春のひだまりと黒い雲
ポカポカとした日差しの中で目が覚めた。
隣で、長いまつげが植え付けられた瞼の下に、緑色の瞳を隠して眠っている彼女をみて、ふと幸せな気持ちになった。
どうやら随分と長い時間眠っていたようで、上の方にあったはずの太陽が、今は地面に近づいている。窓から差し込む、こぼれ日が、舞っている埃に反射してキラキラしているように見える。
僕は渇いた喉を潤すために、キッチンへ向かった。コップ一杯のほうじ茶を飲んで小窓の外を見ると、黒い鳥が赤く染まり始めそうな広い空を飛んでいった。きっと、子が待つ山へ帰って行くのだろう。
なんだか、ほっこりした気分になったところで、流石にこれ以上眠り続けるのはこの後が大変だと思い、彼女を起こすために寝室へ向かった。
ドアを開け、声をかけようと思ったが、その必要は無いようだ。きっと、僕が立てた様々な物音によって起きてしまったのだろう。彼女がこちらを見て、ふんわりと微笑んだ。
「おはよう。」
「うん。ご飯、どうする?」
少しおかしな挨拶をした彼女をスルーして、今後の予定を聞く。
「おはようの時間じゃないよとか、言ってやー。」
どうやら、スルーしたのがお気に召さなかったようだ。
ぷうっと頬を膨らませた彼女が可愛くて、にやけてしまった僕を見た彼女が、「何?」と不機嫌そうにこちらを睨んできたので、すぐさま真顔に戻る。
「今何時なん?」
どうやら時間を把握していなかったようで、丁寧に「5時35分だよ」と教えた。
「え、めっちゃ寝てたやん。えーご飯作るのめんどい……」
「僕が作ろうか?」
「台所散らかるから嫌だ。」
せっかく親切で言ったのに、なんて失礼なんだ。とは思ったけれど、事実なので仕方がない。
「じゃあ、何処か食べに行こうか。」
「いいの?」
心なしか、彼女の目が輝いている。きっと、丁度食べに行きたいところがあったのだろう。
「こないだ出来た、秘密基地みたいな洋食屋さんにいってみたいー!」
やっぱりそうだったようだ。
「うん、いいよ。あそこ、近かったよね?」
「たしか10分くらい?」
「歩いて?」
「時速50キロ位で歩くの?」
鋭いツッコミが炸裂した。冗談で言ったのに、鋭すぎると思う。
「じゃあ、君、色々と準備があるでしょう?なるべく早くね。」
「女の子を急かさんといて。色々とあるんやよ?」
「じゃあ、君は一時間近くお店で待たされても文句は言わないんだね?いやー、きっと先週オープンしたばかりだから人気だろうなー」
そういうと、黙って準備をし始めた。彼女は待ち時間が余り好きでないから、今の言葉は効果覿面だったのだろう。僕だって、待つのは好きでないのだ。
言い負かされたのが不満だったのだろうな、と思わされる様な表情で化粧台の前で色々とし始める。
もともと可愛らしくも、美しくも見える、整った顔立ちなのであまり化粧をしなくたって十分良いのだが、流石に大人の女性として化粧をするのがマナーだと彼女は言う。そうなのかもしれないが、僕は彼女の少し派手めな化粧は、良いとは思うが好きではない。他の人は、普通だと言うからきっと普通なのだとは思うが……。
一段とかわいくなった彼女を、僕の愛車に乗せて走り出した。
さっきより、赤く染まった空が綺麗だった。
「あ!ねね!」
突然彼女が、大きな声を出すものだからびっくりして、ブレーキを踏んでしまい、後ろの車からクラクションを鳴らされてしまった。
「なに?!びっくりするからやめて!」
「ごめん…」
少し感情的になってしまい、大きな声を出してしまった。これではお互い様ではないか。
「ごめん、声おっきかった。それで、なに。」
少し謝って、何事か聞く。
「向こうの空の色がすごく綺麗で…なんか雲からの光の漏れ具合が凄くて……」
「…なんだよ、それだけ?」
と、すこし馬鹿にして、ふっと指差す方をちらりと見ると、ほんとにびっくりするくらい綺麗だった。
丁度信号で止まった。
もう一度まじまじと見入ってしまった。
赤く色づいた、青まじりの空に浮かんだ雲の隙間から、おれんじ色の光が滲んで、絵に描いたような、そんな空だった。
信号が変わったことに丁度気付き、再びアクセルを踏んだ。
「……綺麗やったやろ?」
「……うん。」
正直にそう言った。けれど。
「でもね、突然おっきな声出すのは止めてね。」
「それはごめん。」
そのあとは、二人とも何となく、何も話さないまま、車の中に流れる僕らの好きな歌手の歌を聞きながら、目的地へと向かった。
新しく出来たその洋食屋さんは、ほんとに隠れ家みたいな、秘密基地みたいな、子どもの夢がいっぱい詰まったみたいな店だった。
ふと、小学生のときに友達と近所の空き地にあった立派な木の上に登って、ツリーハウスを作るという無謀な挑戦をしていた事を思い出した。結局、木材を調達出来ずダンボールで代用しようとしていたところで近所のおじさんに見つかって、危ないから止めろと怒られ、中止せざる終えなくなったのだった。いま思えば、いかに自分がお馬鹿だったのかが分かる。黒歴史だ。
お店の料理は美味しかった。流石、人気なだけはある。しかも、そこまで値を張らない点も良かった。
二人でまた来ようと言って、店を後にした。
来たときと同じように、僕らの好きな歌手の歌を聞きながら家へ向かった。帰りの空はもう群青を通り越して、黒く染まっていた。星は、町中の光に負けて見えずらい。
「ねぇ。」
「ん?」
彼女が突然話しかけてきた。
「もしも、私が明日から遠くへいかなくちゃ駄目になったら、どうする?」
…突然。何を言い出すんだろう?
