入国審査
城門に辿り着くと、そこには軍服を着こなした門番の兵士が3人いた。
遠くから着の身着のまま荷物も武器も持たずに、のこのことやって来た私を待ち構えて、相対していた内の1人が、先立って挨拶する。
「こんにちは。ようこそ、我が国ドリミングへ」
「ど、どうも」
今、私の他に入国する者はいないからか、事務的ではない丁寧な対応を行う門番さん。
入国審査した経験のない私にとって、言葉の通じる日本語で落ち着いて応じてくれたことは、なんとなく心細かった私にとってありがたかった。これが、私の容姿と無防備さに目を着けて、ミニスカートにした制服から露出した太ももやら黒のニーソ、足下を見ていやらしい目つきで舐めた応対をされ、入国税と称して何かを吹っ掛けられるよりかは、幾分もマシである。
ただ、3人の男性にしっかりと見定めるような視線を向けられて真面目な態度をされるのは、逆に緊張してしまう。プラマイはゼロだ。いや、国の顔としての教育がしっかりと誠実に行き届いていることは、良いことなのだけど。
「我が国へと訪れた目的はなんですか?」
「あ、えーと、観光です」
ちょっと躓きながらも、特に問題はない、当たり障りのない回答をする。
「では、帰国のご予定は?」
「あ……それは、まだ決めてなくて……もしかしたら、しばらく滞在するかも……」
「そうですか。我が国では住民票などの届け出や納税の義務を果たしていれば、移民の許可は出ます。もし滞在が決まりましたら、役所へ赴いて必要な手続きを済ませてください。貴女の魔法能力は、どの程度使いこなせますか?」
「あ、私魔法は全然使えなくて、武術の経験も無いですから戦闘はほぼできません」
「え……」
私の回答に、3人とも一斉に目を見開いて固まった。なにか、そこまでマズイこと言っただろうか。あ、もしかして、対した自衛の手段も持たないのに国外の無法地帯を歩いて来たことが不審要素だったか。
「失礼! 魔法が使えないというのは、どういうことですか?」
「いえ、言葉通りの意味です。私には魔力はありません」
「ええ……」
私の発言に、呆然と固まる門番さん達。後ろの方で書記を務めているものでさえ、紙から顔を上げてペンを完全に止めて、「嘘……」と呟いて口をあんぐりと開けている。
そんなに、珍しいことだろうか。兵士ならば、魔法の才能がないから剣や槍などの腕を磨いて戦いに備えているというのは、どこの世界でも普通のことではないのか?
事実、3人とも腰には剣を携えており、書記の背には盾を、他2人は槍を装備している。それで皆、魔法も扱えると言うことなのか?
この場にいる全員が動かなくなったことにいち早く気づいた私の前にいる門番さんが、はっとして再び次の質問をする。
「すみません。取り乱しました。それでは、手の平を差し出して、その上に水素が出てくるようにイメージしてください。水素、分かりますか? 原子番号1番、H2ですよ」
「分かりますよ、水素くらい!」
そこまで私の頭を疑われるとは思わず、声を荒げて突っ込む。
それにしても、水素なんて分子、この世界の人には見えるのだろうか。そういう非現実的で不思議な目でも備わっているのだろうか。でも、見れたとしてもめっちゃ目が良くて特殊な顕微鏡並みに拡大できる……なんてわけはないだろう。たぶん、細かくて目立つ粒のように見えて識別できるとか、そんなんだろう。
