その十五
一番古い記憶は、『よろしく』と自分に右手を出す八歳ほどの少年と、その少年の隣に立つ母親の姿。
母親は優しく微笑み彼をジュークに紹介した。
「この子はラフィットと言うの。今日からあなたの兄として接してあげてね」
ジュークはおそるおそるラフィットと握手を交わす。
彼は満足げに笑って頷いた。
その後ラフィットは母親に部屋で待っていて、と言われ外へ出て行った。
「ジューク、大事な話があるの。ラフィットのことよ」
扉が完全に閉じると自分に目線を合わせ、ふと真面目な顔で母親が口を開いた。
「ラフィットは少し前に人間に襲われた村の生き残りなの。
ラフィットもお母さんとお父さんと妹を喪ってるわ。だから前まで何をしていたのか、きいてはダメよ」
なるべくあの子が笑顔でいられる環境をつくってあげてね、と母親は微笑む。
ジュークは深く頷いて、応えた。
ラフィットと出会ってから七年が過ぎ、ジュークは本当の兄弟のように接することが出来るようになっていた。
また、他の義兄弟もできた。母親が連れてきた義兄弟たちは皆、親兄弟を人間に殺されて身寄りのなくなった竜人の子だった。
ラフィットはその中でもリーダー的存在であり、一度ジュークは言ってみたことがある。
「ラフィットの方がよほど皆をまとめるのに向いているな。もうお前が皆の主になってしまった方が良いのではないか?」と。
しかしそれを聞いたラフィットは酷く怒った。
自分はジュークに仕えると昔から決めているのだ。そのようなこと、冗談でも口にするな。という意味のことを一刻も説教された。
それでもジュークとラフィットは変わらず兄弟のような関係を保っていた。ラフィットも『将来はジュークに仕える』とは言っていたものの、だからといってあからさまに態度を改まったものにするなどということはなかった。
けれどその兄弟のような関係は唐突に崩れた。
ジュークの母親が病に倒れたのである。
それからは家事全般をラフィットが行うようになっていた。これまではジュークの母親とラフィットとで分担し、またそれを他の兄弟が手伝うというスタンスを取っていたのだが、ジュークの母親の傍から離れようとしない兄弟たちが手伝うことをしなかったためと、手伝おうと言うジュークをラフィットが拒否したためだ。
ジュークはラフィットに構ってくれ、などと言うこともできず、早く母親が元気になるようにと願うほか無かった。
だがその願いは届くことなく、冬の寒い日に母親は息を引き取った。
母親が死んだ日の夜、ジュークの部屋にラフィットが訪れた。
ろうそくがあるとはいえ暗い部屋でも、ラフィットの目が赤くなっていることは見えた。
(泣いた、のか……)
きっと自分の目も赤くなっているのだろう。
「ラフィッ、ト……」
手を伸ばすジュークに、そっとラフィットは口を開く。
「お前が……いえ、"あなたが"」
やけにきっちりとした口調で彼は言った。
「この先、この城をまとめていくのです。
僕……私はあなたのために生きていきましょう。あなたの行く先が輝かしいものであることを願い、そのために尽力いたしましょう。
ジューク"様"、あなたの――――側近として」
ラフィットは真っ直ぐにジュークを見つめた。
「側……近? なぜ……?
ラフィットは俺の……兄弟、だろう」
「私はあなたにお仕えする者としてここにおります。
他の者も皆、あなたに仕えると決めています」
「だが……!」
ジュークは声を荒らげる。
「俺とお前達は、兄弟、で……」
「私どものような者にそのような勿体なき……」
ラフィットの言葉を遮り、言った。
「はぐらかさないで、くれ……ラフィットは俺の兄、だろう……?」
しゃくり上げながら言っているために、途切れ途切れになってしまう言葉だったが、伝わって欲しかった。
もう他に家族はいないから。
父親は自分が生まれるより前に人間に殺され、母親も今日亡くなった。それなのに兄弟さえも兄弟でなくなってしまったら。
「俺は一人、なのに……」
ぽろぽろと涙を溢す、ジュークにラフィットは悲しそうに微笑む。
そしてそっと言葉を紡いだ。
「僕は兄としてはお前を支えることが出来ない。
だから側近として、お前を支える者として傍にいたい……」
ジュークはその言葉に顔を上げる。
そこには確かに兄としてのラフィットがいた。
「ラフィット、俺は支えて欲しいなんて思わない。お前が前のように接してくれるならば、それで……いい」
ラフィットは何も言わなかった。ただただ、静かにジュークを見ていた。
「答えては……くれないのか……」
「命令をされればお答えいたします」
(そんなこと、できない)
ジュークがラフィットに命じればその瞬間二人は兄弟でなくなるのだから。
だがきっと、ラフィットはもう兄のように接してくれることはない。そんな予感があった。
だから……
「ラフィット"兄さん"……これまで、ありがとう。そしてラフィット……よろしく」
ジュークはわざと片方に『兄さん』とつけたした。
兄であったラフィットへの『さようなら』の意味も込めて――――……
――――――――――――――――――――
話を聞き終わったフェニルは、頭の中で話を整理してからそっと口を開く。
「ジューク、色々と言いたいことはあるけれど……まずは……」
と、そこで言葉を切った。
そしてジッとジュークを見つめたのちに、ジュークの両頬を両手で軽く叩いた。
驚くジュークに、フェニルは「自業自得ですわよ」とつぶやく。
「私に伝えていないことが多すぎますわ。
この城で働く者が皆あなたと兄妹同然に育っただなんて言われなければわからないに決まっているでしょう。
それに――――……」
その先に次ぐ言葉が紡げなくなった。
『あなたの父親が人間に殺されたなんて聞いていない』なんて言ってしまえば同じ人間であるフェニルはもう、ジュークのそばで自然に笑うことなど……。
「……皆人間に家族を殺された者ばかりだなんて」
先を言わなければ不自然だと考え、別の言葉を継ぐ。
「道理でこの城の者達が私を避けるわけですわね」
納得いたしました。フェニルは言った。
「悪かった」
「分かれば宜しいのです」
冗談めかして微笑むフェニル。ジュークも苦笑する。
それからフェニルはその微笑みを崩さぬままジュークに一言。
「ところで、私の勘なのだけれど……」
立ち上がり、扉の方へ向き直った。
そうして……
「ラフィット! そこで聞いているのでしょう。来るなとは言ったけれど、こそこそ聞き耳を立てるなんて感心は出来ないわね。
隠れているのなら出ていらっしゃい」
フェニルは、ラフィットが二人の会話を聞いている可能性は五分五分と言ったところだろうと予想している。
とはいえそもそも扉の外に誰もいなかったのなら何も返事は無いだろうし、もしいたとしても返事をするとは限らないので、ちょっとしたおふざけの意味もあった。
結論から言ってしまえば、返事はあった。返事とは言えないかもしれないが。
しかしその話より前に、舞台裏の話とする。
扉の前の『二人』の。
今回のあとがきは長めです。
えー、念のため。ラフィットは男です! 年齢もジュークとそこまで変わりません(設定としては五歳差)!
なぜこんなことを書いたかといいますと、この前友達と小説読み合ったんですよ。私は友達の書いた小説、友達は私の書いた小説というように。
そうしたら
友達「あれ、ここ『兄』じゃなくて『姉』じゃん? (その十四参照)」
私 「なんでや?」
友達「だってラフィット、女なんでしょ?」
私 「どうしてそうなった!!」
……と、まあこの出来事で自分の描写力に大きな不安を感じまして、ここに書かせて頂きました。
長々と申し訳ありませんでした。