130話★心の声と信じる心
「アドニス様の事はフレディにおまかせして、あたし、ちょっとユキのこと見てくるわ。ユキのこと、心配だし……」
エミリーがそっとこちらに来て、チラリと扉の方を見ながらそう言った。そんなに時間が経っていないので、すぐ側にいるだろうと思う。
「うん、わかった。私も一緒に行くわ」
私もユキのことが心配だし、幸いにもここには大人がたくさんいる。1人抜けても問題ないだろう。
「アンディ様、わたし達、ユキの様子を見に行って来ます」
近くにいたアンディ様にそう声をかけてから、私とエミリーは2人で学校を出る。キョロキョロと辺りを見回すと、ベンチの隅に膝を抱えて座るユキが目に入った。
私は先程との様子の違いに度肝を抜かれたが、エミリーは慣れた様子で近づいていく。エミリーはユキの近くに行くと、小さくため息をついた。そして、一言。
「あー、やっぱり。しょんぼりしているわ」
エミリーは呆れた様子だ。
たしかに、ユキは膝に顔を埋めており、纏う雰囲気が暗い。しょんぼりという表現がピッタリである。例えるなら、キノコが生えてきそうな程だ。先程までの冷たい様子がまるで嘘のよう。
「うるさい」
声をかけられたユキは顔を上げずに声だけでそう答えた。ぶっきらぼうな声である。
「先生、ユキは思ったことをすぐ言うけれど、すぐ後悔するのよ」
驚いている私に、エミリーがコソッと耳打ちしてくれる。なるほど……。
私がみんなと接し始めて少し経つけれど知らないことがたくさんね……。もっとみんなのことを知っていかなきゃ……。
「エミリー、聞こえてる」
ユキは少しだけ顔を上げてエミリーを軽く睨みながら言った。
「そーやって後悔するなら言わなきゃいいのにー」
ユキはきっと、真っ直ぐな人なのだ。良くも悪くも。だから、思ったことを口に出してしまう。
「無理。勝手に口が動くから」
そう言ってまた膝に顔を埋めてしまったユキ。エミリーはテッテッテと近づいていって、ユキの隣に腰掛けた。そして、ユキの様子を見つめる。その顔は心配そうである。
「人を傷つけるのはダメ。頭では分かってる」
ボソボソと話すユキ。それから、ユキは少しだけ目線をあげて、先程までいた学校の校舎の方を見る。
「……あの子は踊れるようになるよ。重心変えたら踊れる。ズレるのは体重のかけ方が違うから」
それから、そう確信めいた声で言った。ユキは踊りに慣れているから、何が足りないのか、どうすればいいのかが分かるのかもしれない。
「それをアドニス様に言ってあげればいいんじゃない?」
エミリーがそう言うと、ユキはふるふると首を横に振り、また膝に顔をうずめた。
「ダメ。ユキ、また余計なことを言う。傷つける。だから、ちょっと距離を置く……」
膝を抱えて震えるユキに、こちらまで悲しい気持ちになってくる。
別に素直なのは悪いことじゃない。確かに人を傷つけるようなことはダメだ。だが、ユキがそのせいで自信をなくして、自分自身を責めるのは悲しい。
どうしてあげればいいのだろう。何を言ってあげればいいのだろう。世界にはこんなにたくさんの言葉があるのに、分からない。慰められないなんて本当に情けない。
でも、私なりに言葉を届けるしかないよね。それが、少しでも彼女の何かに響いてくれればいいな。
ユキのそばに行き、その向かい側にしゃがんだ。すると、ちょうどユキを下から覗き込む形となる。それから、膝を抱えているユキの手をそっと握った。
「……ユキは素直な子なんだね。素直なのはいい事だよ」
まずは認めてあげたいなって思った。素直なことはいい所もあるから。このままだったら、自分の全部を否定してしまいそうだったから。自分のことをどうか嫌いにならないで欲しい。
「………」
