第14話 オーナーの孫/手紙の裏面
「あ、起きた?」
ぼやけた視界がだんだんとクリアになり、反対側に座っていたのは月島弥生だった。周囲の風景は、ファミレスのままだ。壁にかけられた時計をみると、五時半だった。
「朝か」
「夕方よ」
そんなに長いこと眠っていただと?
弥生を呼び出したのは昨日の夜だ。そこから朝になって昼になって、大事な時間を無駄にしまったようだ。
長い居眠りに弥生を付き合わせてしまって非常に申し訳ない気分に襲われたが、それよりも、もっと気になることが俺にはあった。
「このファミレス……おかしくない?」
「そう? 何で?」
月島弥生は、不思議そうに首を傾げた。
「だって、俺たち高校生だろ? 一晩中居座ってても誰も何も言わないなんて」
「ああ、それはね、私のお祖父ちゃん、この店のオーナーだから」
「なんと」
「儲かってるのって訊いたら、趣味でやってるんだよって笑ってた」
「そうか、確かにそれなら、何も言われない可能性もあるか」
「うん。だから、この場所は……私の逃げ場所なんだ」
「逃げ場所……」
「そう。嫌な事があると、この席でね、一人でボンヤリしてみたり、ヤケ食いしたり、ね」
「ヤケ食いねえ。その割には、すごい痩せてるな」
「それは、まあ、仕方ない。体質というか、遺伝というものがあるし」
「そういうもんか」
「ところで、アキラ」
「何だ」
「私ずっと訊きたかったんだけどさ、好きな人いるのに、何でナンパしてきたの?」
「え? ナンパ?」
「ん? ナンパじゃないの?」
「身に覚えがないぞ?」
「あれ、だって……。一昨日の朝、ナンパですかって聞いたら、真剣ですとかって……」
うおお、そんな意味にとられていたのか。
「あれはな、ナンパじゃないぞ。真剣に、道を訊ねてたんだよ」
すると月島弥生は、表情を変えず、長めに沈黙した後に、
「なるほどね……。アキラってさ、すっごいバカなのね」
シンプルに酷い事を言われた。
「でも……だからこそ、私はアキラのことが好きなのかも……」
「何だそれは。論理的に繋がらないぞ」
「アキラ、こんな話知ってる? 人間は、自分に足りない何かを持っている人間を、無意識のうちに好きになってるって話」
「聞いた事ないな」
「一言で言うと、人間は、遺伝子レベルで恋をするってことよ」
「何を言ってるんだかわからん」
「つまりね、私、アキラのこと諦めないから」
「ダジャレか?」
「殴るわよ?」
「ごめんなさい」
もう痛いのは嫌である。
「ところで……」
話題がくるくる回るな、この娘は。
「警察、行きましょう」
「え、いきなり何言ってるんだ? 自首か? 暴行罪」
「あのさぁ、喧嘩売ってるのかな」
「すみません」
「アキラが、ロリロリ詐欺の被害に遭ったことを、警察に……」
「あ、それダメだ」
「何でよ」
「まあ、この手紙を見てくれ」
俺は、ポケットに入れていた、少しクシャクシャになった父の置手紙を、弥生に渡した。
「…………」
受け取った月島弥生は、まず匂いを確認した。
「なんか、ミカンの匂いするわね」
ミカンの匂い……か。手紙にまで染み付いてしまったようだ。もしかしたら、俺の体や服からも、ミカンの匂いがしてるのだろうか。さすがに食べ過ぎたかな。
無言で文字を目で追う弥生。そして弥生は言った。
「つまり、お父さんは、あなたに警察に行かれては困るという事情がある……」
「ほうほう」
「おそらく、身元の確認をされると困る」
「それで?」
「多分……だけど……アキラ、もう死んでる」
「はあ……」
「ここでこうして生きてはいるけど、死んだことになってるんじゃないかな。もちろん、これは推測の域を出ることはないけど、アキラを守るために、お父さんたちが逃げたんだとしたら、それは、アキラの命を守りたいからだと思う。ずっとアキラ以外の家族三人で危険な仕事をしていたんだと仮定したら、何の訓練もしていないスーパー雑魚のアキラは、ひどい足手まといでしかない」
「正解だ」
