第15話 本物/失言
暖房の効いた暖かい部屋に入ると、愉快そうな笑い声が聴こえてきた。
「あはははは」
そしてもう一つ、別の声がした。
「みかん、次あたし、貸して」
そのアルトボイスに、聞き覚えがあった。
二人は、何やらテレビゲームをしているようだ。
「……ただいま」
俺が大小の二人の背中に声を掛けると、二人は一斉に振り向いて、対照的な表情をした。
「アキラちゃん、おかえりー」
ああ、可愛いな、みかんは。
「げ、結城」
実に可愛くないな、木林みのりは。
そして、凶暴なみのりは「チッ」と舌打ちをした。
こら、折角美人なのに舌打ちをしないでくれ。台無しだ!
「ていうかさぁ、何で結城がここにいるのよ」
「え? さっき言ったじゃん。アキラちゃん呼ぶって」
「アキラちゃんってこいつのことだったのかよ。カワイイ女の子が来ると思ったのに」
お前こそなんだその女の子らしからぬ言葉遣いは。せっかく容姿が美しいのにぶち壊しだ!
即刻いのりとチェンジすべきだ!
「ええと、結城」
木林みのりは、立ち上がり、身構えた俺の方に向き直った。
「な、何だよ」
「ごめんなさい」
美しいお辞儀をして頭を下げる木林みのり。
お、おお?
何だ、どうしたんだ急に。逆におそろしいぞ……。
「勘違いするな。今のは、あたしが謝ったわけじゃない。いのりが謝ってって言ったから謝ったんだよ」
「お前、それまったく反省してないだろ」
「二人とも、何かあったの?」
みかんが、不思議そうに小首を傾げて訊いてきた。
「ああ、キスされたのよ」と木林みのりが平然と言った。
おい、違うだろう。逆だよ逆。俺がキスされたんだよ!
「ええええ?」驚いて俺の方を見る田中みかん。
「違うぞ。絶対違う。俺は好きでもない女に意味もなくキスするような男じゃない!」
「じぃー……」
ああ、みかん、やめてくれ、そんな声に出してまで見つめないでくれ……。
「ところでだな、みかん、いのり」
「いのりじゃない」
「すまん。みのり」
失態。つい、いのりさんでいて欲しいという願望から、名前を間違えてしまった。
「何で木林がここにいるんだ?」
「みのりは、友達だからね」
「そう。みかんはあたしの親友よ」
「みのりにも、ミカン食べるの手伝ってもらってたの」
「なるほどな。それで、みのりんは……」
「みのりんとか呼ぶな。気持ち悪いんだよ。くたばれクズが」
おい、誰かこいつの口塞いでくれ。本気で可愛くないぞ。
「まあ……俺も大人だ。その程度の暴言で腹を立てたりはしないさ」
「ねえ、みかん、あとミカン何箱あるの?」と、みのり。
今度は俺の存在を無視、か。
「八十箱」
なっ、八十だって? この間は二十箱だと言ってたのに。
「おい、増えてないか?」
「えっとね……おかーさんが持ってきたの。風邪引いたらミカン食べて寝なさいって」
なるほど。実家がみかん農家とかなのかな。
そこで、みかんがテレビ画面の液晶に向き直ったので、見てみると、レトロな横スクロールゲーム画面だった。
尻尾の生えた緑色のおっさんが、左のほうにある土管の上で立ち尽くしている。一瞬、マリ何とかという名前の赤いおっさんが出てくるゲームの偽ものかと思ったが、正規品でも二人プレイを選択すると赤と緑を交互に使えることを思い出した。画面の左上にある三桁の数字が、カウントダウンしていた。
そんな光景をみて、俺はふと浮かんだ疑問をぶつけてみた。木林みのりに。
「なあ、木林は、みのりといのり、どっちが本物なんだ?」
「え……」と声を漏らした木林。
「……アキラちゃん!」叱るような声。
え?
何かまずいこと言ったかな。
「きゅぴーん!」
みかんが謎の掛け声を上げながら駆け寄ってきて、俺にグーパンチした。さすがに拳での打撃をまともに受けると痛すぎるので、避けた。
「……けんな」木林のつぶやくような声。よく聞き取れなかった。
「え?」
「ふざけんな!」
木林みのりは、俺に腹の底から搾り出したような声を浴びせると、暴風のように走って出て行ってしまった。
「アキラちゃん……何泣かせてんの?」
「え?」
「みのり、泣いてた! 最低!」
「最低……って……?」
というか泣いていたって……泣くような女なのか?
「みのりも、いのりちゃんも……二人とも本物に決まってるじゃないの! どっちが偽者かですって? ふざけてるの? 無神経すぎ! 生ゴミ人間! ミカンの皮と一緒に捨てちゃいたい気分!」
違うんだ、みかん。最近色んなことがありすぎて思考能力が低下してるんだ。失言したなら謝るから、許してくれ。
俺は正座した。
「すまん、ごめんなさい」
「あたしに謝ってどうすんの! 意味ないよ! みのりを追いかけて! それで仲直りして! そうしないと、この部屋には一生立ち入り禁止! 口もきいてあげない!」
嘘だろ。そんな日々に俺が耐えられるとでも思ってるのか!
「でも」
「でもじゃない! さっさと出てって!」
「みかん……」
「ふんっ!」
ぷんすかと怒って自分の部屋に行ってしまった。勢いよくドアが閉まる音がした。
どうしよう、泣きそう。何でこんなことになっちまったんだ。
ゲーム画面は時間切れでゲームオーバーとなり、一機死亡した。
俺はみかんに言われた通り、木林みのりを追いかけるしか選択できなかった。
★
追いかけて外に出たはいいものの、木林みのりが何処に行ったのか、なんてのは超能力者でもない俺にはわかるはずもなく、「長身で黒髪の美女を見ませんでしたか?」なんて道行く人に訊ねようにも、人と擦れ違わないのでそれもかなわない。
ふと、石河開なら、何か知ってるかもしれない、と俺は思った。
昨日、催眠術師であるというわけのわからないことを言っていたし、みのりは石河のことが好きなようだったから、手がかりくらいは掴めるんじゃないだろうか。
石河の家のインターホンを鳴らす。
「はーい」
軽い返事をしながら、すぐに石河が出てきた。そして俺の顔を見るなり、真剣な顔になって、言うのだ。
「そろそろ来る頃だと、思っていたよ」
「石河。訊きたいことが、あるんだ」
再び石河家の敷居をまたぎ、以前も入った十八畳の広い洋室に通された。
部屋の中は、先日来た時と全く同じ状況のままだった。まるで時間を止められていたかのように保たれていて、ちゃぶ台や座布団の位置から、未開封のお茶のペットボトルのある場所まで、全く同じだった。
石河の真剣そうな表情だけが、以前と違っていた。
「木林のこと……だよね」
ペットボトルのお茶を紙コップに注ぎながら、石河は言った。
「ああ」
「うーん、どうすれば木林いのりに戻るのか……とかかな?」
「それもあるが……ちょっと違う」
「何?」
「木林みのりと木林いのり。どっちが本物だ?」
「……まさかとは思うけど、そんなこと、本人に言ったの?」
「ああ。気になったからな」
「僕が、石河開っていう立場じゃなかったら、殴ってるところだよ」
「でも、俺には何が何だか、わからなくて……」
「木林のこと、知りたい?」
「ああ」
「そう……。じゃあ、教えてあげるけど、後悔しないでね」
「ああ、しないさ」
しばしの沈黙の後、石河開は落ち着いた口調で語り出した。