その四
「俺がフェニルの部屋へ入ることが何故『大丈夫ではない』んだ?」
己の中では嫌味を言ったつもりなのだが、ジュークは全く気にした様子もなく問うてきた。
「……まさか他の女性の部屋にもこのように忍び込むのですか?」
「女の部屋で入ったことがあるのは母親の部屋とこの部屋だけだな」
その言葉にフェニルは、はぁとため息をつく。この男は母親と同じような存在にフェニルを見ているのか、と。
「私も一応『女』なのですが」
呆れたように言えば、急にジュークが真面目そうな顔を向ける方
「ああ、判っている。だがそれ以上にお前は……」
言いながらフェニルの後ろにながしている長い亜麻色の髪に軽く唇を落とす。
「俺の妻だ」
バッと手を払いのけ、フェニルはジュークを睨みつけた。しかし顔は耳まで朱に染まった状態である。迫力などあったものではない。
「な、何をするのです!」
フェニルが叫ぶ。それに対し、ジュークはきょとんとした間の抜けた顔を返した。
「……嫌だったのか?」
「いっ嫌に決まって……」
最後まで一息で言い切ろうとフェニルは大きく息を吸って答える……つもりだったのだがジュークのしゅんとした顔を見ているとそう強く出ることもできない。ジュークとて悪意があったわけでも不埒な考えがあったわけでもないのだろう。
「……いえ。その行動を好む、好まないの問題ではございません。その行動は淑女にするにはずいぶんと刺激が強い、といいますか。正直、『はしたない』行動ですわ」
「そうなのか」
勉強になった、と微笑むジュークは何も知らぬ子供のようである。その純粋さはある意味でフェニルに安らぎを感じさせた。
「他には何がいけないんだ?」
「他に、ですか」
お人好しな面のあるフェニルは純真な目を向けられて、そう無下にできず「具体的には?」ときく。
「共に食事をとることは? 相手の意識があるときに部屋に入るのは悪いことなのか?」
「食事をとることはむしろよろしいことかと存じますわ。相手の許可をもらえば部屋に入ることは悪いこと、とはとられませんわね。まあ多少外聞が悪い場合もありますけれど……」
ふむふむとジュークが頷く。それを微笑ましい気分で見ていると、ふとジュークの隣に置いてあるクロッシュで覆われた銀のトレーが目に入った。
「ジューク。これは何ですの?」
中は見えないが食べ物かと思われるそれを指さしてジュークに問う。ジュークは「忘れていたな」と一言呟くとそれを手に取った。
「今日の夕餉に顔を出さなかったのでな。届けに来たのだ」
すっかり忘れていたようで、はははっと笑う。なるほど、それでフェニルの部屋に来たのだな、と今さらながら理解する。
(というかもうすでに夕餉の時間は過ぎていたのね。気がつかなかったわ)
「それは、その……ありがとうございます」
いたたまれない気持ちになり、礼を述べた。理由もなく勝手に部屋に入るはずがない。
「体調が優れぬのかと思い、粥を作ってきたが……フェニル、食べられるか?」
そんなフェニルの思いをよそに銀のトレーのクロッシュを取り、問うてくるジューク。
「体調は問題ないのですが、ただ……ドレスが汚れてしまいますわね」
フェニルが申し訳なさそうに……いや、事実申し訳ないと思っているのだが、断る。
今着ているドレスが公爵家からのフェニルのただ一つの持参品だ。あまり汚したくはない。
話からすると粥はジュークが自ら作ったようなので好意はありがたく受け取りたいとは思う。けれどさすがにジュークの前で着替えるわけにもいかないし、また使用人を呼んでもいいが、そうすると粥は冷めてしまうだろう。
「そうか……」
思案するジューク。すると何か思いついたのか、匙を手にとって自分の傍へトレーを近づけた。
「フェニル」
「何ですの?」
名を呼ばれ、ジュークと目を合わせるフェニル。
それを確認したジュークはフェニルの顎に手を触れた。そして……
「これならばドレスは汚れないだろう?」
その手でフェニルに上を向かせ、丁寧にフェニルの口へ匙で粥を流し込んだ。
フェニルは羞恥で赤くなり、声にならない悲鳴をあげる。はしたない、だとかそういうレベルの話ではない。
まるで恋人同士のような、そんなやり取りではないか。今すぐこの場から逃げ出したい気分だった。
「……それも非常識な事ですわ」
「そうなのか?」
悪びれた様子もなく返すジュークに、フェニルは頭をかかえる。
(誰かこの男に常識を教える人はいなかったのかしら!)
そう叫んでしまいたいくらいだ。
「少しずつ人間の常識も覚えてくださいますわね?」
未だに火照る頬をうつむいて隠しながら『拒否なんてさせないわよ?』と、強制的にうなずかせるような言葉を発する。
ジュークもその気迫は伝わったのか、はたまた何も考えていないのか言った。
「そうだな。明日も来て良いか? いろいろと人間の常識とやらについて教えてくれ」
フェニルは悩んだ後、「あまり長くは居座らないで頂戴」と高飛車な態度を返す。
(今日のことも、不快ではなかったわね)
などと考えながら。
かいてる方が恥ずかしくなるジュークの馬鹿さ加減……