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第20話 ツクリモノ/ホームレス

 どれほど寒い夜を越えても、朝は必ずやって来る。


 自分を勇気付けるために、そんな名言チックなことを何百回も考えた。


 日付が変わって今日は日曜日。いっそ学校に登校できたら、暖房のある部屋と、数学教師の子守歌があるから、体力が八割くらい回復する睡眠ができるに違いない。授業中寝るなとかいうツッコミはいらない。俺だって普段は居眠りなんかしないさ。


「はぁ……」


 溜息を閉じ、目をぎゅっと閉じて、ゆっくり開いてみても、目の前の景色が変わらず真夜中の公園で、夜が明けても日曜日だって事実は変わらなくて、結局、学校で寝るの寝ないのってのは獲らぬタヌキの皮算用ってやつなんだけども。


 何本ものココアの空き缶が、目の前に並んでいる。きっと今日は、あの自動販売機における一年間でのココアの売り上げ最高記録に違いない。真実は自販機しか知らない。


 それにしても寂しい。何度か自分に、「一人での生活が長かったから、今更一人ぼっちになったところで楽勝だぜ」と言い聞かせてはみたのだが、少々甘かった。一度、皆でワイワイ食卓を囲むというのが当たり前になってしまうと、それが何の覚悟も無いままに無くなった時、その寂しさはかえって増幅されてしまうようだ。


 だから、俺は、寂しさを紛らわすため、ココア片手に、話しかけた。


 誰に話しかけたかって?


 恥ずかしい話だが、相手は人間じゃない。看板に向かって話しかけるしかなかった。


 ペットの糞尿は持って帰りましょうと訴える看板に、ゆるキャラが描かれている。シンプルに描かれた樹木に、目と眉毛と口をくっつけたものだ。茶色っぽい幹。生い茂る豊かな深緑の葉っぱたち、『ハ』の字の眉毛、四角い枠に丸い目が入り、口が『ヘ』の字に曲がっている。ひねくれたアフロヘアのタコみたいに見える。


「いやぁーアフロ先輩! 今日も寒いっすね」


 先輩という設定にして、ごまをするような声で話しかけてみた。


 返事が無い。当たり前だ。それは、ただ看板に描かれたキャラクターの絵でしかないのだから。


「ちょっと聞いてほしいんすけど」


 はいともいいえとも言わない。動かない。そりゃそうだ。絵なんだから。


「俺の友達に、石河開ってやつがいるんですけど、そいつがすげえおかしな男で、この間、そいつの家に行った時、こんな話をしてきたんすよ」


 俺は、看板の小学生が描いたラクガキみたいなキャラに向かって、延々と喋り続ける。虚しいのはわかっている。でも、誰かに、俺が遭遇したおかしな状況について語りたくて仕方がなかった。


「石河が言うには、人格を整形する人格彫刻家っていうのがいて、それに対して、人格を消去する人格破壊者がいるっていう。この時点でなんかもう頭おかしすぎますよね。しかも彫刻する方が俺の父親で、破壊するサイドが石河開だって話なんですけどね。


でもおかしいんすよ。今言った二つの立場って、互いに相容れない関係にあるはずじゃないですか。でも、俺の父親が残してった手紙の、あぶりだしで浮き上がった文字には、石河に訊け、みたいなことが書いてあって……それってつまり、俺の父親と石河が手を組んでる可能性が高いってことっすよね」


 俺の父は、石河に俺を託して海外に逃亡でもしたのだろうか?


