第13話 紅茶しぶき/弥生の殴打
駅近くのファミレス。窓際の席に到着すると、既に制服セーター姿の月島弥生が座っていて、一人で温かい紅茶を飲んでいた。両手でカップを持って、口元に運ぶ。手の甲までを隠している袖が、非常に女の子らしいと思う。
「や、こんばんは、アキラ」
「ああ……すまんな。呼び出したりなんかして」
「いいのよ。暇だったから」
俺はコートを脱いで、シートの奥に放り投げ、弥生と向かい合う形で座った。
「何だか疲れた顔してるわね。ちゃんと寝た?」
「いや、あまり寝てないな……」
「そう。やっぱり泊まるところ無いのは大変よね。やっぱ私の家に……」
「ああ、いや、とりあえずの宿はあるんだ」
「え? なんだ。相談って、そういうことじゃないの?」
「ああ……」
「じゃあ、ご飯だ」
パチン、と左手の指を鳴らして、言った弥生だったが、それも外れだ。
「違う。今日は一応現金持って来た」
「そっか……。あ、ドリンクバーは二人分頼んでおいたわよ。好きなもの持ってくれば?」
「あ、おう……ありがとう」
俺は、ドリンクバーで冷たいお茶を取ってきて、席に戻った。
「あれ? お茶なの? ミカンジュースじゃないの?」
「ああ。今日は何となくミカンジュースの気分じゃないんだ」
言いながら、向かい合う形で席に座る。
「……普段着も、結構イケてるじゃない」
赤くなる弥生。
恋は盲目とはよく言ったものである。ぜんぶ安物だぞ、この服。
「それで、相談って、何なの? 私と付き合う気になった?」
「いや、それはない」
「ないんだ……」
「実は、えっと……まあ、そういえば、さっき電話でさ、ニュースで何かやってたって言ってたろ?」
「ああ、あれね。ロリロリ詐欺」
「そう、ロリロリ詐欺」
「それがどうしたの?」
弥生はそう言って、紅茶を口に含んだ。
「俺、それに引っ掛かったかもしれん」
ブフッ……。
月島弥生は紅茶をふき出した。
「ちょ……ば……バカ……お茶ふいちゃったじゃない……」
弥生は、ポケットから取り出したハンカチで、口元を拭いた後テーブルを拭いた。
「お茶ふいた人初めて見たよ」
「私もお茶ふいたのなんて人生初よ」
「申し訳ない」
「別に謝らなくてもいいけど……どういうことか、詳しく教えて」
★
俺は、月島弥生に、詐欺に遭った経緯について話した。
「つまり……アキラの妹が、怖い人たちの高級車に自転車で激突して、高級車を再起不能にしたから、その示談金……弁償するためのお金を請求されたわけね。そうしないと妹の身がどうなっても知らないぞ、って言われたと……」
「そうだ」
「それ立派な恐喝じゃないの」
「それでだな、指定された銀行のATMの前に立たされて、電話での指示通りに操作して五百万振り込んだ」
「立派な……振り込め詐欺じゃないのよ……」
「何でそう言い切れるんだ?」
「だって、ATMの前で指示通りに操作でしょ? それはつまり、台本があるってことよ。言う通りに進めていけば、相手にお金を払わせることができるようにね。指定されたのは、何銀行?」
「ホニャララ銀行、駅の中にあるATM」
「ホニャ銀か……たぶん、そのホニャ銀がダメなら別のところで振り込ませるための筋書きも用意されていたはずね……って、そんなことはとりあえずどうでもいいわ。被害額は?」
「五百万」
「へ?」
「…………五百万」
「ごひゃ」
「五百万」
「ご、五百えん?」
「そうだったら、いいよね」
「え……信じらんないんですけど……」
「俺も、何で振り込んだんだかわからない」
「うっわ、もう……バカと言うのがバカに対して失礼なくらいバカね」
「だって、妹を救うには、そうするしかないって……」
「妹さんは無事なの?」
「いるかどうかわからん」
「へ?」
ファミレスの喧騒が妙によく響いてくる。重苦しい沈黙だ。
「…………弥生?」
「……アキラ……ちょっと、立ち上がって」
月島弥生は、テーブルに両手をついて、ゆらりと立ち上がりながら言うと、座席から出て、通路に立った。
俺は、意図がよくわからないながらも、弥生に言われるままに立ち上がる。
「こっち来て」
これまた言われるままに弥生のいる通路まで数歩歩いて、向き合って立った。
「どうしたんだ、弥よ――」
「歯ぁくいしばれ!」
鋭い一撃。左手での見事な平手打ち。右頬にかつてない衝撃。歯をくいしばってる暇はなかった。
俺は殴られた勢いで、テーブルに突っ込み、冷たいお茶が入っていたグラスを倒した。ポタポタと液体が落ちる音がする。
「いってぇ……」
「目を覚ませ! この大バカ野郎! 何で、何で存在しない妹のために五百万?」
「ボクっ娘でした」
「んなこと訊いてないわよ。人生なめてんの? 五百万稼ぐためにどれだけ働かなきゃなんないと思ってんの? 金銭感覚ゼロ? 聞いてんの?」
今日一番の平手打ちだった……かなり効いた……。
というか、俺は今日、何回殴られただろうね。
「あっ、ちょっと、アキラ……。アキラ? ごめん、大丈夫?」
意識飛びかけの俺の頬を、月島弥生は、また二回ほど叩いた。ぺしぺしと。
「アキラ……? アキラー……」
その声を最後に、俺の意識は暗転した。昨日の夜寝てないから、眠かったんだろう。
体力も、精神力も、とっくに限界――。