よっぽど僕が不安そうな顔をしていたからだろうか。
「あ、別に居なくなるわけじゃないよ?こないだ見た映画の感じでさ…ほら、彼女、突然消えたやん?」
と、付け加えた。
「…んー…どうするって……。」
「…かなしい?」
「そりゃあね。当たり前だよ。」
「そっか…。よかった。」
…なんだか、おかしい気がするけど、気のせいだろうか。
まぁ、ときどき彼女は気が滅入っているときにこんなことを言う時をがあるから、それかもしれない。
「何かあったの?」
困っている事があるなら力になりたいから、聞いてみた。
「んー、ちょっと仕事で離れた所に行く話が出てたから…。」
「…そうなんだ…。んー…。僕の仕事は何処でも出来るから好きな様にしていいよ?」
僕は家で出来る仕事をしているから、正直、住むところは何処でもいいのだ。ただ、この街が少し気に入っているから留まっているだけ。
「迷ったけどね、やっぱり残ろうと思ってはいるんやけど…。まだ少し迷っててね。」
「僕はついて行って迷惑でなければ、一緒にいたいよ?」
「…それ、プロポーズ?」
はにかんで聞いてきた彼女が可愛かったけど、
「んー…また改めてするよ。まってて」
と、言った。すると、彼女は嬉しそうに、少しだけ恥ずかしそうに微笑んで、頷いた。
(ーーー……なんで。)
瞼を開けた。渇いた喉から、息が溢れた。
目尻が少し濡れている。
ふと、近くにあったスマホで時間を確認すると朝の4時だった。まだ支度をするには早すぎる。
画面をオフにして、膝を抱えて布団の中で丸まり、ため息をついた。
(また、夢か…)
あの、幸せだった日々をときどき夢で見て、思い出す。
あの頃は信じて疑わなかった、『彼女の側に居る』ことは、今では嘘になってしまった。もう、彼女は隣に居ない。
突然だった。
あの日、『秘密基地みたいな洋食屋さん』からの帰り道。
青信号に変わったからとアクセルを踏んだとき、信号無視をしたワゴン車が突っ込んできて、僕らの車と衝突した。
エアバックが飛び出して、車が軋む音がして、視界が赤く染まって、彼女のうめき声が聞こえて、そして意識を失った。
次に目が覚めたのは病室で、頭に包帯がぐるぐる巻きにされていて、点滴のチューブが腕から伸びていた。
近くで、看護師が医師を呼ぶ声がして、医師が来て声をかけられた。
慌ただしくなった病室の片隅で、僕はふと彼女の事を思い出して医師に問うたが、医師は言葉を濁らした。
嫌な予感は的中した。
僕の容態が安定した頃、彼女と対面した。
彼女は沢山のチューブに繋がれ、かろうじて生きていた。
意識が戻っていないのだと説明された。
三ヶ月以上これが続けば植物状態と判断せざるを得ないと言われ、三ヶ月がたちそう診断された。
そのあとは、自分がどんな行動をとって、何を言って、どうしたのか覚えていない。ただ、目の前が真っ暗になり、絶望と後悔と悔しさが覆い被さってきたことだけを覚えている。
そして、何とか自力で生活できるようになり、今に至る。
今でも、胸が押し潰されそうになることがある。
僕がもう少し周囲に注意して運転していたら。
もう少し、僕がアクセルを踏むのが遅ければ。
どうして、彼女が。どうして、どうしてーーーー
ーーー僕じゃなかったんだ。
しばらくは、眠ったままの、沢山のチューブで繋がれている彼女を見るのが辛くて、見舞いには行けなかった。
やっと、最近になって行けるようになった。
医師には、目覚める可能性は極めて低いと告げられた。
ただ、僕はその極めて低いと言われる可能性にすがり、病室を訪れて声をかけ続けた。
家に帰ると彼女は居ない。
彼女に会う前の生活に戻った。
でも、誰かが居る事に慣れていたから、この寂しさには慣れることはない。
その日は仕事が休みで、朝に彼女の元へいった後、少し買い物をして家へ帰ると夕方になっていた。
あの日見た夕焼けと同じ色をした空が、部屋の窓から見えた。
本当は流れ星にお願い事をするのだろうけれど、その日僕はその空に向かってお願い事をした。
彼女が目を覚ましますように。
奇跡が起きます様に。
それから一週間たったある日の事だった。
病院から突然連絡があり、すぐに来てほしいとの事だった。
慌てて家を飛び出して、病院へと向かった。
彼女の病室に案内されると、そこには目を開けてこちらを見ている彼女がいた。
「……ゆうひくん…?」
僕の名前を呼んだ。
とても聞き取りにくい、小さくて、舌足らずな言葉だったけれど、確かに僕の名前を呼んだ。
「そうだよ。僕だよ。」
涙が目に溜まって、視界がぼやけた。
僕は瞼を閉じて、ぼやけた視界をどうにかした。
医師が隣で、彼女の詳しい容態を説明してくれた。
恐らく歩くことはもう出来ないかもしれないが、リハビリによっては、可能になってくるかもしれない。奇跡が起きたんだと。
もう一度彼女をみると、何故か僕をじっと睨みつけていた。
訳が分からなくて、彼女の名前を呼んだ。
「……はる?」
すると、彼女はこう言った。
「どうして、死なせてくれなかったの。」
僕はもう一度ゆっくり瞼を閉じた。
最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
すこしバットエンドっぽくなってしまいました…。
幸せなだけのお話を書くはずだったのですが…気づいたらこうなっていました('';)
彼女目線も書けたら良いかなと思ってはいますが、随分遅くなるかもしれません。