暇を持て余した人々の戯れ
「どうかしたの?」
はっ! いつの間にか、私は動揺して戦慄して黙り込んでいたようだ。この娘の丸い瞳が、私の顔を覗き込むように見ている。
やっぱり、ダメだ。このままでは、お互いに惨めな結末を迎えてしまう……!
「いえ……ちょっと、考えごとをしていたの」
なんとかして、断ろう。この、純粋そうで危うい娘の頼みを。
「そうなんだ。それで、大丈夫そう……かな?」
控えめに可愛らしく首を傾げても無駄だ。……まあ、一般の女子相手にそんな仕草をしてもしょうがないことくらい、分かるだろう。天然じゃなければ。
私は、私の心の制限装置を解除して言う。
「却下! 辞めておいた方がいいわ。だいたい、こんな頼み私じゃなくてもいいでしょう。なんでよりによって私なの!」
先述のとおり、普段はこんな話し方はしない。
だが、今回は違う。こいつに酷く逆切れされようとも、この話を破談し、初対面の私とも疎遠になってやるのだ。そのために、私は口調を荒げて思いのままに批判する。
「え……いやだって、あなたしかいなかったもん」
彼女は、戸惑いながらも言い切った。
「どうして!」
まだ、質問に答えきってない。さらに私は尋ねる。
彼女は、自分の考えをまとめながら言った。
「うーんと……まず、あなたはネット小説が好きなんだよね? それも、私の同じタイプの。私が書こうと思っている小説もそれ系だから、気の合う人に協力したほうが、やりやすいかなって」
「ふーん……」
それはまあ、理解できる。でもそれぐらい私以外にもいるんじゃないだろうか。……意外といないかもだけど。
その辺の人を迂闊にTRPGに誘ったって、ついていけるだけの想像力があるかと言ったら、肯定できない。
「あと、同じ女子だからってのもあるかな。男子だと……なんか、無理矢理に展開を持っていきそうだし」
「んん? それを言うなら、私だってあなたの意にそぐわなかったら、やりかねないわよ?」
「それは……まあ、そうかもだけど。でも、頭ごなしで力押しな修正の仕方は、しない……よね?」
「う、うーん……」
言われてみると、そのきらいはあるかもしれない。強引に傲慢な展開に持ち込まれた挙句、無責任に放り投げる身勝手な奴には、この娘も頼まないだろう。
だいたいそういうのは、そこらの男子か、自己主張と願望の強い女子に当てはまりそうだ。偏見や見落としの可能性はあるが。
……私は、どちらでも無さそうだったからか。
「あと、わたしの、こんな突拍子もない提案を話してしばらく経っているけど、まだ帰ろうとはしてないよね? それって、この話をよく考えてくれているってことかなーって」
「うぅ……」
確かに、気づけば考え込んでしまっている。けど、それは後付けだろう!
そもそも、私はこの話を断るのが目的だったはずだ。ならば、彼女の不安通りに帰ってしまおうか。
でも、その前に1つ言っておきたい。
「……まあ、そうかもしれないけれど、それでも私を指名することないじゃない。もう感じているだろうけど、私は、愛想の良くない根暗でコミュ障な喪女よ? 助けを求めるにしても、もう少し人を選びなさいよ。じゃないと、テンプレ主人公乙! って、読みもされないうちにブラウザバックされるよ!」
本当は、溜め息吐きたいくらい呆れてたが、そこはぐっと堪える。
「うぅ……」
彼女は、痛いところを突かれたと言わんばかりにうなだれる。
「だって……」
それでも、この期に及んでまだ諦めていなかった。
「だって、なによ?」
私が問いただすと、ぽつりぽつりとと応えた。
「早く……わたしの世界を展開して、話を進めたかったんだもん」
なんだ。ただ堪え性が無かっただけか。
「だったら、そこは何とか我慢するのね。もっと個性的な人でも探して……」
「そんな人が、わたしの物語に付き合ってくれるの? ずっと? 毎日放課後に?」
ついに、彼女に逆切れ……というより詰問されてしまった。
考えてみれば、それも望み薄そうだった。そういう人はそういう人なりに、忙しい日常を謳歌してるだろう。
物語を紡ぐというのは、かなりの時間を要する。彼女一人のために半永久的な時間を割けそうには無さそうだった。
「じゃあ、暇人とかは……」
ぴっ! と彼女に人差し指をさされる。
「私以外の!」
ぱしっ! と彼女の手を叩き落とす。
あぅ! ってリアクションが返ってきた。
「もうこの際、あなたでもいいの! こんなにノリが良くてネット小説に詳しくて、至らなかったらハッキリとツッコミをくれそうで、わたしにいっぱい時間を割いてくれそうな、あなたがいいの! お願い!」
ぱんっ! と彼女が手を叩いて拝み出した。さっき、神になりたいと志望した人が。
散々言ってくれたが、ここまでハッキリと、私なんかを必要としてくれたのもいつぶりか……。もしかしたら、初めてかもしれない。
