悪役令嬢は破滅しそうになったので、エチゴのチリソース問屋の娘に身をやつす。
なろうのセオリー、難しい。よくわからないです、ごめんなさい。
時代小説めいた無国籍ファンタジーです。
聖ボニファティウス歴正保三年。
連合王国オーエド・タイクーンの首都オーエド。特別行政区ゴフナイの一角にあるハタモト屋敷の庭園に、緋毛氈の敷かれた茶席があった。
チャジンにしてヨーニン・ユーヒツであるブケの老人・ヴォルフガング源五右衛門・タナベは、この日屋敷の主の一人娘であるブリュンヒルデ美佐・キラのために、いつにもまして精魂を込めて紅い西龍茶を煮ていた。
「美佐殿は……在宅であったか。それは重畳」
微塵も重畳などと思っていない、殺気を秘めた声がどこからともなく響く。
公儀のオンミツ・ドーシンらしいニンジャが、たすき掛けの姿で袴の股立を取り、抜き身のカタナを手に音もなく現れた。
「まあ、よくいらっしゃいました六公子様。じい(源五右衛門)が紅茶を点てておりますから、ティー・ライス(茶漬け)などいかがかしら?」
金髪に縦ロール・黒のドレス・ベルトに差した二尺三寸の名刀『三昧火兼之』と、一分の隙もない悪役令嬢の出で立ちをした美佐は、ニンジャの姿を見るなり遠回しに出ていけと言い放った。ここでニンジャがティーライスにオミオツケとコウのものなど所望すれば、もはや血戦は免れない。
「この屋敷で腸をさらけ出すことになれば、夕餉を喫しておくは迷惑かと思い、腹は空かせて参った。だが、源五右衛門殿のチャであれば、馳走になろう。願わくばシオ=ザケとオミオツケ、ザワークラウトなど所望したい」
何たる厚顔。六公子と呼ばれたニンジャはおかずまで要求した。
「辛すぎてわたくしが半分残した切り身なら、差し上げてもよろしくてよ」
「毒見役に見守られて食べる味気ないアブラヌキ=サカナよりは美味であろうよ。頂戴しよう」
ニンジャは柿渋色の面頬の奥で苦い笑みを浮かべた。
ニンジャがマツダイラ家の重宝・浪裏村正を一旦鞘に納め、ティーライスをかっ込むのを見ながら、
「正式にオタッシを出す前に言いたくないなら構いませんけど、こちらへはどのようなご用件で?」
「……美佐殿を斬らねばならなくなった」
ピタリと箸を止めたニンジャは、またしても面頬の奥で渋面になった。
「言われてみればその格好、ジョーイウチ(上意討ち)・エグゼキューションですわね」
ジョーイウチ・エグゼキューション!
そこらのコブシングミ(小普請組)の下位ハタモトならまだしも、ゴフナイで高位ハタモトの令嬢を処刑するとなれば、命を下したのはタイクーンその人に他ならない。
「馳走になった。流石源五右衛門殿の料理は大した業前」
夕餉をしたためたニンジャは腹を擦った後、おもむろに表情を引き締める。
「ユルゲン義秀・キラの娘美佐、その方タイクーンの三公子殿下の正室候補に選ばれるに当たり、不正があったこと既に明白。タイクーンを愚弄せし罪甚だ(はなはだ)軽からず、無用の手向かい致さず刃を受けるが良い」
ニンジャは改めてカタナを抜き放ち、八双に構えた。
「お嬢様がお使いになるには、いささか渋すぎます」
常々源五右衛門が苦言を呈してきたビゼン国のティーカップから、美佐は冷めたチャを口に含む。
そしてベルトから鞘ぐるみ三昧火兼之を抜き取り、柄に向かってエレガントに茶しぶきを浴びせた。ロング・ドスの目釘を湿らせるヨタモノの流儀である。
無実の罪を着せられた上、礼装のコウギ・カイシャクニンを送られるならまだしも、非公式にオンミツを送られては、正々堂々姫騎士として戦う気はさらさらなかった。
美佐のような高位ハタモトの令嬢が通うユシマ女学院では、放課後にお嬢様たちがドレス姿のままパーティを組み、ゴフナイの外にある悪所で数日居続けするなど日常茶飯事である。
ナカムラザへカブキ=オペラを見に行くにしても、ガールハント目的のロッポーモノ(六方者)を一刀でセイバイできるように、イアイを学んでおくのは乙女の嗜みだ。
「ブリュンヒルデ美佐・キラと申します。六公子様、ダンスのお相手をお願いしてもよろしくて?」
ドレスのスカートをつまみ、美佐は優雅に一礼した。
