第18話 おかえり/追い出し
俺は、木林いのりが泣き止むまでずっと、気まずい空間の中で耐え続けた。生活感の無いツクリモノのような部屋の中で、到底人が作ったとは思えない精巧なツクリモノの人格であるという木林いのりと二人きりだった。
限りなく居づらい雰囲気だけど、逃げたらさすがに史上最低な気がして、トイレ行きたいのを我慢してまで彼女のそばにいた。やがて彼女は、
「ごめん。もう、平気だから……」
「ああ」
やっと解放された気がした。
「ねえ、アキラく……ううん……結城くん」
「……何だ?」
「私と、友達になって下さい」
「ああ、もちろんだ」
「それと……みのりとも」
それは少し考えさせて欲しいと言いたい。しかし、そんなことを言って、また泣かれたくないので、
「わかった」
と頷いた。すると彼女は、
「ありがとう」
その儚げな笑顔もまた、とても魅力的だと思ったけれど、本当に申し訳ないけれど、俺には大好きな人が居るんだ。
★
結局、石河は戻ってくる気配を見せなかったので、俺と木林は、再び二人でみかんの家へと戻った。みかんは、俺たちが二人で戻って来たとわかると、鼻歌交じりにエントランスの自動ドアを開けてくれた。通路を進み、エレベーターで三階へ。みかんの部屋の前に立つ。
やや躊躇った末、みかんの部屋に入ると、玄関に妙にハイテンションなみかんがいた。
「いのりちゃん! アキラちゃん! おかえり!」
「ごめんなさい、急に出て行っちゃって」
「それはいのりちゃんが謝ることじゃないよ。ね、アキラちゃん」
これは、俺に謝れ、と言っているようにしか聞こえないな。
俺は心から「ごめん」と謝った。別にみかんに言わされたわけではなく、本心から何度でも謝りたいと思った結果だった。
三人で奥に進んで、ソファに腰掛ける。俺の対面には、田中みかん。そのすぐ横に木林いのりが座った。男チーム対女チームといった感じだ。孤立無援だ。
「ところでさあ、何でいのりちゃんに変わってるの? みのりとは仲直りしたの?」
「それは、その……」
何と言ったらいいだろう。たぶん仲直りはしてないと思う。
「確認していい?」
みかんは言って、立ち上がる。木林いのりの顔を両手で挟み込み、そして……木林いのりに口付けをした。
おおお、女同士だとぉ!
女同士でチュウ!
俺のような清純な青少年に悪影響すぎる!
「ん……」
いけない。いけないぞこれは。何だかドキドキしてしまう。
「みのり、正直に言って。仲直り……した?」
「……するわけないわ。あたし、こいつ大嫌い」
ああ、俺もお前のことは好きじゃねえよ。
「アキラちゃん。約束が違うよ! おかしいよ!」
「い、今仲直りするよ。みのり。ごめんな」
俺は頭を下げた。いのりには、いくらでも頭を下げたい。でも、みのりには謝りたくない。けれど、表面上は謝罪して仲良いフリをしておかなければ、みかんに嫌われてしまうから、仕方なく謝罪してやった。
ところが、木林みのりは、そんな浅ましい俺の心を見透かしたのだろう。険しい表情をさらに険しくした。
「誰が許すもんか、いのりを泣かせやがって」
「うわー、いのりちゃんまで泣かせたの?」
やめてくれ、みかん、非難するような顔を向けないでくれ。
「だ、だから、謝ってるじゃないか、みのり、本当に申し訳なかった」
「でも許さない」
おのれ、木林みのり。この俺が二度も頭下げたのに。
「アキラちゃん。約束通り……出て行って」
「み、みかん。そんな……」
「だいたい、よく考えたら、ウチにアキラちゃんを置く理由無いじゃん。あたしの家に泊めなくても大丈夫そうだし」
「待ってくれ、みかん」
「だってそうでしょう? 昨日も一昨日も、ウチじゃない場所で寝泊りしてたんだもんね。だから大丈夫でしょ? ウチはソファしか無いよ? ちゃんとしたベッドがある家で眠ればいいじゃない」
「ベッドなんて……昨日も一昨日も弥生のファミレスの硬いシートの上で……」
「弥生って誰よ」
「えっと……」
「そのカノジョのところに行けばいいよ」
みかんは、俺の荷物を勝手に全てまとめると、その重たい荷物を軽々と持ち上げ、俺に押し付けた。
「ちがうんだ。弥生は、カノジョとかそういうんじゃなくて――」
「うるさいなぁ」
「みかん……」
「口もきかないっていうのは……撤回するけど、言ってる事、わかるよね?」
わからん。みかんが何を言ってるのか、わからん。いや、わかりたくない。俺はみかんと一緒に居たい。離れたくない。また倒れたりしたらって心配だし、出て行きたくない。
「返事は?」
「でも」
「はいでしょ?」
「は、はい……」
「ほら、早く出て行って!」
みかんは、ぐいぐいと俺の背中を押して玄関の外まで押し出した。
「またね」
カチリと施錠される音が響いた。
「嘘だろ……」
俺の腕にあった、重たい荷物が落ちる音。
★
さて、困った時ばかり呼び出すようで悪いが、ここは、もう一度月島弥生に助けを求めようじゃないか。
骨董品レベルに古い携帯のリダイヤル画面から、月島弥生と書かれた場所を押し、電話を掛ける。夜は八時だから、まだ迷惑な時間帯じゃないだろう。もっとも、受験生である月島弥生を呼び出すという行為自体が迷惑な気がしないではないが。
この寒空の下で野宿なんて、根性の無い俺には絶対に無理だ。命を落としてしまいかねない。人命が掛かっている以上、背に腹は代えられない。
『お掛けになった電話は、現在電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため掛かりません』
万事休す……か。
いや、待て、まだ諦めるのは早い。もう一度、石河の家に行ってみようじゃないか。あんな広い家なんだ。部屋の一つや二つ空いているに違いない。
俺は石河開の家の前に立ち、躊躇わずインターホンを押す。
「はい」
いつの間にか家に戻っていたらしく、すぐに石河が出てきたので、
「よ。泊めてくれ」
と努めて軽く言ってみたところ、
「今日は、帰ってくれ……」
悲しそうな顔だった。なんだかゲッソリしている。
そうか、そうだよな……石河は、木林いのりのことが好きだと言っていた。そして、その木林いのりが俺を好きだったという事実を目の当たりにしたのだから、落ち込んでいてもおかしくない。
そして、いのりじゃなくて木林みのりの方が、石河のことが好きらしいし、なんというややこしい恋愛をしているんだ石河は。俺はそんな限りなく面倒な恋愛はしたくないぞ。
何はともあれ、失恋で傷心のところに無神経に押しかけたことは、謝るべきことだと思う。
「すまん」
「結城が謝ることじゃ、ないよ」
パタン、と力なく扉が閉まる音がして、後には冬の静寂だけが残された。