ちょっと揺らいでしまう。でも、だからって安易に落とされるのは癪だ。まるでチョロインみたいじゃないか。
「そもそも、異世界転移にする必要はあるの? 普通に、異世界の住人を主人公にしちゃだめなの?」
たぶん、次はそっちの方が流行りそうではあるが。
「あ……」
手を合わせたまま、彼女はぽかんと口と目をを開け、固まった。思考を巡らせているようだ。
「いや、この際、やっぱりあなたを転移させたいかな。色々と都合がいいし、わたしもやってみたかった試みだし」
「ふーん……」
まあ、もう、そうしたいなら、そうすればいい。
確かに、異世界転生系は初心者の作者にとって書きやすいジャンルだ。
主人公のそれまでの人間関係をリセットでき、既に異世界の設定はテンプレになっているから、オリジナリティを発揮できるよう、諸々を自分なりに最適化するだけでいい。
現実のややこしい仕組みも完璧に覚える必要もなく、スススーっと物語を始める環境は整えられる。あとは、キャラという大事な駒を、適切に動かしてみるだけだ。
「……本当に、私なんかでいいの?」
再度、この神様候補生に確認を取る。
「うん! 是非、お願いしたいな!」
彼女は、もうここまで来たら、迷いなく目を合わせて元気に即答した。
「根暗でコミュ障な喪女でも?」
「うん! っていうか、言うほど暗いとかは思ってないよ。ちょっとおとなしめで繊細だけど、芯はしっかりしているし、割と面倒見の良い子って感じてる!」
「そ、そう……」
ちゃんとこの娘は、そういう風に私を評価くれてる。他人と過ごすよりも自分の時間が好きで、同情なんか気にしないで言いたい事言って、それでも悪い印象にならずに受け止めてくれたのは、間違いなく初めてだ。
「それに、繊細なのにわたしに物怖じしないで自分の意見を言ってくれたってことは、少なからずわたしのことを気にかけてくれているんだよね。ってことは、わたし達は良い友達になれるかもしれないって思っているんだけど、どうかな?」
「うぅ、うーん……」
良い友達。わたしが、この娘と。それは、この先私にとって、どんな影響をもたらすのか……。
「あとね。やけに自分のこと卑下しているみたいだけど、そんなの気にしなくたっていいよ。根暗でコミュ障って言っているけれど、それって、周りと合わせられなかっただけでしょ? 常識という鎖でみんなと繋がりたいとは思えなかっただけ」
そうだろうか……。そうかもしれない。
「わたしはそういうの気にしないし、むしろそういう人だからこそ、わたしの世界で“あなたらしさ”をどんどん発揮していってほしいな。似ているところもあるかもしれないけれど、没個性にはならないと思うから!」
……そこまで言うのなら、試してみてもいい、かな。
もともと、これからの予定は無かったのだ。ならば、この娘の創造した新世界に付き合ってやるのも悪くはない。ただ、ちょっと気がかりなところはあるが。
「……その、あんたが創った世界だけど、ちゃんと設定はできているんでしょうね? 世界の成り立ちとか、時代設定とか、人々の営みとか」
「うん! もちろん、ばっちりだよ。もうスマホのメモに記録してあるから!」
屈託のない顔で返事してきてくれた。
「そう……」
私は安心した。どうやら、既に世界の構築はできているらしい。いちいちそこで躓いて歯切れの悪い思いをする心配は無さそうだ。あとは本当に、誰かが主人公として新世界に降り立つだけである。
「そこまで言うなら、良いわよ。やってみても」
「本当? やったー嬉しい! ありがとー!」
彼女は、両腕を上げて喜んだ。
まあ了承はしたけれど、実際のところ、この、暇を持て余した新世界の神(自称)の戯れが、功を成すとは微塵も思ってない。いずれは現実を知り、全ては退廃し、崩壊していくだろう。
これは、所詮、それまでの暇潰しに過ぎない。
「それで、どうやって私を異世界に転移するの?」
新世界の神を自称する彼女の、どこにそんな力はあるのだろうか。
「あ、うん。任せて! とっておきの秘策があるの!」
お遊戯みたいな地味な物だと思っていたけれど、自信満々に宣言された。意外だ。そんなものが本当にあるのか?
「まずね、目を閉じてみて」
一体、何をするつもりなのだろうか。不安と期待が渦巻くなか、自称神の仰せのままに眠るような格好をする。
「ゆっくり、深呼吸をして……。落ち着いて……。心の深淵を覗くような感じで……。いまは、そこに何もないけれど、やがて道は開かれるから……」
言われた通りに、ただ、彼女のゆったりとした声に、従うままになる。
そこから先は、朦朧とする意識の中で、何かを試すような動作をしたり、説明を受けたり、よくは覚えてないけれど、久遠のような時が流れた。
やがて、いつの間にか、謎めいた儀式は最終段階に入っていた。
「それでは、早速行きますよー! 3……2……1……0!」
その時、不思議な事が起こった。ような気がした。