その九
「フェニル様。これは……?」
困惑したような言葉だが口元に微笑を浮かべているラフィット。
やられた! とフェニルは臍をかむ思いだった。
侍女が手にしている小瓶はフェニルのものではないし、きっとこのタイミングで彼女が入ってきたのも狙ってのことなのだろう。
フェニルは推察する。
けれどそこには何の証拠もなく、逆に彼らはフェニルの部屋に毒の入った小瓶が置いてあったと言う。となればフェニルがジュークを殺めようと画策した、と考えられてもおかしくない。むしろそれが自然だ。
「それは私の部屋にあったものではないでしょう!」
そう叫ぶが、ラフィットは依然として冷静にフェニルを見据える。
「私は知り得ませんよ。リタが小瓶を発見したのですから。ねえ」
「はい」
侍女……リタは答えた。
(そう、そういうことなのね。
ならば試せば良いじゃない。あなたたちを唸らせるような能力でもなんでも見せつけてやるわよ!)
自然と考える言葉が悪くなっているけれども、そのようなことなりふり構っていられなかった。
「好きにその『マルテリントカーメル』とやらで私を試せば良いでしょう。ラフィット、あなたは必ず私の前に頭を垂れることになるわ。その時にあなたがどんな顔をするのか、見物ね」
「そうですか。では私はあなたの遺体を野ざらしにでもして差し上げましょう」
もはや二人は歯に衣着せた物言いもせず、敵対心を露わにしている。
そこに割って入れぬジュークは主、もしくは夫として如何なのかという問いもあるかもしれない。
だがもしもこの二人を止められる者がいたとしたなら、その者の心臓はおそらくダイヤモンドか何かでできているのだろう。
そう考えられる程度には二人の絶対零度の視線は痛く、恐ろしかった。
リタなどは今にも小瓶を落としてしまいそうなほどに震えている。
「ジューク」
ラフィットを睨みつけていたフェニルがふと口を開いた。
「マルテリントカーメルとやらの準備をして頂戴。この礼儀知らずに私を『主』と認めざるを得なくしてやるわ!」
令嬢言葉はどこへ行ったのか、まるで町娘のごとき口調でフェニルが言う。
「……わかった」
さすがにこれには折れたジューク。だがそこには不安がにじみ出ていた。
そんなジュークの不安を払拭するため、とフェニルはこくりとうなずく。
「大丈夫ですわ。私はエリツィン公爵令嬢、フェニル・エリツィンですもの。そうでしょう、ジューク」
努めて明るく言った。
確実な自信はなかったが、その台詞はジュークに安堵をもたらしたようだ。
「ああ。そうだな」
クツクツと笑うジューク。だがその笑いに少しの違和感を感じた。
(あら……?)
まるで何かイタズラを仕掛けようとしている子供のような……
そこまで考えたところで思考を中断される。ラフィットによって。
「それでは部屋を移動して頂けますか?」
「……え?」
「フェニル様には……マルテリントカーメルを行う者は東塔の空き部屋でお待ち頂くことになっておりますので」
「……おいラフィット。あそこは……」
その場所になにか問題でもあるかのようにジュークが言葉を挟んだ。その答えはラフィットの次の言葉。
「あそこは罪人をとどめておく場所ですが、そもそもマルテリントカーメルを行う者など罪人以外おりませんので、今回は仕方がないかと……」
困ったようにラフィットが眉尻を下げた。――――目の奥は笑っていたが。
つまりフェニルが罪人だと言いたいのだろう。
「わかったわ。では東塔へ向かって頂戴」
反対意見を言いたげなジューク。しかしわざとジュークの目を見ないよう、視線をそらした。
そうして移動したのが東塔。現在フェニルのいる部屋である。