言われた通り、私と門番さんの前に手の平を持ってきて、そこに水素を思い浮かべる。と言っても、水素そのものなんて見たなんてあるはずがない。せいぜい「水素」という字や、教科書で見たことある周期表の左上、原子の構造模式図とかその程度だ。
もし、私が魔法使いならば、それで水素が出せるのだろう。何か呪文やキーワードは無くてもいいのかどうかは分からないが、とりあえずやってみる。
しかし、どんなに時間をかけて頑張っても、ただの地球産まれの女子高生に、自力のみで手に水を出すなんて、できるわけがなかった。
その結果に、また国境検問所に静寂が訪れる。
次に口を開いたのは、私がここに来てから一言も発して居なかったもう一人の門番さんだった。先ほどの門番さんとは違い、左胸にバッジをつけている。上司だろうか。
「失礼! 王族のお方にご報告と判断を伺いますので、しばしお待ちください」 そう告げると、壁に掛かった受話器を手に取り、数秒後に繋がった誰かと連絡を取り合った。
「南門より至急、ご相談したいことがあります」
という言葉から始まり、現状を伝える上司の門番さんの声が響く。
当然、向こう側の声がこちらに漏れることは無く、信じられないと言った形相で報告する姿だけが目に映った。
私にとっては、水素が生み出せないなんて当たり前のことなのに、何やら大事のような緊迫感が漂う対応に、思わずビビる。
逆に、水素を生み出すことはこの世界の人ならできるだろうに。あ、だからか。普通は、おそらく誰にでもできるはずのことが全くできないから不審がられているのか。わたしが馬鹿で才能ないから、というようなことでは無さそうで、ちょっぴり安心した。
完全に手持ち無沙汰になった私は、同じく指示待ちの状態になったさっきの門番さんに訊いてみた。
「あの、魔法が使えないというのは、そんなに珍しいことなんですか?」
「えっ、ええ。この世界の動物は皆、多少なりとも魔法を扱えますからね。その辺の獣や鳥や魚なんかは、扱う魔法に偏りがありますが、我々人間は、想像力次第で色々な魔法を使えるのです。ですから、魔法を全く使うことができない、扱うための力がそもそも無いというのは、今まで聞いたことすら有りませんでした」
この人も、そんな人初めて見たと言いたげな様子で、彼は疑問に答えてくれた。
この世界の、と言うことはつまり、別にこの国が特別な魔法大国と言うわけではなく、何処でも誰でも基本的に魔法は使えるものらしい。
なのに、その調整が施されずに私だけ魔法が使えないまま送り出されたとか。これじゃあ、チートどころか誰よりも劣った役立たずじゃんか! 本当に大丈夫なの?
いやまて、落ち着け私。そう思わせておいて、実は隠された異能の力が秘められている可能性がある。ありふれた展開じゃないか。魔法殺しとか神術とか未知の力とか。それで十分に、あるいはそれ以上に戦闘とかで有利にできる可能性が!
【無いです】
突如、私の頭に伝わる無情な神の声。
(え……)
言われたことを受け止めきれず、呆然とする私。
【そんなのを与えるならば、敢えて等身大の普通の女子高生のまま召喚した意味が無いですから。わたしも、今時そんなありきたりな展開はどうかとは思っていたし。意外な力が発揮されてピンチな状況を一発逆転! なんてご都合主義な茶番をして興醒めされるのも怖いし。だから、魔法の力も特別な力も余計な力も与えずに、あなたをこの世界に召喚しました。大体、最初にありきたりな展開に難癖を示してたのは、あなたですよね?】
(ふぐっ……!)
