10.水無瀬先輩の警告
そんなこんなで、色んな意味で悶々とした日々を送っていると、気が付けば週末。
とうとう今日がアイツの帰国する日なのである。
(嗚呼、くそっ、あんな醜態を見られちまって、
俺は一体どんな顔をしてあいつと会えばいいんだよっ)
気持ちを落ち着けようと、俺は屋上で一人頭を抱えていた。
缶コーヒーがいつの間にか温くなってしまっていた。
「不味い」
缶コーヒーの所為なのか、なんだか胃のあたりがしくしくと痛み出した。
刹那である。
屋上の重い扉が開いた。
「慎」
そう呼びかけられて、一瞬頭に血が上った。
「あのっ、あのっ、そのっ……おかえり、高山」
血圧が一気に上昇し、軽い眩暈を起こしている。
「ああ、ただいま」
そういって、高山に抱きしめられた。
時が止まった。
っていうか、酸欠で俺、死にそうなんですけど……。
「俺がどれだけお前に会いたかったかわかるか?」
そう耳元で囁かれた。
「お前が俺を好きだと言ってくれて、
どれだけ嬉しかったかわかるか?」
心なしか、高山の声が少し震えているようだった。
「俺っ……俺……そのっ……まだ心の準備が……」
あたふたと、俺の手が宙を掻く。
「いまさら何を言っている? 慎。心の準備だ?
そんなものは犬にでもくれてやれ」
少し苛々とした口調だった。
(ひどっ。こいつ、ひどっ)
「もう待たねえぞ?」
じりじりと後退する俺は、ついにはフェンスの金網に押し付けられる。
「好きだ、好きだぞ。慎」
耳元で囁かれる高山の少し低めの声色に、頭が麻痺していく。
理性も理屈も、すべてを呑まれて、溺れる。
降りてくるキスに、目を閉じた。
柔らかくて、甘い。
刹那、屋上の重い扉がもう一度開いた。
そして視界の端に茫然と立ち尽くす、水瀬先輩の映像が脳裏に焼き付いた。
高山の腕の中で固まる俺。
それでも高山は俺を離そうとはせず、
まるでなんでもないことのように水瀬先輩を一瞥した。
「なに? 何か用?」
水瀬先輩の顔から、表情が抜け落ちていた。
「あの……、滝川理事から急ぎのご連絡がありまして、社長をお呼びするように言われました」
水瀬先輩の声が、心なしか震えていた。
「そう、すぐに行く」
そういって高山は俺を離して、踵を返した。
「慎。また後でね」
そう言い置いて、扉の向こうに消えてゆく高山を見送りながら、
ひどく耳に優しいその声が、なんだか凍りついたこの場の雰囲気にはそぐわないなと思った。
背後で水瀬先輩のすすり泣く声が聞こえた。
途方に暮れて見上げた空は、吸い込まれるように青くて、
だけどコンクリートに切り取られた、ちっちゃい、ちっちゃい空の下が、なんだかとても息苦しい。
「如月君……ひどいっ」
水瀬先輩の小さな肩が震えていた。
(この人はこんな風に泣くんだ)
現実を少し隔てた思考の中で、そんなふうに思った。
水瀬先輩の涙は少し意外でもあり、そして愛しくもあった。
強いひとだと決めつけていた水瀬先輩の、
女としての弱さを好ましく思う。
ただその想いが高山に向けられているのが、
ひどく滑稽で仕方なかった。
引きつった胸の痛みとともに、唇に自嘲が込み上げる。
「そうですね。俺、確かにひどいです」
俺は少なくとも、水瀬先輩の気持ちを知っていた。
知っていてその上で高山に想いを告げて、そして彼女の想いを踏みにじった。
その責めは負わねばならない。
俺は覚悟を決めて軽く目を閉じた。
そして呼吸を整えて目を開き、じっと彼女を見据えた。
「開き直るの?」
水瀬先輩は、人形のような表情で俺に問いかけた。
「俺も、高山が好きなんです」
俺の言葉を聞いて、水瀬先輩が笑い出した。
「は? バカみたい。男が好きなんですって?
しかもうちの会社の社長を? あなたが? 如月君」
そういって水瀬先輩は笑った。
その場にしゃがみ込んで、まるで心が壊れたかのように笑い続けて、やがて俺を睨みつけた。
「如月君、あなたこの会社を潰すつもり?」
不意に投げつけられた言葉の刃は、俺の胸を少なからず抉った。
「いえ、そんなっ」
俺は思わず目を見開いた。
水瀬先輩はそんな俺を注意深く、じっと見つめていた。
「状況がわかっていないわね。
うちの会社は日本でも屈指の財閥がバックについている、世界有数の大会社なのよ?
その会社の社長が、同性愛者だなんて世間に知れたら、一体どうなると思っているの?」
俺は口を噤んだ。
「高山社長を本当に愛しているのなら、あなたから身を引きなさい」
それは宣告だった。
「わかりました」
そして俺は……悔しいけど、そうこたえるしかなかった。




