夜の町連続ドリーム
「おじさん、どうして笑っているの?」
「それは、お前に会えたからだよ」
「ふーん。どうして私なの?」
「さあ。神様のお導きかもな」
「ねえ、ほんとうに神様っているの?」
「居るかもな。会いたくは無いが」
「私は会ってみたいな。会って色々と聞いてみたい」
「やめとけ、どうせロクでも無い奴さ。代わりに俺が答えてやるよ」
「じゃあ……どうして海は大きいの?」
「人間がちっちゃすぎるんだよ」
「どうして月は明るいの?」
「裏側が真っ暗だからだな」
「どうして星は綺麗なの?」
「俺らじゃ手が届かないからだ」
少女は頬を膨らませた。
「……おじさんの答え、つまんなーい」
「ガキは夢見すぎなんだよ」
「おじさんは夢を見てないの?」
「寝れば見るが、今は起きてる」
「ほんとうに?」
「……何が言いたい」
「私には、おじさんが起きてるようには見えないから」
「俺が寝てるって言うのか?」
「夢をみてる」
「馬鹿言え。俺はとうの昔に夢に負けたんだよ」
「嘘。夢はそんなんじゃない」
「……意味わかんないこと言いやがって」
俺と少女の間に、沈黙が降りる。
人が通るはずも無く、ただ波の音だけが騒がしい。
「お前。ちょっとこっちに来い」
「どうして?」
「肩に乗せてやる。ちょっとは星に近づけるだろ」
そう言うと、少女は嬉しそうに近づいて来た。
思ったよりも遙かに軽かった。
「おじさんはどの星が好き?」
「星じゃない所が好きだ」
「私はね、あの赤い星!」
「ありゃ赤色巨星だ。もうすぐ消える」
「まるで私たちみたいだねー」
「……ああ、誰がいつ死ぬかなんて分からない」
「でも生きてる!」
「…………」
「あの星は今も輝いてるし、おじさんだってちゃんと生きてる!」
「……そうか?」
「だから、そんなの要らないよ!」
「……!!」
少女は、俺の右ポケットを指さしていた。
「お前……なんで……」
「ごめんなさい。さっきの見ちゃったの」
「……そうか、そういうことか。どおりで…」
俺は、少女をそっと下ろした。
「ひとつ、聞いてもいいか?」
「分からなかったから」
「あ?」
俺はまだ何も言っていないのに、少女は力強く答えた。
少女は続ける。
「恐いけど、知りたかったから」
「……何を」
「どうして、あのとき、笑っていたのか」
「……俺は……笑っていたのか?」
「うん。ここじゃない、どこかで」
「……それは、どこだ」
「さっき言ったもん」
「……何を言っているのかと思えば…。俺は負けた。負けて逃げたんだ」
「違う! おじさんは今もどっぷり浸かってる」
「負けたんだ! それでいいだろ!」
「負けるものじゃない。勝つものだもん」
「はあ?」
そんな俺の煮え切らない反応に、少女は叫んだ。
「負けて終わるようなものじゃないの! 勝つまでずーーとそばに居るの! おじさんはまだ勝ててないだけ! だから今もずーーとその中に居るの!」
凄まじい剣幕だった。
何も言葉が出てこなかった。
少女の言葉を何度もなぞった。
何も難しいことでは無い。
それは夢見る少女の理想であり。
それは一人の子供の期待であり。
それは世間知らずの勝利宣言であった。
「夢から逃げたんじゃ無い! 現実から、夢に逃げ込んだの! だからおじさんは笑ってたんだ! 夢の中では何をしてても楽しいんだもん! でも、それっておかしいよ! ちゃんと生きてよ! おじさん!」
死ぬほど傲慢で、貪欲で、楽観的で
酷く独裁的で、自己中心的で、直接的で。
使い尽くして見飽きて捨てた物を、もう一度拾わされる感覚。
だからこそ、負け犬の心には刺さった。
俺は下を向いていた。
少女は肩で息を切りながら、ずっと俺のことを見ていた。
「……お前、誰なんだ」
「私? アカネだよ」
「いくつだ」
「もうすぐ十一歳!」
「……ほんと、意味分かんねえ」
「おじさん、どうして笑っているの?」
「さあ? お前に会えたからかもな」
「なあ、お前の夢って何なんだ?」
「私は……星に会いたい!」
それって……
「宇宙に行きたい!」
「……ほんとに神でも居やがるのかよ」
「なになに? なんか偶然でも起こった?」
「アカネ、何か持病はあるか?」
「?? 無いよ! なーんにも」
「なら、牛乳をいっぱい飲め。チビすぎると宇宙には行けない」
「チビじゃないもーん」
「後、一番は勉強だ。本当に宇宙に行きたいのなら、死ぬ気で勉強するしかない」
「私、勉強苦手なんだけど……」
「大丈夫だ。きっと」
失敗した俺が言えることでは無いが、アカネになら出来る気がする。
そんなことを考えながら、遠い空を見つめていた。
「あのね、おじさん」
空を見ながら、耳だけを傾ける。
「私、そんなことしなくても、星に会えるんだよ。すごいでしょー」
「はあ? なにを言って――」
視線を空からアカネに移すと、そこには誰も居なかった。
アカネの姿は消えていた。
夜の空が、アカネを飲み込んだかのように。
俺はそのまま立ち尽くした。
首に何かが張り付いている。
はがして、街灯に当てて見ると、それは一本の赤い髪だった。