そう言われると、何も言い返せない。
私の発言が、そんなに癪だったのか。それとも、実は最初からその設定で頑張ってもらうつもりだったのか。今となっては、もう分からない。
私はただ、前途多難な私の今現在と未来に、気持ち的に涙目になるしかなかった。
「もしかしたら……」
そう言葉を発したのは、さっきの門番さんだった。
「魔法を行使するための力は、生物のDNAの基礎として血に循環しているものだから、そこから考えていくと、もしかしたら……その……子作り、とかが……」
凄く、言い辛そうにしつつも自分の考える可能性を口にしてしまった門番さんに、奥でテーブルに座り書類を書いている、書記の兵士が声を荒げる。
「ルッツ! 駄目ですってそんなこと言っちゃ! 魔法は想像力が要なんですから、無闇に悪い推測で想像力を固めることはないでしょう! ほら、例えば、何か我々の知らない隠された力が眠っているとか、産まれた子供には影響がないとか、気の利いたことを考えましょうよ」
「いや、しかしだな……悪い推測はもっともだと思うが、事実を捻じ曲げるような力は流石に魔法には無いだろう。それに、子供は親から半分ずつの遺伝子を分け与えてできるものだから……まあ、婿の方が強い魔力を持っていればカバーされるかもしれんが……」
「あの……もう、いいです」
「……すみません。不用意な発言をしました」
苦しまれなフォローに耐え兼ねた私は、それ以上を中断させた。
別に、その事実はそこまでダメージにはなってない。向こうの現実世界にはいつでも帰れるらしいし、所詮、この魔法の世界でのあれこれの経験は、ただの無意味な道楽でしかない。それに、やろうと思うなら、この世界の孤児を引き取れば良い。浮浪児は、一人孤立しているならいいけれど、仲間同士で集団を作っていたら、孤児院の児童よりも揉めそうだから遠慮したい。
ただ、何れにしても私は、今は上からの命令が下されるまで、大人しくしているしかなかった。
しばらくして、連絡中の上司さんが返事と了解の声を繰り返すようになり、やがて受話器を話して壁にかけると、私の方へ体を向き直った。
「すみませんが、入国にあたり貴女に規約事項がございます」
そう言って聞かされた内容は、次の通りだった。
・国内で犯罪を犯してはならない。我が国の詳しい法律については、教会にて無料で閲覧ができるが、基本的には、常識的に考えて他人に迷惑が掛からないようにすればほぼ問題はない。
・税金は、出国税以外は、店や施設の者が代金や給料を受け渡す時に差し引かれて、別途管理されるものであり、普通に雇われ仕事で生計を立てる場合ならば問題はない。もし、個人事業を始めるならば、役場へ趣き然るべき手続きと注意事項を受けて許可を貰い、定期的に納税すること。
・宿泊先や仕事の斡旋は、こちらでは行わない。我が国にはハンターギルドがあり主な依頼はそちらが管理しているので、日銭を稼ぐために利用することを奨める。また、宿泊先については、自分で好きに検討し、決めてほしい。
「それで、ですね。申し訳ないのですが、これは特例措置なのですが……」
・この度入国する女性については、我が国での出産を禁じる。交際については制限しないが、もし万が一解任した場合、直ちに産婦人科のある病院へ赴き、避妊すること。これに違反した場合、女性は国外追放、子供については病院で処分されるものとする。
「以上が、大まかな規約となりますが、同意していただけるでしょうか」
「はい……分かりました。同意します」
もう、私の腹は決まった。こうなったら、その条件でやってやる。
「ありがとうございます。それではこちらの誓約書にサインをお願いします」
そうして差し出された紙を改めて読む。用紙1枚のそう長くはない内容なのでしっかりと確認し、齟齬が無いと分かったため、言われた通りに下記の棒線が引かれた余白にフルネームを書き込む。
あ、つい日本語で書いちゃった。まあいいか、この人達が喋っているのも日本語だし、そのくらいは自称神もさすがに融通を聞かせてくれるだろう。でないと、何も話が進まない。
「はい、確かに承りました。それではこれにて、入国審査を終わります。どうぞ、我がドリミングでの生活を楽しんでいってください!」
そう言って、兵士が手を上げた瞬間に、ハンドルも何もなしに一人でに金網の門が持ち上がった。始めて目の当たりにした魔法の力を眺めつつ、私は門をくぐる。
いや、考えてみれば、あの電話もこの世界からしたら魔法による技術の賜物かもしれないが、あの程度ならば私も見慣れてて、そこまでカルチャーショックは感じられなかった。
ともかく、いよいよこの国、ドリミングに(安直なネーミングだなぁ)入った私の視界には、様々に個性的な、建物と通りを行き交う人々の姿が映った。