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2.如月慎の複雑なコンプレックス

退社後、俺は奴とともに会社の社用車に乗り込み、

奴の暮すマンションに直行することになった。


車内には微妙な沈黙が満ち、なんともいえない重い空気が流れている。


俺は隣に座る男をちらりと盗み見た。

かつてのチームメイトであり、親友だった男。


涼やかな目元も、すっと筋の通った鼻梁もあの時のままなのに、

視線を落としたその表情が、俺の知っているそれよりも、少しだけ大人びて見えた。


この男に言わなければならないことが山ほどあるような気もしたし、

さりとて何をどう話せばよいのかと途方に暮れる。


「着いたぞ、降りろ。慎」

 

高山は無機質な声色でそういった。


俺はエントランスを見まわし、思わず首をすくめた。


「うへぇ。俺の住んでいる2LDKと偉い違い。

 マンションっていうか、億ションだよな。これ」


磨きぬかれた大理石の床に、オーク材の猫足アンティーク家具が置かれている。


多分年代物で、とんでもない値段がつくのであろうことが、

一般市民の俺でさえ予想できる。


絞られた間接照明にセンスよく観葉植物なんかが配され、

一体どこの高級ホテルのラウンジですか、


というような豪奢な内装であるのだが、

気圧されながらもそれはどこか居心地のよい空間だった。


エレベーターが最上階で止まり、

目の前には宝石をちりばめたような夜景が広がっていた。


部屋の鍵を開ける音がやたらと大きく響いて、胸をぎゅっと締めつけた。


「入れよ」


そういわれて、俺は高山におずおずとついていった。


「お……おじゃまします」


そういって、とぺこりと頭を下げると、


「なに? えらく他人行儀じゃねえの?」


 高山は不機嫌そうに呟いた。


リビングに通され、高山は冷蔵庫から取り出した缶ビールを俺に手渡した。


「あ……ありがとうございます」


俺はそれを受け取ると、プルタブを引いて喉に流し込んだ。


(苦い)


本当はあんまりビールは好きじゃない。

ビールに限らず他のアルコール類も苦手だ。


だが今は、この苦さがちょうど良かった。

この苦さに酔って、それでようやく心の内面が吐露できるような気がした。


「なんだろう。俺はまずお前に謝らなければならないんだろうか」


ふわふわと、どこか思考が麻痺していた。

物憂い視線を高山に向け、俺は膝を抱えた。


「謝る必要などない。お前はなにも悪いことはしていない」


高山はネクタイを外し、リビングの革張りのソファーに腰を下ろした。


高山の言葉に、少し目頭が熱くなった。


あの時、俺が取った行動が、

こいつの気持ちを容赦なく踏みにじった自覚はあるのだから。


「変わらないのな、お前」


そういって見つめた高山の横顔に、もうとっくに塞がったと思っていたはずの古傷が、

またずきずきと痛み出したような気がした。


俺は目を閉じ、しばし追憶に意識を委ねた。


◇◇◇


中学高校とバスケ漬けの日々を送った俺は、

勉強はからっきしだったが某名門大学のスポーツ推薦に漕ぎ付けた。


夢と期待に胸を膨らませ、体育館の重い扉を開けると、

そこにはナイキのTシャツを着た高山がいた。 


高山は長身で、美形で、頭も良くて、オマケに大会社の令息ときている。

取り巻きの女がうるさいのなんのって、そりゃあ、もう凄かった。


そして俺は、そんな高山が大嫌いだった。


そういうわけで俺は、部活以外では絶対に高山に関わるまいと硬く心に誓っていたのだが、

内心バスケだけは高山に絶対に負けたくなかったので、闇雲に練習量を増やした。


幸いなことに、我が校にはバスケット部専用の体育館や、

筋トレルームが完備されており、練習場所に事欠くことはなかった。


朝練の前の早朝練習に始まり昼休みも自主練に費やし、

居残り練習もほぼ毎日やっていた。


だが隣のコートには必ず高山の姿があった。


華麗なドリブルからインサイドに切り込み、シュートを決める。


それを自らリバウンドでとって、さらにダンク。


奴のプレーを横目で追いながら、俺はなんだか落ち込みそうになった。


高山は恵まれた身長に天賦の才能の持ち主で、

昨年の高校バスケのMVP選手だった。


すでに大学バスケット界でもスーパールーキーとして注目を集め、

うちのバスケ部でも数多くの先輩たちを差し置いて、堂々とレギュラーをとっている。


今はまだ勝つことはおろか、同じ土俵、いやさ、同じコートに立つことさえもできなかったが、

俺はそれでも諦めたわけではなかった。


技を磨けば、必ず俺にも出番が回ってくると信じていた。

俺は高さがない分、中に入れば不利だ。


だから外からのシュートが必要不可欠なわけで、

3Pシュートだけは、死に物狂いで練習した。


「四百九十八……四百九十九……五百」


息を切らしながら俺はフロアに大の字に寝転がった。

火照った身体に床の冷んやりとした感触が気持ちよかった。


日々の日課とはいえ、この五百本シュートを終えるころには体が限界を訴えていた。


「おい、冷えるぞ」


そういって、高山が俺にタオルを放ってよこした。


「お……おう」

 

そういって、俺は慌てて身体を起こした。


なんとなく、一瞬どう反応していいのかわらなくて戸惑ってしまったが、

なぜだか心の奥がこそばゆいような感覚を覚えた。


嬉しかったのだ。


なんだかずっと追いかけていた、

コイツにようやく認めてもらえたような気がしたから。


このときから俺は高山に対して張り巡らしていた鉄壁の防御壁を徐々に解除して、

心を開くようになっていった。


気がつけば高山は俺にとって目標であり、

かつよき好敵手であり、唯一無二の親友となっていった。


入部してから半年経った頃に、ようやく俺もベンチ入りできるようになった。


大学一年生の後期に選抜の冬季リーグが開催されたのだが、

その決勝戦でのことだった。


「あと三点、絶対に取るぞ! 気持ちで負けたらそこで終わりだ」


円陣を組んでキャプテンが、皆の顔を見回した。


現在、対戦相手に三点のリードを許し、残り時間はすでに一分をきっている。

この場はファールを覚悟してでも、強引に攻めなければ勝機はない。


審判の笛の合図とともに、

俺はスチールで相手のボールを奪い取り勢いよく走り出した。


刹那、左膝に鋭い痛みを覚えて、その場に倒れた。


救急車で運ばれてすぐに手術となったが、

結局その選手生命は絶たれてしまった。


人生のどん底だった。


自分の青春の全てをバスケに捧げてきたのだから、

しばらくは茫然自失として、何も手につかなかった。


長引く入院生活の間も、高山は律儀にも毎日のように見舞いにやってきた。


しかし当時の俺は、穏やかに高山と対峙することすらできなくて、その顔を見るのも辛かった。


やがて退院し、バスケから遠ざかろうとする俺に、

『自分も寄り添う』と高山がバスケをやめると言い出したとき、俺は留学を決めた。


それから一度も、高山に連絡を取ることはなかった。


自分の弱さを相手にさらけ出せるだけの強さが、当時の自分にはなかったから。


否、今も俺はこの男に抱く友情と、

複雑なコンプレックスの狭間で、不安定に揺れ続けている。

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