その十一
二人が部屋を出て行くと、フェニルは口に含んだそれを手に持ち確認する。
それは鉄製の矢じりのようなナイフ。いや、もしかすると本当に矢じりだけを外したのかもしれない。
それを使って何度も何度もロープを切りつけた。
何十回かほどで片方のロープが切れる。同じようにしてもう一本のロープも切ると、手足の自由も確保できた。あとはこの部屋から出て行くだけだ。
鍵をかけていった気配はないので、簡単に開くだろう。
果たして、扉はいとも容易く開けた。あまりの容易さに拍子抜けしてしまうほどである。
ラフィットもあのロープをフェニルが切れるとは思っていなかったからだろうとフェニルは推測した。
城までは五十メートルほどで、かければ一瞬だ。
しかし、どうすれば良いのだろう。
このまま向かっても良いだろうか? それがわからない。
(けれどこのままここにいても始まらないわね)
フェニルは意を決して小屋から一歩出る。周りには油らしき物が撒かれていた。おそらく火の周りを早くするためだろう。
そこまで本気でラフィットが自分を害そうと思っていたのか、ということを目の当たりにするとさすがのフェニルもショックを受け小屋の周りから目をそらした。
そうして城へ向かおうとしたときだった……
「フェニル」
「っ……!?」
何の前触れもなく後ろから声をかけられフェニルはびくりと肩を震わせた。
それから落ちつくと文句を言おうと後ろに向き直った。
「ジューク、驚かせないでくださいまし」
声でわかっていたので、誰かと問いかけることはしない。
「……怒っているのか?」
「なぜそうなるんですの!?」
頓珍漢な受け答えをしたジュークに思わず叫ぶ。
「いや、その……先ほどの……あれが……」
「具体的に言って頂戴。……まあ意味はおおよそ理解できましたわ。
怒りを感じているということはありませんわよ? 少々驚いたけれど」
「そう、か」
あからさまに安堵のため息をこぼしたその様子に『私はどう思われているのかしら』と考えないでもないが、今はそれよりも重要なことがある。
フェニルがジュークの膳に毒を盛ったのではない、と証明しなければ。
「ジューク。あの小瓶はどこにあるのかしら?」
「……は? あ、ああ」
唐突に問われたためか、間抜けな声を出してからジュークは答える。
「俺の部屋だ」
「冗談でしょう!?」
わからない、という答えが返ってくるとばかり思っていたフェニルは驚いた。
(ラフィットは何を考えているのよ。
ジュークに渡すよりも自分で保管していた方が私が毒を盛ったという疑いをより強めることができるでしょうに。
ジュークに小瓶を渡すなんて、まるで――――)
私にかかった疑いをわざわざ晴らさせようとしているみたいじゃない。
そこまで考えフェニルは頭を振る。
(いいえ、きっと私の形見のような物として渡しただけよ。ええ、きっとそういうことだわ)
と、納得してフェニルは考えを別の方向へ飛ばした。
「ジューク。では私をあなたの部屋に連れて行って……」
連れて行って頂戴、と口にしようとし途中までで言葉を切った。いや、言葉が切れてしまった。
「わかった」
と頷いたジュークがフェニルを抱き寄せたためだ。
「っ……!?」
(何よこれ!?)
何をするんですの、とフェニルが言うよりも前に「しっかり掴まっていろ」と言うジューク。
「はっ!?」
母音が発せぬほどに唐突に景色が変わった。
というか、視線の高さが変わったと言うべきか。
下を向けば地から足が浮いている。比喩ではなく、事実だ。
「ジューク、これは……」
バッとジュークの顔を見ようとしたフェニルは息を呑んだ。
「悪い、驚かせたか?」
「……驚くに、決まっているでしょう。
飛べるだなんて聞いていませんわ!!」
「言ってなかったからな」
「そう言う話ではございません」
バサリと羽撃いている姿に動転し、しかし見とれてしまっていた。
けれどそのような心中を悟られたくないと思い、諭すような態度で返した。
「それにこのようなことをせずとも、歩いて行けるでしょう?」
「しかし……」
とジュークの視線がフェニルの足へと向かう。
その視線にそってフェニルも自分の足へと注意を向けた。
(あら)
そこで気がつく。
いつの間にかはわからないが、ロープが擦れた部分の肌に擦過傷ができていた。少々ではあるけれど、血も滲んでいる。
「……ありがとうございます。感謝はさせて頂きますわ」
は、を強調して言った。
ただ単に『ありがとうございます』と言うのは何となく気恥ずかしい気がして。
そんな心中を知ってか知らずか、クツクツとジュークが笑う。
それを見たフェニルはきっと睨みつけて、
「早く城へ行って頂戴!」
と、がなった。