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1.その男の帰還

灰色の景色の中で、雨が降っていた。

身も心も凍てついてしまいそうな冷たい雨のなかで、

あいつが切羽詰った顔で震えていたのを覚えている。


「行くな」

 

そう言ってあいつに掴まれた腕だけが、やたらと熱を孕んでいた。

あいつは多分泣いていたのだと思う。それはきっと雨の所為じゃない。


◇◇◇


「あっと、新入社員の如月慎です。よろしくお願いします」


 緊張のためか、場に不釣合いなほど大きな声が、

フロアに響いてしまった。制服姿の女子社員の失笑に、顔が火照る。


「わー、あの子、張り切ってるよね」

「でもなんか、すごく可愛い顔してるよ」

 

好奇で無遠慮な視線と、その物言いに、俺はがっくりと肩を落とした。


(可愛い……だと?)       

 

しかし、窓ガラスに映し出された自分の姿を見て、

それも仕方のないことかもしれないと思った。


(これ、確かに二十四歳の男には見えねぇよな?)   

 

ガラス越しに映るその姿は、母親譲りの童顔と女顔のせいで、

どうがんばってみても、せいぜい十八歳くらいにしか見えない。


真新しいリクルートスーツも初々しいのだが、

これでは入社というよりは入学式といったほうがしっくりとくる。


身長は特別小さいといったことはないけれど、決して高いほうでもない。


ただ筋トレが趣味なので、身体には結構自信があるのだが、

顔はもう、コンプレックス以外のなにものでもない。


その反動のゆえか、心はひたすら男らしくあろうと磨きをかけた。

柔道、剣道、空手に関しては一応段持ちである。


まあ、もっとも中学でバスケに出会ってからは、

それ一筋にバカみたいに傾倒していったのだけれど……。


(とにかくだ。可愛いというのは、男にとっては褒め言葉じゃないんだぞ!) 


俺は内心そう反論し、唇を尖らせた。

 

そんな俺を見て、ぷっと小さく吹き出した人がいる。

一瞬思わず見とれてしまった。


(きれいな人だな)


肩にかかる明るい色の髪に、ゆるくウェーブがかかり、笑う度にそれが小さく揺れた。

目鼻立ちは、はっきりとしているのだが、特別に派手というわけではなく、

むしろ透明感があって清楚な感じがする。


「というわけで、如月君の直属の上司は現在ロスに出張中なので……そうだな。

 水瀬君、君が如月君に業務の手順を説明してやってくれ」


部長に名前を呼ばれて、例の彼女は慌てて真面目な表情を取り繕った。


「あっ、はい、わかりました」


(こんな美人とお仕事できるなんて、俺ってば超ラッキー)


俺は内心ガッツポーズを決める。


(彼女、水無瀬さんっていうのか。

 顔だけじゃなくて名前まで美しいだなんて、完璧だな、おい)


俺の頭はポワワーンとなって、

彼女と俺との理想のオフィスラブを妄想する。


まずはベタだが、書類の受け渡しのときに軽く手が触れて、

『ドキっ!』ってな展開があってだな。


かっこよく仕事を裁き、彼女に見直される俺!


「キャー如月君! かっこいい」


なんやかんやで、総務で一躍ヒーローになってしまう俺!


そんなヒーローな俺のことを本当は好きなのに中々恋心を伝えられない彼女。

だけどある日、彼女は俺に言うのさ。


『実は私、如月君のことが好きなの』と。


(だっはー! よせやい、照れるべ?)


俺が妄想に身もだえていると、


「如月君、こっち、こっち」

 

彼女が、俺を手招きした。


「あー、こほん。水無瀬さん、ひどいですよ。

 さっき俺の顔を見て、思いっきり笑ったでしょう」

 

俺は表情を改めてそう切り出すと、

彼女はまたぷっとおかしそうに吹き出した。


「ごめんなさい。でも如月君たら、

 赤くなったり、青くなったり、

 表情がころころと変わって面白いんですもの」

 

この人にだったら、笑われてもいいな。そう思った。

一目惚れっつうか、なんつうか。胸の奥が、トクントクンと高鳴っているのがわかる。

彼女が俺の隣で微笑んでくれること以上の幸せなんて、この世にはあり得ない気がした。


「もう、如月君たら、ちゃんと聞いているの? 」


(あなたに見とれていて、聞いていませんでした。スイマセン)

 

とはさすがに言えなかったが、

曖昧な表情を浮かべる俺を見て、彼女は小さくため息を吐いた。


「もう一度言うわね。ここが社長室で、如月君は社長の秘書をするのよ」

「はい? 秘書?」

 

そんな話は聞いていない。


「俺、総務に配属されたって、聞いていたんですけど」

 

(そして総務でのし上がってヒーローになる予定なんスけど?)


俺は内心焦って、彼女に聞き返した。


「そうなのよ、秘書課にはもともと、とても有能な人がいたのだけれど、

 その人が急に寿退社することになってしまって、

 人事も、とても慌てていたのだけれど、如月君のプロフィールを見たら、

 留学経験があるって、書いてあったから、急遽白羽の矢が立っちゃったってわけなのよ。

 特にうちの社長は海外出張が多いから、秘書は語学のできる人でないと務まらないのよね」


「そ……そう、だったんですか」


総務でのし上がって、ヒーローになって、

綺麗どころのお姉さんたちにキャーキャー言われたかった俺は、

しょんぼりと肩を落とした。


「そんな顔しないの。大丈夫よ

 ちゃんと私たち総務がフォローするから」


水無瀬先輩はそんな俺の野望を、

新たな職場に臨む新入社員の緊張なのだと勘違いしたらしく

先輩らしく俺の肩を、優しく叩いて励ました。


ふと視線を上げると、廊下の向こうから足早に誰かが歩いてくるのが見えた。

かなり長身の、年の若い男だ。


その姿にフロアがざわめく。


彼の姿を見つけた部長が、慌てて廊下に飛び出してきた。


「社長、ロスに出張だったのではなかったのですか? 

 帰社は一週間後と伺っていたのですが」

 

部長はかなり焦っているようだった。


うん? なんか今社長って言わなかったか? 

うちの社長、若っ! しかもこりゃあかなりの美形だ。


癖のないさらりとした黒髪を、ワックスで軽く流して、

だけど整い過ぎたその容貌は知的でもあるが、なんだか少し冷たい印象すら受ける。


っていうか……っていうか……あの顔、

どっかで見たことがあるっていうか……え? もしかして……。


「いや、報告書を受け取ってすぐに飛行機に飛び乗ったんだ。

 それよりも人事の報告書に書かれていた如月慎というのは……」


廊下の真ん中で、馬鹿のように口を開けている俺の姿を認めると、

その瞳が大きく見開かれた。


「え? なに? どういうこと? 

 高山、なんでお前がここに居るんだ?」


パニックになりながらも、先に口を開いたのは俺の方だった。


「てんめぇ……」


高山が地獄の地響きのような低温ボイスを発すると、


「うわっ、ちょっ、ちょっと……」


 後の言葉はうまく紡げなかった。


「よく戻った。如月慎」


なぜならこの男に、息もできないほどにきつく抱きしめられてしまったから。


俺の手が情けなく宙を掻くばかりだった。

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