三
文字通り、俺は何度も死にかけた。
ノーリとの修行は、ノーリとひたすら手合わせをすることだった。
「最低限使える戦闘力を身に着けるなら、何度も死線をくぐらなくてはならない。倒れようと気絶しようと、何度でもだ」
ノーリはそう言って、容赦なく木剣で俺をたたきのめした。
気絶すると体に活を入れて強制的に起こされた。ふらふらだろうが、胃の中のものを吐こうが、血を出そうが、構わずノーリは俺を打ち続けた。
どれだけ木剣を向けても、ノーリにはかすりもしなかった。
ひと月、ふた月。
ノーリとの手合わせは六十日以上続いた。
手合わせの合間は家の仕事もせねばならず、ふらふらでぼろぼろの体でも、飯を作ったり、畑を耕したり、薪を割ったり、水を汲んだり、生活に関することも全てやった。
きつすぎる仕事だったが、ノーリは無駄なことは一つもないと初めに俺に語った。こうした仕事も、重要なのだろう。
修行に関して言えば、死すれすれの状況という表現はおおげさではなかった。
ノーリの剣筋は真剣そのものだ。死ぬ気で受け、避けなければ、脳をかち割られそうになるし、胴を突き殺されそうだった。
俺は素人だが、それでもわかる。ノーリは相当な剣の達人だ。老いも、全く感じさせない。
行商の旅をしていた時、ノーリはいつも腰に短めの剣を差していた。本来はあれで戦うのだろう。木剣だから死なないで済んでいるが、本物の剣だったら、俺はすでに何百回と死んでいる。
日々の修行の繰り返しで体は悲鳴を上げていたが、心はくじけてはいなかった。というよりもただひたすら修行についていくことで必死だった。短期間で技能を身に着けようというのだ。簡単ではないことは覚悟していた。
ノーリは修行以外の時間は俺と一緒に畑を耕したり、書を読んだりしていた。
彼の畑の栽培方法は、変わっていた。
俺がいた村では、家畜の魔物や人間の糞を発酵させて畑にまいたり、賢者の果実の落ち葉などを堆肥にしてまいていた。植物には肥料が必須だからだ。
だが、ノーリはそういうものは一切使わないのだという。それでも、立派な作物が育っていた。彼が行商に出ている間は、弟子が一人いて、彼が家と畑を管理していたらしい。
「植物に肥料が必須だと、誰が決めた。野山の植物は、誰かに肥料を与えられているかね? 人類の考えた固定観念にとらわれるな。畑も、剣も、商売も同じだ。常に考え、常識を疑いなさい」
ノーリはことあるごとにそうしたことを俺に語った。
たしかに、その通りかもしれない。
ノーリと行商をしていたときも新しい価値観を与えられてばかりだったが、ここにきてからもさらに様々なことを教えられた。
翌日も早朝から手合わせだった。
ノーリはすでに手合わせするための広場に出ていた。
「おはようございます」
「おはよう。身体はどうだ?」
「さすがに慣れてきたのか…痛みや鈍さはありますが、最初のときほど思うように動かせないということがなくなりました。今でも十分動かせます」
「自分では確認しにくいだろうが、すでにふた月前よりかなり身体が出来上がっているな」
「そうですか?」
たしかに自分の身体を見回すと、全体的にがっしりした気がする。
「…ただ手合わせするだけでなく、川への水くみとか畑とか、常に全身使ってきたことも効果があったのかもしれませんね」
ノーリが大きくうなずいた。
「その通り。すべての動きは身体の修練につながる。無駄な動きなど一つもないよ。どうやらエイユは筋が良い。一つひとつの仕事を手を抜かなかった。今なら私の剣をすべて受けられるだろう」
言われてみれば、そうかもしれない。
昨日の時点でも、かなりノーリに打ち込まれることが減った。気を失う事も無くなっていた。あまり自覚していなかったが、もしかしたら、強くなれているのかもしれない。
「ありがとうございます」
深く礼をする。
「ここからはもう一段前に進む」
そう言ってノーリは、剣を渡してきた。
「これは…真剣ですよ」
ずっしりとした金属の重さが手のひらから伝わる。木剣と同じくらいのサイズ。ノーリがいつも腰に差していた剣と同型だ。村で護身用に買った短剣より三倍は長い。
「真剣で…やるのですか?」
「そうだ。誤れば、死ぬぞ」
ノーリが、自分の腰の剣を抜いた。
背筋を冷たい汗が流れた。どっと汗が噴き出る。
「本気ですか!?」
「無論。来なさい」
やるしかなかった。
ノーリは本気で俺を殺しにかかってきた。