「先程からどなたと勘違いしているか存ぜぬが、それがしは一介のコーギ・オンミツ。ノウ・ダンスも知らぬ無粋者なれど、お相手つかまつる」
あくまで任務であるというていを崩さずに、ニンジャは型通りのお辞儀を返した。
タイクーンの六男であるベルンハルト忠実・マツダイラ(母親の身分が低く、タイクーンが国姓のトクガワを名乗る前のマツダイラ姓を与えられた)は、当人がシナノ国・トガクシのシュゲンジツに興味を持ったため、シナノでニンジャとして育てられた。
兄弟でも一番線が細く武に向かないと思われた忠実は、二人の弟に五人の兄、そして何より王国を守るためコーギ・オンミツの六郎太・マツダイラとして日々戦っている。
六郎太の剣で頓死とされた、悪徳官吏・奸商・ロッポーモノのボスの数は既に十指で数え切れない。
美佐もキョート・公家女学院の生徒と共に大江山の大悪所へ出向き、輝かしい武勲を挙げたことはオーエド社交界に知れ渡っている。
『剣とゼンは一緒だ』のスローガンを掲げる、王国指南役の剣など知ったことかと言わんばかりに、二人は殺意も露わに戦場往来の剣を交わした。
浪裏村正に三昧火兼之、いずれも迂闊に刃を合わせて、刃こぼれなどさせてはならぬ名刀である。闇夜に源五右衛門が灯した篝火の明るさの中で、音もなく旋風の剣が互いの急所を狙う。
『埒が明かぬ』
刃を合わせぬこと一百合、六郎太と美佐の剣はどこまでも互角であった。
明暗を分けたのは、剣以外で強敵に巡り合ったことのない六郎太と、妖術・法力を混ぜた武術を駆使する妖怪・怪僧などを相手にしてきた美佐の、経験の差と思われた。
明より遠き天竺より伝わったヨーガの呼吸で、天然自然から取り込んだ魔力と体内のそれを練り合わせ、六方を踏み、見得を切る。
シテとなった美佐が先に、剣と魔法とノウの幽玄・カブキの融合した荒事秘技『大江戸大魔術』を完成させた以上、ワキである六郎太はそれを受けて立たねばならない。
かつて師は美佐に剣を教えるに当たり、護身の剣『自衛大の剣』の奥義『月光の静謐の中で敵を斬る術』の伝授を持って免許皆伝とした。
だが、奇計奸策と合わせてニンジャ・剣豪を繰り出す西南諸王国や悪公家と戦ううちに、『死すの剣』へと変貌した美佐の剣は破壊の力を強めた。
師にも見せたことのない美佐の大技、それは日輪をも斬る剣。
大江戸大魔術十八番の一手『ジャストモーメント(暫・しばらく)』が一瞬で六郎太を弾き飛ばし、練塀に嫌というほど叩きつけた。 その動きは、武芸の心得がある源五右衛門老人にも、何が起きたのか全くわからないものであった。
「タイクーンが手練を送り込んでまで、罪人をカイシャクできなかったとゴフナイに知れたら一大事です。それはわかってますよね、姉上」
面頬を斬られて少年の顔を現した途端に、六郎太こと忠実はくだけた口調で言った。ブケの礼法を知らぬままにニンジャとして一人前になった忠実を、オーエド社交界で潜入任務が出来るまでに武士として仕立て直したのは、ユーソクコジツ(有職故実)を知るキラ家の面々である。両者は家族同然の付き合いがあるが、それを知るのは忠実の一家とタイクーン、オーエド政府重臣ぐらいであった。
「ええ、存じておりますとも。でも、六公子様にはかないませんわね。『ライトニング・プリースト【大江戸大魔術十八番・鳴神】』、本当なら紙一重の差で私より先に出せたはずでしょう?」
匿名で美佐の罪を訴え出た書状を、忠実はコーギ・オンミツの中でただ一人疑っていた。それは迷いを生み、美佐よりわずかに早く六方を踏みながら足をもつれさせた。
結局の所忠実は敗れ、美佐の処刑を一旦保留したことになる。
両者が嘘偽りのない剣で切り結んでいたことは、見届人としてキラ邸に潜伏している忠実の同僚が証明してくれる。
なればこそ、タイクーンの命による上意討ちに臨み、本気を出してまで討手がしくじったなどと、公にできるものではない。
ゆえに、この日のことは政府のあらゆる公式記録に記されない。
「それで、わたくしはどうすればいいのかしら?」
政府推薦の討手を叩きのめして、ただで済むわけもない。忠実以上の腕を持つ裏稼業の刺客もオーエドに皆無ではない。
