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その一

「なんですって!?」

 レイデンス王国の南に位置するエリツィン公爵領、その領主の住む館の一室でフェニルはその美しい調度品のそろう部屋には似つかわしくない声を上げた。

「お父様、それは何の冗談ですの?」

 こほんと自分の所作を恥じらい、フェニルは改めて目の前に居る壮年の厳しそうな……つまりは悪人顔の男を見据える。

 フェニルはフルネームをフェニル・エリツィンといい、説明するまでもないかと思うが、エリツィン公爵家の令嬢だ。意地悪そうなつり目、雪のように白い肌、唇は血のような紅。悪女と誰もが考えるその顔は、しかしとても美しい。

「冗談などではない。もう一度言おうか。『竜人の長の元へ嫁げ』」

 冷静だが、震えたくなるような低い声にフェニルはたじろぐがすぐに反論する。

「この私が竜人の元へ嫁ぐなんてお断りするに決まっているではありませんか」

 紅い唇がつり上がり、何かを企むような笑みをたたえる。フェニル本人はただ微笑んでいるつもりだ、というのは別段説明する必要もないことだろうか。

「そう言うと思ったよ。だが答えは『是』以外許さん」

「……お父様は随分なことを仰るのですね。私に竜人の元へ嫁げ、答えは是のみ、とは……十年前の事件を忘れたとは言わせませんことよ」

 ぎりっと音がしそうなほどに唇を噛み、フェニルは言う。

 十年前、夏の盛りだけ過ごす別邸で起こった凄惨な事件。フェニルは一秒たりとも忘れたことはない。

 あの年、父は業務のため本邸に残り幼いフェニルと母親、そして少数の使用人のみで別邸へ行った。滞在は一月。その間何事も起こらずに過ごせるであろうと誰もが思っていた。

 けれど丁度一週間目の夜、異変は起こった。何者かに別邸が襲撃されたのだ。

 フェニルはとなりにいた母親にしがみつき、震えており、母親は真っ青になっていたことを覚えている。悲鳴、罵声、負の感情が飛び交った別邸。段々とその声は二人の部屋にも近づいてきた。

『ねえ、フェニル』

 その時発された母親の言葉は今もはっきりと思い出せる。

『少し隠れていられる? あの柱時計の中に。暗くて怖いかもしれないけど、お口は閉じて、ね?』

 悲鳴はどんどん部屋に近くなり、フェニルは恐怖ですくみながらも素直に母親の言葉にうなずいた。

 それからの記憶は真っ暗な置き時計の中のチクタクと動く針の音、それと夜が明け悲鳴が聞こえなくなってからの血の海だけだ。

 ――――――あとから事件の詳細を聞いて、事件を起こしたのは竜人だと知った。

 それなのに父親は竜人の元へ嫁げと言うのか。いっそう強く唇をを噛むと、紅い紅い唇に同色の血が滲む。

「お母様もさぞや無念でしょうね。身分を越えてまで想った相手に忘れ去られてしまうとは……」

 フェニルの母親は平民だったという。貴族ばかりが通う学園に将来の官吏となることを期待された特待生として入学した母親は公爵家子息の父親と恋に落ち、周囲の反対を押し切り婚姻を結んだ。フェニルにとって幼い頃から母親や古い使用人たちに聞かされている寝物語のようなモノ。

「それをお前が言うのか」

「……意味がわかりませんわ」

 父親の言葉にビクリと体を震わせてからうそぶくフェニル。

「王太子の想い人に危害を加えた、と聞いているが」

「――――ッ……」

 二月前に卒業した学園、父親と母親が出会った学園にはフェニルの同学年に王太子がいた。見目麗しく、また知性豊かな王太子は当然女子生徒の憧れとなり、フェニルも例外ではなかった。だが王太子に近づく者がいたのだ。それがフェニル達の年の特待生、マリアだった。

 それが面白い訳がなく、フェニルは嫌がらせと思われても仕方のないことをした。一目に付かぬ所に呼び出してねちねちと悪口を言い、生徒にはマリアを無視するように指示し……。フェニルは学園内で王太子の次に身分が高く、だれもが従い逆らうことをしなかった。というかむしろフェニルの名を使い、独断で嫌がらせをする者も現れた。

 罪悪感がなかった訳ではない。けれどそのまま『たかが平民の女』に王太子をとられたくなかった。むしろ最後はもう、王太子などどうでもよくなっていたのかもしれない。ただマリアに負けたくない、という執念で嫌がらせを続けていた。

「気づいておられたのですね……」

「ああ。

 ……さあ、どちらがお前の母親(あいつ)にとって無念だろうな?」

 フェニルは歯を食いしばり父親を睨みつけた後、頷く。彼女の顔は怒りでもなく、悲しみでもなく、憎しみの色に染まっていた。


∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽


 さて、それから竜人の元へ嫁ぐまでの日々は慌ただしく過ぎていった。

 ドレスの準備、国への手続き、関わった方々への挨拶……。だが意外なことに使用人は一人も連れて行かないようである。向こうですべて用意する、とのこと。フェニルは相手側は何を仕組んでいるのか、と訝しく思った。やはり竜人は信用できる者ではない、という考えがフェニルの中にはある。幼い頃殺されかけたのだ、当たり前だろう。

 そしてとうとう竜人の長に嫁ぐという日の前夜、静かにフェニルは決心した。竜人に嫁いだとて自分が相手の男に愛を捧ぐ事はしない、と。


 翌朝、ガラガラと音を立てて馬車が屋敷の前で止まるのをフェニルはどこか冷めた目で見ていた。豪華な馬車、美しい馬。それらはどこか幻のようだった。

 中から背中に羽が生え額に二本の尖った角をもつという典型的な姿の竜人の男が現れ、フェニルは略式の礼をした。着ている服装からそれなりに身分の高い人間なのだろうという事は見て取れたが、それでも略式の礼をしたのは『お前達に敬意をはらう気はさらさらない』という意思表示だ。

「それでは行って参ります」

 よく通る声で言ってから、父親と使用人達に王族などにする最上級の礼。父親にはこれまで養ってくれた恩があるため、使用人達には感謝をしているためだが、『竜人は使用人以下なのだ』という意味も込めたつもりだ。けれど竜人の男は意味がわかっていないのか、それとも顔に出さないようにしているだけなのか、「こちらへどうぞ。足元お気をつけくださいね」と微笑を浮かべて馬車へフェニルを案内した。

 馬車内は外目より広々していて、座り心地も悪くはない。フェニルは行儀が悪いとわかっていたが、窓から顔を出す。そして馬車が動き出す直前に屋敷を見た。すると、使用人達はすでに屋敷内へ戻っていたが、父親と執事がこちらをじっと最後まで見ていたのに気づく。その瞬間フェニルは自分は屋敷を出るのだ、と実感し、鼻の奥がツンとしたように感じた。




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