死を感じる剣撃が、幾度もあった。致命傷となるような剣筋のみは確実に防ぐことに努めたが、身体中を浅く切られた。鋭い痛みが全身を襲っている。木剣のときとは勝手が違った。
「死線を何度もくぐってきたことは、お前を無自覚にも鍛えた。今のお前は、死につながる攻撃を確実に防ぐ技術がある。それは、護衛という仕事において必須だ。お前が死ねば、護衛対象も死ぬ。お前ひとりだとしても、お前が死ぬ。守りが堅いのは、それだけ強いということだ」
「ありがとう、ございます……」
「明日からも真剣でやるぞ」
ノーリは一足先に家に戻っていった。
次の日からも、ノーリとの真剣での修行は続いた。
こちらは切り傷だらけだが、ノーリには切り傷一つつけられていなかった。
「エイユ。お前は私を斬ることを恐れている。ここという時の剣筋が鈍い。それではいざというとき役に立たないぞ」
ノーリはそう言って何度も俺に本気で斬りかかるよう催促してきた。
だが、どうにも抵抗がある。木剣とは違う。斬れば人が死ぬのだ。魔物とは違う。
「心配しなくても、お前に斬られるほど、私はまだ老いていない」
六十過ぎの老人にそれを言われるとは。
とにかく打ちかかるしかなかった。
真剣での修行に変わってから十日が経ち、二十日が経ち、ノーリとの三か月の修行も最期の週にはいっていた。本物の剣の重さや扱いにも慣れた。
ノーリと食事をしていた。畑でとれたタロと鳥類型の肉を煮込んで香辛料を効かせたスープだ。裏手の山で採れる山菜を揚げたものも作った。
「エイユ。もし、夜盗や山賊に襲われたらどうする。斬れるかね」
相変わらず、ノーリに傷を負わせることはできていなかった。
「わかりません」
「その時が来て、斬ることができず、殺される。そういうことだけはないようにしなさい」
「……はい」
「私はあくまでお前を一定以上の強さにすることしかしない。人を斬って殺すという経験は、しなくて済むのならしない方が良いものだ。その一線を超えるかどうかは、己で答えをだしなさい」
「はい」
「明日からは、手合わせは終わりだ。山へ行く」
「? わかりました」
どんな修行をするのだろう。
食事がすむと、ノーリは後片付けを言いつけて、自室へ戻っていった。
翌日、俺とノーリは家の裏山へ入った。
「そういえば、なぜノーリはこんなところに家を?周りには人家もないし、山沿いでは魔物に襲われてしまいませんか?」
道なき道を分け入りながら、俺はノーリに尋ねた。
「私と行商をしているときも、凶暴な魔物は寄ってこなかっただろう」
「そういえば」
「旅のときも、この家でも、常に私が気配を発しているからだ。魔物は気配に敏感だ。危険を感じる相手には近寄らんのよ」
「け、気配!? 考えたこともなかった……」
そんなことが可能なのか。
「いずれお前もできるようになる。少し鍛錬すれば、気配を自在に操れるようになるだろう」
「はあ…」
「私が家にいなかった間は、弟子が家も畑も守っていた。弟子も私が鍛え、気配を操ることができる。旅をしたり、人里離れた場所で生きるなら必須の技術だよ。旅の護衛人をする時にも役立つだろう。弱い魔物はそもそも近寄らなくなるのだからな」
「なるほど」
戦いの技術は、奥が深い。実際、剣の腕は自分でもかなり上がった気がする。だが、剣が使えるだけでは人の法が通じない自然の世界で生きるのは難しい。
「今日から一週間は、ひとりでこの山で生活しなさい。私は家に戻り、気配を消す。これまで大人しく潜んでいた魔物たちはお前を狙って襲い掛かってくるだろう。生き延びなさい。一週間経ったら迎えに来よう」
かなりの奥地まで入ったところで、ノーリはそう言って有無を言わせず去っていった。
旅をして生きるなら、魔物との戦闘経験や知識は必須だ。山は魔物の数も種類も多い。ここで魔物と戦いながら、それを身に着けろということか。
下手をすると、ノーリとの手合わせよりも死ぬ危険が高いかもしれない。どんな魔物がいるかわからないのだ。
その晩から、俺は恐怖と不安に襲われた。
明らかに、山の気配が変わったことを感じる。これまでは危険を感じない静かな山だと思っていた。だが、今は様々な生き物の気配を感じる。
きっと、ノーリが気配を消したのだろう。潜んでいた魔物たちの蠢く様が感じ取れる。
火は焚いていたが、どこからか見られている感覚がずっと続いていた。
もう、魔物は俺を狙っている。
俺は、生き延びられるのか。