員ちゃんは落胆した。
「それで、そろそろ巨乳の秘訣を白状したらどう?」
そう言った弥生の姿に、テレビドラマの中で取調べをするベテラン刑事の姿が重なった。
「あの、えっと……その……」
店員ちゃんは、俺の顔をチラチラと窺いながら、言葉を出すのを躊躇っているようだった。どうしたのだろう。
「アキラ。悪いけど今日は帰ってもらえるかしら。私たちはこの可憐なお嬢さんから大切な話を聞かないといけないの」
なるほど、そうか……男が混じっていていい話ではないということか。なんかこう、すごく生々しい話になってしまう可能性を感じる。紳士たるもの、ここは早々に離脱することにしよう。
「あ、私の明輝も明日から休みだから、また明日、連絡するわね」
手を振る弥生。俺も手を振った。
みのりはどうしていたかと言えば、店員ちゃんの胸部を凝視していて、俺のことはどうでも良いようだった。