童貞
仕事が終わり、電車に揺られていた。
周りを見渡せば、カップルや夫婦が話しているのが目につく。それは幸せそうであり、私にとっては目を背けたくなる現実でもある。
私は名前を幸男と言うが、男としての幸せは感じたことがない。
両親はいるし、高校も大学も人並みのところを出ている。就職先も一流企業とは行かないまでも、安定した会社である。そうして人としては充足しているものの、しかし、人間としては何か不足しているのだ。いつもその気分が抜けず、これが満たされる日が来ないのであれば、いっそ自分から死んだ方が楽になるのでは無いかと考えることもある。
改札を出て、家路へと足を運んでいたとき、路地の片隅に黒いローブを全身に被せ、大きな数珠のようなアクセサリーをつけた、占い師のような格好をした老婆が話しかけてきた。「そこのお兄さん、何をそんなに暗い顔をしておられる。」
私は気味悪く、足早にその場を去ろうとしていたが、私は面白半分で自分の思いの丈をいっそ無関係の老婆に話してみることにした。
「ええ、実は男女間での幸せを感じたことがありません。私はこんな顔立ちですし、前までは、あきらめの心持ちでいたのですが、何故だか最近はふつふつと感じてしまうのです。」
「そうですか。それはなんとも悲壮極まるお悩みですな。1万円いただけるのでしたら、解決の方法をお教え致しましょう。」
というのでいっそ使い道もない金だし投げ銭の如く渡してみると、老婆が「手をお出しください。」と言ってきた。
言われた通りに差し出すと老婆はその手を恋人つなぎのように握りながら「、????」と言った。
付け加えて老婆はこう言った。「あなたのお悩みはこれで解決するでしょう。あなたに幸あらんことを切に願っております。」
その夜、風呂から上がり、ドライヤーを髪に当てながら鏡を何気なく見ると、顔も体も自分とは違う人間になっていた。
私は自分ではないものが自分の映るはずの鏡に映っていることにとても驚いた。
ある日カフェにて可憐な女性の隣に座った。
その女性はカフカの変身を読んでいた。私は、私の今の境遇を連鎖的に考えて、一人言を発してしまった。
しまったと思ったもののもう発してしまったものはしょうがないと、気味悪がられるのを覚悟していると、その女性は何を気にすることもなく、「変身を読まれたことがあるんですか?」と尋ねてきた。それとなく返事をし、枕の部分を説明したところ、女が興味を持ち、少しお話しませんかと言ってきた。
そこで思い出したが、私は今、俗にいうイケメンだったのだ。こんなにもイケメンというものはモテるのかと複雑ではあるが嬉しく思った。
1時間ほど談笑した後、女が「今度もまたお会いする機会がありましたら、お話ししましょう。」と言ってきた。
私は面を食らいながらも、返事をし、彼女は去っていった。
私はその後火照った体を冷やすように手をつけていなかったコーヒーをゆっくり飲んだ後、家路に着いた。
その後はカフェに通い詰め、彼女を見つけては話しかけた。
何度か繰り返しているうちに、お互いに両思いであることを意識し始め、私が意を決して告白し、付き合うことになった。
やがて初夜が訪れ、その朝、起きて顔を洗い、何気なく鏡を見ると、素の自分に戻っていた。私はとても慌てたが、彼女の態度は変わらなかった。
7年後老婆にあった。
「おおこれは兄さん、久しぶりですね。」
「私はもうお兄さんと呼べるとしてまはありませんが、あれは催眠術だったのですね」
「ええ、さしてお兄さん、人間としての幸せは得られましたかね。」
「はい、お陰様で今では、彼女と結婚し、二人の子供がおります。私に足りなかったのは人間的魅力ではなく、自分から行動する勇気だったのですね。」
駄文でした。読んで頂き有難う御座います。