だが、美佐は何事もなかったかのように、茶席に座って源五右衛門の入れ直した紅茶を飲んだ。
「とりあえず死んでください。仮の身分とカバーストーリーも用意してあります」
忠実も何事もなかったかのように、源五右衛門が来客用のカップに入れた紅茶を飲み、平然と言う。
「まあ……わたくし関東寺院(カンハッシューのダンジョンで死亡した冒険者を蘇生させる寺院。オーエドではゾージョー寺・カンエー寺・センソー寺がこれに当たる)に担ぎ込まれたことなんてありませんもの、死ぬのなんて初めてですわ」
まるでまだ潜ったことのない悪所の話を聞いたように、美佐は興味津々の笑みを浮かべた。
翌日、ユシマ女学院。
明国からやって来た儒学者・尼僧の明珍学院長が教室に入って来て、曰く(いわく)。
「皆さんに悲しいお知らせがあります。キラ・美佐さんが関東寺院の蘇生術も甲斐なく、昨日亡くなられました」
学院長はいつもと変わらない仏頂面で、美佐の取り巻きの女生徒も、興味なさげに『浅草薄本市』で売り出す衆道本の原稿を書いている。
「それと、我々教員にとって頭の痛いお知らせがあります。当学院はこの度エチゴでチリソース問屋を開いている大店のお嬢さんを、新たに生徒として迎え入れることにしました」
この場合のチリソースとは、南米から天竺に伝わって辛さを増した唐辛子で作られた、激辛ソースを指す。
ヨーガの行者やシュゲンジャはこのソースを用いた料理を普段から食べることで、口から火を吹く魔術を用いる。
また、あまりの辛さに意識が飛ぶということで、一部の仏僧はこのソースを舐めて生きたまま浄土への渡海を試みるという。
ともあれ、この場合学院長が言うのは「訳ありの生徒が来たから慎重に接しろ」ということである。
「ごきげんよう、お嬢様方。わたくし、コンスタンツェ光子・エチゴヤと申します。もしくはジェーン・ドゥと呼んでもよろしくてよ? ヤナギサワ=サン」
優雅にオジギした後、目から火を吹きかねないほどの怒りを込めた視線で、光子・エチゴヤこと美佐はカーミラお七・ヤナギサワを睨みつけた。
「あ、あの……そう睨まれましても、わたくしには何の遺恨かさっぱり……」
美佐は目の前で怯えるお七がそんな殊勝な性格でないことも、零細八百屋の娘が無理をして女学院に入学したという筋書きがウソであることも知っている。
お七の正体は下女との間に生まれた子ではあるが、タイクーンのソバヨーニンであるヘンドリック保成・ヤナギサワの娘だ。
知行地と王国の禄を食んでおきながら遊興に耽って、タイクーンの『今こそブケは優れた官僚になろう』というスローガンにも耳を貸さない(と保成は思っている)高位ハタモトや、失政の咎のある小藩をまとめて潰し官僚機構に取り込み、その頂点に立つタイクーンの権力を増そうと保成は画策している。
ウォーロード長慶・ミヨシの辺りから、デモンロード信長・オダまでの荒々しいブケの気風を、礼法によって除かんとするキラ家は、本来保成の味方のはずである。
だが、惣領姫の美佐は礼法を修めながらとんだヒョウゲモノであり、カブキモノであった。
キラ家もまた、保成にとって除かねばならぬ対象となった。
藩王国のエリートやハタモトの令息がいるショウヘイコウ学院と、ユシマ女学院の両方に保成は間者を送っている。
女学院側の『草』がお七であり、オオメツケに美佐のことを讒訴したのも彼女であった。
「モンキー・オペレッタなら諸国を旅して見慣れましたから、下手な芝居は不要でしてよ、ヤナギサワ=サン」
まったく目が笑っていない笑みを浮かべ、美佐はお七を見た。
「光子様なら飛び入りでモンキー・オペレッタに紛れても、違和感がありませんものね。お似合いですわ。ふふっ……」
二人の視線がぶつかって火花を散らし、むき出しの殺気に慣れていない普通の女学生が青くなる。
『いずれ叩き切ってくれる』
不倶戴天の間柄となった、二人の思考が一致した。
さてさて、悪役令嬢であるブリュンヒルデ美佐・キラ嬢の行く手にはいかなる出会いや難敵が待ち受けているのでしょうか。
それは、いずれ語られることもあるでしょう。
むしゃくしゃして書きました。
今は大いに反省してます。