「へ? 何よそれ。何で正解だなんて……」
「いやさ、俺も今知ったんだが、手紙の裏面に、小さく続きが書いてあったんだな……」
弥生は、手紙を裏返すと、今度は声に出して読み始めた。
「追伸……。ちなみに、アキラは、死んだことになっています。だから、実は警察等に行ってしまうと色々と面倒なことになります。つまり生存を敵に知られると、アキラの命が狙われるということです。お父さんの子として生まれたばかりに、日陰者として生きなければならないアキラが可哀想だと思います。ドンマイ。最後に、手紙の裏面も確認しないような注意力散漫な子は、お父さんの子だと思いたくありません……」
裏面には、余白が多くあった。
「面白いお父さんだったのね」
「俺は、普通の人間として……」
「生きられないわね。普通とは程遠いわ」
そこまでハッキリキッパリ言わなくても……。
★
数十分後。俺はまだファミレスにいた。
「私、この間、あなたの学校に突撃したでしょう? アキラに会いに」
「ああ」
「その時さ、気付いたんだけど、みのる学園のチャイムって、変よね」
「変? いや、キーンコーンカーンコーンってやつだろ? 至って一般的だと思うぞ?」
「え……マジ?」
「明輝学園が変なんじゃないのか? どんなチャイムなんだ?」
「なんか、ピロポロペンみたいな?」
「ごめん、伝わらない」
「まあ、とにかく、変なのよ」
と、そんな風に弥生と他愛のない話をしていた時だった。ポケットに入れていた携帯が、鳴いた。電話だった。
液晶画面に表示されたのは、知らない電話番号。
「すまん、ちょっと、電話してくる」
俺は立ち上がり、早歩きしながら電話に出る。その電話を掛けてきた人を、みかんだと確信していた。
「もしもし」
『あ、もしもし、アキラちゃん?』
やはり、みかんの元気そうな声だった。
俺は、ファミレスの外に出て、電話を続ける。
「おお、みかん! 元気になったみたいだな」
『うん。やっぱりね、風邪引いたら、ビタミン摂って寝るのが一番よ。ミカン食べたらすぐ治ったよ!』
「そうか。それで、どうかしたのか?」
『ええっとね、アキラちゃん、また鍵持ってどこか行っちゃったでしょう』
「あっ……そ、そうだな、すまん」
『で、今日は何時に帰ってくるの?』
「すぐ帰る!」
『わかった。大量のミカンが、アキラちゃんの帰りを心待ちにしてるよ』
うおおお、大量のみかんだと?
何人もの田中みかんが大勢で俺の帰りを迎えるのを妄想して、思わずニヤけた。
「じゃ、じゃあな」
俺はウキウキしながら店内に戻ると、コートを手に取り、それを羽織った。
ジャスミンティー片手に俺の動きを眺めていた月島弥生は、空いている手で俺を指差し、
「みかちゃん」
とか言った。
「え?」
「いや、違うな。みかんちゃんか。珍しい名前ね」
「ちょ、こわいこわい。外出てたんだから声きこえないはずだろ。何で俺が……みかんと電話してたって……」
「ん、唇の動きでね」
刑事かよ。
「なんか、すごいニヤけてたけど、アキラの好きな人?」
「ああ、そうだ」
「くそう、むかつくなあ」
月島弥生はそう言って、シートの上、仰向けにパタリと倒れた。額に掛かっていた漆黒の前髪がどいて、少し広めの白いおでこが見えている。
「それじゃあ弥生。また」
「ごめんね、殴っちゃって」
「いや、大丈夫だ。一発も四発も変わらん」
月島弥生は起き上がり、両手を天井に伸ばすストレッチをしながら、
「あ、あと、あの手紙ね、なるべく他人に見せないほうがいいし、もう燃やしちゃった方が良いよ。よくわかんないけどさ、敵とやらに見つかったら、アキラが危ないからね」
「そうするよ」
俺はそう返すと、ドリンクバーの代金、百九十円を置いて、ファミレスを出た。
「ん? あ、ちょっと……」
呼び止めようとする弥生の声が聴こえた気がしたが、俺は一刻も早くみかんの家に帰らなくてはならない。
寒い寒い外に出て、俺は走り出した。空は夕焼け。目指すのは、みかんの匂いのする部屋だ。