7.蛇の生殺し
「泣くほど、辛い?」
不意に高山に問われて、心臓が跳ねる。
「それって言い換えると、
泣くほど俺のことが好きっていうことだよな」
高山の指が優しく、俺の髪に触れる。
「うっ……己惚れるなよ!」
俺は埋めていた高山の胸から、顔を上げる。
「んな、可愛い顔して否定しても説得力ねぇよ」
高山がぷっと噴出した。
高山を前に多分俺は今、激しく赤面していると思う。
「とはいえ、俺はお前に無理強いをするつもりはない。
俺の気持ちはもう伝えたから、あとはお前次第だ」
そう言って高山は小さく肩を竦めて、俺に背を向けた。
そんな高山のシャツを、ほとんど反射的に俺はむんずと掴んでしまった。
「っ!」
高山がぎこちなく動きを止める。
「何? 慎」
高山が俺を振り返る。
「おっおっお……俺のバカっ!」
俺はついうっかりと高山のシャツを掴んでしまった自分の手を、
叱咤する。
そんな俺に、高山が小さく笑みを漏らす。
「そばにいて欲しいと、そういうこと?」
高山に耳元で囁かれて、俺は小さく頷いた。
それが俺の精一杯だった。
◇◇◇
そういうわけで、俺は今、
高山の部屋のベッドの上で抱きしめられている。
念のために言っておくが、
何かの行為があったわけではない。
あくまで俺たちは清い関係だからなっ!
俺は誰もいない空に向かって、なぜだかそんな言い訳を吐く。
「俺にそばにいろって言ったのはお前だぞ? 慎。
なにゆえ、その仏頂面?」
俺を抱きしめる高山が、小さくため息を吐く。
「しかしだからと言ってなんで添い寝?
24歳の男二人が一つのベッドで抱き合っているって、
どういう状態?」
俺はその状況に激しく葛藤している。
「だから、そういう状況だろ?
お互いに両想いなのを確認したわけだしさ」
高山が薄っすらと赤面する。
「やっ、やっぱり、あの……あれは、その……」
俺も代名詞を多用し、つられて、激しく赤面してしまう。
「ちょっ、慎、やめろ、お前にそんな顔されたら、
俺は理性がブチ切れてしまうだろうがっ!」
高山が苦し気に呻く。
そんな高山に、俺は少し面食らった。
「お前は……俺相手に、やっぱりそういうこと、思ったりするんだ?」
おそるおそる、俺は高山を伺う。
「はあ? 何を今更、っていうかお前は俺に対してそういう欲求はないのか?」
逆に高山に真顔でそう問われて、俺は戸惑う。
「え? えっと……それは……」
俺は不自然に視線をさまよわせる。
「正直に言うと、ないわけじゃなかったんだが、
なんか……罪悪感がすごくて、なるべく考えないようにしていたというか……」
そんな俺に高山が盛大にため息を吐いた。
「じゃあ、慎、ちゃんと考えて。
お前は俺とどうしたい?」
高山の少しくぐもった声が、鼓膜に囁くと
「どっどっど……どうって???」
俺の頭が思考を停止させる。
高山ニ……触レタイ。
不意にそんな欲求が胸にこみ上げる。
ソノ綺麗ナ顔ニ、触レテ、キスシテ、
ソレカラ……。
そんな男としての欲求が、俺の中でむっくりと頭をもたげたのだが、
「な~んてな、こっちは7年も待ったんだ。
今更焦ってお前に嫌われたくないしな。
俺はお前がその気になるまで、気長に待つよ」
高山はそんなことを言って寄こし、ひどく俺のことを大切そうに抱きしめるものだから、
言えなかったのだ。
「あっ、いや、高山、っていうかそんな気長に待たなくても……」
本当は俺も、実はムラムラしているんだということを。
(高山のバカー! これじゃあ、蛇の生殺しじゃないか)
そしてその夜、俺は高山の胸の中で、別の意味で涙をのんだのだった)
◇◇◇
翌朝早く、高山は家を出て、海外出張に赴いた。
そして俺は二度寝する。
薄い微睡のなかで、スマホのバイブが低く唸っていた。
覚醒しきらない朦朧とした意識の中で電話をとった。
「もしもし」
しまった。モロ、寝起きですって、声が出てしまった。
会社関係だったら、まずいなあと一瞬後悔したが、後の祭りだった。
「如月君」
電話の主は、水瀬先輩だった。一気に意識が覚醒する。
「あのっ、えっと……はい、如月です」
慌ててしまって、なんだかわけがわからない返事をしてしまった。
「今起きたのね、すごい声だったわ」
水瀬先輩が電話越しに笑っている。
「せっかくのオフに電話してしまってごめんなさい。
役員会議の資料の件で、如月君に少し聞きたいところがあって」
水無瀬先輩は、いいひとだ。
新入社員の俺にもいつも親切に接してくれて、
高山に嫌な顔をされても、変わらず俺なんかのことを気にかけてくれる。
「電話じゃ分かりづらいと思うので、もしよかったら、今からでも出勤しましょうか?」
そんな彼女にのために小さくても、何だろう、恩返しがしたい、って言ったら大げさかな。
少しでも力になりたいって思う。
「そうしていただけると、とても助かるのだけれど……でも、なんだか申し訳ないわ」
電話越しに、彼女の申し訳なさそうな声が伝わった。
「いえ、いいんです。どうせ一人で暇してたわけですし」
俺はなるべく、彼女に気を遣わせないように、明るく笑った。
「そう? ありがとう。じゃあ、お礼に私が夕飯をごちそうするから、期待してて」
そういうわけで、俺は午後に会社で水瀬先輩と会う約束をした。
「あっ、その資料でしたら、もう完成していますよ。
すでに高山社長にも許可をもらっています」
次の役員会議の資料を、水瀬先輩に渡すと、水瀬先輩が目を見張った。
「すごいじゃない、如月君。完璧だわ」
(あっそう? やっぱり? でもそんなに手放しで褒められると、なんだか照れるべ?)
なーんてデレデレしてみるけど、
もともとは高山の仕事を少しでも減らそうと、四方手を尽くした結果だった。
「あっと……、私は就業時間が終わるまでは、ここを出られないのだけれど、如月君はどうする?」
「あっ、だったら俺も今のうちに調べておきたいことがあるので、資料室にいます」
「そう? だったら就業時間が終わったら迎えにいくわ」
「わかりました」
水瀬先輩と別れて、資料室に向かう渡り廊下で、ふと窓越しに空を見た。
どんよりと垂れ込めた雲を見て、ふと、高山のことを思い出した。
(アイツ、無事に着いたかな?)
やがてぽつりぽつりと雨が降り始めて、オフィス街を歩く人達が、傘の花を咲かせた。
(アイツ、ちゃんと傘持って行ったのかなあ)
気が付くと、高山のことばかり考えてしまっている自分がいた。
退社時間を告げるチャイムがフロアに流れると、ドアのノックの音とともに水瀬先輩が、部屋に入ってきた。
「この間は、ゆっくりお話ができなかったから」
そういって、俺に微笑みかけてくれる水瀬先輩は確かに綺麗で、充分魅力的だと思う。
だけど水無瀬先輩が魅力的なほどに、なぜだか俺の胸が痛む。
(俺、どうしちゃったんだろ?)
俺はなんとなく自分のテンションに自信がなくなってきた。