ユキは私の言葉を聞き、少しだけ視線を上げた。そのどうして良いか分からないというような戸惑った視線とぶつかる。
「でも、傷つけた。いけないことした」
「うん。傷つけるのはいけないことだね。でも、それをこうやって後悔している。それはとても大事なことだと思うな」
「………」
「私ね、ユキの素直なところ、良いふうにみんなに伝わって欲しい。いいところを知って欲しい」
「……ユキもみんなに嫌われたくない」
ポロリと漏れた本音のような一言。それは不意に見せた心の声。弱々しい声音で紡がれたその言葉。
そう言ったユキの瞳には零れそうな涙が浮かんでいる。
「そうだね、そうだよね」
「ユキ、1回考えてから話そうって決めたりあまり話さないようにしようって決めたりした。でも、ダメだった」
「そっか、そっか。いっぱい悩んだんだね。偉いね」
「どうしていいか分からない。でも、こんなユキは嫌」
「そっか、変わりたいんだね」
「……うん」
「多分だけど、練習が大事だと思う。きっとユキはすぐに変わりたいと思っていると思うけれど、すぐに変わるのは難しいと思う」
「練習?」
そうだ、誰しも、何事も練習が大事だ。ゆっくりでもいいから、少しだけでもいいから、今日出来なくてもいいから、諦めず続けることが大事だと思う。
「うん、練習。少しずつ慣れていくの。最初は出来なくても、積み重ねるうちにきっと出来るようになる」
人間誰しも急に変わるのは難しい。徐々に出来ることからしていかないと、理想と現実が乖離して、どんどんしんどくなってしまうと思う。
「焦りすぎたらしんどくなっちゃうんじゃないかな。それから、一人で抱えててもしんどくなっちゃうんじゃないかな、と私は思うよ」
そう言うと、ユキの隣に座っていたエミリーが、ガバリとユキを抱きしめた。今にも泣き出しそうなエミリーは、涙を堪えるようにしながら話し始める。
「そんなに悩んでいるなんて知らなかった。軽いこと言っちゃってごめんね。あたしも一緒に考えるよ!」
「エミリー……ありがとう」
どうしたもんかなぁ。なにか力になれたらいいんだけど……。思ったことを口に出しちゃうってことは、多分きっと、考えてから話すのも練習しなきゃ最初のうちは難しいよね。
「じゃあ、一緒に考えよう。……例えば、一回考えるのが難しかったら、ゆっくり話してみるのはどうかな?」
「ゆっくり話す……?」
ユキがポカンとしながら聞き返した。
「うん、言葉が出てしまうのは仕方ないと思うし、すぐには止められないかなって思うから、話している間に考える時間をとるの」
止められないならゆっくりにすればいいんじゃないか、という実に安直な考えである。でも、これなら挽回が可能なのではないか?と思ったのだ。途中で舵のきりかたを変える、みたいな。
「多分急には無理だから、練習しないとだけどね」
「あたしもフォローできるように頑張るから!」
「……やってみたいかも……」
ユキがそっと顔を上げる。その顔はどこかまだ不安そうだけれど、ほんの少しだけ希望の光が宿っているような気もする。ユキの気持ちが少しでも前向きになる手伝いができたなら嬉しい。
「最後にひとつ。素直なことは悪いことじゃない!あなたは素敵な子だよ!」
「……うん、ありがと、せんせ」
「アドニス様のこと、どうする?なんなら、あたしが話をつけようか?」
エミリーがそう言う。だが、ユキはその言葉に軽く首を振った。
「……怖い……けど、話せそうなら話す」
ひとまず、前向きでよし。本人がこう言っているし、子ども同士のことだし、私もあまり関わりすぎないようにしないとだよね。
子どもには子どもの世界がある。
足りないところは手助けするけど、必要以上の手助けはダメだね。
「そっか」
ユキを信じよう。