 でも、もしも、あの手紙に書かれていたことのほとんどが嘘だとしたなら……その場合は、父はまだ、この街に居るんだろうか。


「なんて……考えても仕方ない、か」


 アフロ先輩は何も言ってくれなかった。微動だにしなかった。枝を振ったり、梢を揺らしたり、根っこをもぞもぞさせて歩き出すこともなかった。ただ俺の白い息が舞うだけ。当たり前だ。


「さみぃ……」


 あまりに虚しすぎて、もうどうしようもない。何で俺、看板に話しかけて会話を楽しもうとしちゃってるんだろう。


「あぁもう……家族って、何なんだろうな」


 父親が優しく迎えに来てくれないかな、とか思った。けれども、もし、父がこの街に居たところで、俺に会いに来ることはないだろう。俺の命を守るためにも、絶対に接触はしないはずだ。


 とにかく体を動かして少しでも温まろうと考え、寄り道してから荷物のあるベンチに戻ることにする。少し早歩きして体温を上げよう。


 線路の下を通る地下道を行く。地下道にも、先ほどのゆるキャラが何匹か描かれていて、説明文つきで紹介されている。しかも、あのアフロ先輩には家族もあり、友達もいて、ちゃんとした寝床もあるみたいだった。樹木キャラくせにベッドで寝たり、あったかい味噌汁を食って喜んだりとか一体何事なのか。たかがゆるキャラのくせに贅沢な暮らしをしやがってと役所に苦情を寄せたい気分になり、俺はまたココアを一口飲み込んだ。


 ゆっくりと、ゆるキャラ地下道ミュージアムを進む。白い蛍光灯が、いくつかチカチカ明滅していた。


 それが、まるで俺に催眠をかけようとしているみたいに感じられた。


 そこで、ふと思う。催眠っていうのは、万能に近いものだよな。 


 もしも、他人の記憶を操れるなら、本来存在しなかったはずの人間ですら重要な人間として印象付けることができるし、逆に存在していたはずの人間を消滅させることだってできるかもしれない。


「待てよ……だったら、もしかしたら、石河の存在も……」


 冷蔵庫も無く、生活の空気が皆無な部屋。石河の周囲の平坦すぎる人間関係。広く浅く、あまりにも当たり障りが無くて、不自然だ。そして、もう一つ不自然なのが、急な俺の転校。更に、俺の家族の失踪も不自然だ。


 あらゆる不自然から導き出せる仮説……それは、石河が、周囲の人間の記憶を操っているのではないか……石河が、俺を監視する存在であるのではないか……そして、俺を含む全ての人間が、記憶を操られているのではないか……。それどころか、この世界が全て、ツクリモノなのではないか……。


「――違う!」


 俺は一人でそう言って、頭を振った。


 無人の地下道に、激しく反響した。


 もし父親や石河が本当に催眠術師なのだとして、その秘密を明かしてくれた石河のことを信じるべきだ。父親のことだって、信じるべきだ。盲目だと言いたい奴は言えばいい。だが、俺は、人を、人の善意を信じたい!


 地下道を抜けた。


 数十メートルほど線路沿いを歩き、今度は線路をまたぐ歩道橋を渡って公園に帰る。


 いつの間にか中身が無くなっていたココアの缶を空き缶ボックスに放り込み、もう一度自動販売機に向かう。自販機を見ると、ココアが売り切れとなっていた。それで何となく自販機に勝利した気分になった後、勝つ意味が無く、且つ大事な現金を何本ものココアを買うために使ったことを思い出し、さらなる虚しさと後悔に包まれて、頭を抱えた。


「はぁ……」


 溜息が、おそろしく白かった。


 俺が歩き出し、優先席となったベンチが見える場所に久々に戻った時、驚愕の光景を目にした。何と、ホームレスのような男が、俺の荷物を漁っていたのだ!


「おい! 何してんだ!」


 俺が叫ぶと、男は訓練されていたかのような逃げ足で、声も上げずに逃げ出した。素早い。あれはプロの不良ホームレスの動きだ。


 もう追い付けないところまで逃げられてしまったので、追うのを諦めて所持品の確認へと移行する。


 まさか何も、盗まれていないよな……。


 荷物を確認したところ、全て無事。危ないところだった。荷物の中に通帳が入ったままだったから、俺が戻ってくるのがあと少しでも遅ければ、一文無しになるところだった。とは言っても、通帳には三千円くらいしか入っていないのだが……。


「でも、そうか。よく考えてみれば、俺もこのままじゃ、将来あのホームレスのようになってしまう可能性があるのか……」


 そんなことまで考えて、思わず絶望しそうになった。




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