第16話 人格彫刻家/催眠術師
木林みのりと木林いのり。どっちが本物か。
生活感のない石河開の部屋。静かな沈黙の後で、俺の抱いた疑問について、落ち着いた口調で語り出す。
「本来、木林みのりは、ただ木林みのりでしかなかった」
「元々は、普通の人間だったってことか?」
「ああ。説明するぞ。よく聞けよ?」
「わかった」
「木林みのりには、双子の姉がいた。名前は木林いのり。いのりが、病死してしまった時、木林いのりのことを深く愛していた木林みのりは、どうすれば姉が生き返るのか、ということを考え始め、そして、ある情報に辿り着いてしまった」
「ある情報?」
「――人格彫刻家」
「な、何だ、それ……」
初めて聞く単語に、戸惑うしかない。
「名前の通り、人格を彫刻する人間のことだ。そして人格彫刻家のほとんどが、催眠術師だと言っても間違いじゃない」
「じゃあ、石河も……?」
「僕は違うよ。催眠術師だけど、人格彫刻家ではない」
「石河が自分で作ったから、木林いのりのことが、好きなんじゃないのか?」
「木林いのりを作ったのは、僕じゃない」
「どういうことだ?」
「もう、ここまで言ってしまったから、隠す必要はないね。はっきり言ってしまうけど、驚かないでね」
「ああ」
「木林を作ったのは、結城の父親だよ」
どういうことだ……?
「結城の父は……デイドリームメイカーという名の、世界最高の人格彫刻家だ。僕ら催眠術師の間では、メイカーという略称でも呼ばれるね」
俺の父親、そんなおかしな名前だっただろうか……。もっと普通の日本人の名前だったはずなんだけどな……。
「デイドリームメイカーの作品は、常に完璧だった。美容整形って、あるだろう?」
「ああ、あるな。顔変えたりするやつな」
「それと同じように、人格を整形するのが、人格彫刻家。たとえば、暗い人間が、明るくなりたいから、人格彫刻を依頼することがあったり、暴力的な性格を直すために彫刻を依頼されること等がある。それ以外には、自分の理想像を作り出すためだけに人格を彫刻する芸術家気取りの連中もいるし、人間とは何かという問題に対するアプローチのために人格彫刻する哲学者気取り、人類研究者気取りの連中もいる」
「要するに……性格を、変えるってことか? 目に見えない、内面を変えるっていうか」
石河は深く頷いた。
「人格を改変するのには、必ず大きなリスクを伴う。失敗例としては、人格が際限なく増え続け、その中で攻撃的な性格が生まれ、凶悪な犯罪に繋がってしまうケースや、人格そのものがミスで破壊され、動く事すら出来なくなるケースがある。人格を改変しようとする人間が善良な人間とは限らないというのも問題で、大規模な混乱を招く恐れもある」
「大規模な混乱っていうと、戦争とか……」
石河は頷いた。
「そうだね。催眠規制法という僕ら催眠術師の間での戒律によって、そういったものは全て禁止されていて……なかでも人格彫刻は、それ自体がもう悪だという扱いで、最も厳重に禁止されているんだ。人格彫刻なんかに手を出した日には、彫刻した方も、された方も、あっという間にお尋ね者さ。それでも綻んでしまうんだよね。人間だから。そうそう他人をコントロールなんかできない」
まずい。俺のバカな脳みそが煙を上げ始めたぞ。
もうそろそろ許容量を超えてしまう。
「それでね、結城。木林の話に戻るけど……って、大丈夫? わけわからーんって顔してるけど」
「わ、わかってるさ。人格彫刻家ってのがいて、ヤバイんだろ?」
「まあ、ヤバイといえば、ヤバイけどね……」
「続けてくれ。理解してるから」
「ああ……人格彫刻家が新たな人格を彫り上げる時、本当の人格というものは、二度と出て来られないよう隠されてしまう場合がほとんどだ。これには理由が二つあって、一つ目はさっきも言った通り、人格を増やすことが目的ではなく、人格を書き直すことが目的であるから。二つ目は、二つ以上の人格が同列に存在すると、日常生活に支障が生じる場合があるから」
「それと木林と、何の関係があるんだ?」
「最高の彫刻家、デイドリームメイカーに木林みのりが依頼したのは、書き直しではなく、書き足しだったんだ。驚くべきことにね。つまり、木林みのり本人の性格はそのままに、木林いのりを自分の中に復活させようとしたんだ。そうすることで、いつも一緒にいたかった……ってことだろう……」
「つまり、自分で望んで、多重人格になったってことか……?」
「二重人格だよ」
「ああ、そうか。二重人格……」
「メイカーの技術には恐ろしいものがある。本来、書き足しなんて天地がひっくり返っても不可能なはずなんだ。それは喩えるなら、広大な平地にどこからか持ってきた大量の土でアルプス級の山脈を造り出すようなもので、僕もその方法を知りたいくらいだ」
石河はそう言って、紙コップに入ったお茶を飲み干した。俺もそれを見てお茶の存在を思い出し、飲み干し、紙コップには再びペットボトルからお茶が注がれた。
「どうして、書き足しができないんだ?」
「書き足しなんてしたら、書き足された方の人格に記憶の蓄積が無いから、現実と虚構を区別できなくなる場合がとても多いんだ。人格そのものが壊れてしまう可能性が高い。それから、そもそも人格が違うのだから、互いの記憶を共有できるはずがない。理論上不可能な理由を積み上げていけば、ヒマラヤ級の山脈が出来そうなくらいに不可能なことなんだよ。もっとも、天才催眠術師デイドリームメイカーのことだ。僕ら普通の凡人には掴み得ない独自の理論があるんだろうけどね」
アルプスだのヒマラヤだのと喩えはわかりにくいが、人格の書き直しはできても、書き足しが困難だということは何となく伝わった。
そんな狂った話を、あっさりと受け入れてしまえる自分が、普通じゃない気がして、嫌悪感を抱く。でも、実際に木林は二重人格で、俺の父親は財産を残していなくなっている。信じるに足る証拠というのは、無いけれども、やっぱり信じられるのではないか……。
いや、まて、証拠が無いのに物事をあっさり信じるのは、俺の悪い癖だ。だからロリロリ詐欺とかいう頭の悪い犯罪に引っ掛かるんだよ。そして注意力散漫なのも直さないといけない。
「石河」
「何?」
「証拠を見せてくれ」
「何の証拠?」
「俺の父親が、その、何とかメイカーである証拠か、石河が催眠術師である証拠だよ」
「……少し、待っていてくれ。証拠になるかどうかは、わからないけれど」
石河は、そう言って立ち上がり、部屋の外へと消えた。