小鳥のおかあさん
ぼくは、小さな檻の中の、小さな草の巣の中で生まれた。
お母さんはぼくが生まれたとき、殻をつついて出るのを助けてくれた。ぼくはひとりっ子だったから、あったかい羽の下でぬくぬくと眠るのが大好き。隣の檻にすんでいる子は兄弟がいたから、毎日お母さんの羽の下を奪い合ってケンカしてる。そのたびにお母さんに怒られて、でも、毎日楽しそうなんだ。
僕のお母さんは、綺麗な白と黄色の羽を持っているんだ。ぼくもそんな羽色がよかったんだけど、羽の先だけ白くて、あとは茶色。お母さんは「お父さんの色なのよ」って悲しそうに笑って言った。
どうして悲しそうなのかな、と思ったけれど、そう聞いたら母さんが泣いてしまいそうだったから、ぼくは聞かないんだ。どうして一緒の檻の中にお父さんがいないのかも、聞かない。
ただ毎日お母さんからご飯をもらって、羽の下で眠って、時々綺麗な声で歌を歌ってもらっていれば、幸せなんだ。だから、それ以上はいらない。
そんな風に幸せな毎日を送って、ぼくがひとりで止まり木にとまれる様になった頃、隣のおうちにいた兄弟の弟が、いなくなった。
お兄さんやお母さん、お父さんは悲しそうに泣いていた。ぼくのお母さんも、その声を聞きながら悲しそうに黙ってしまった。ぼくも悲しかった。だって、ぼくらは同じ日に生まれたから、よく檻から顔を出して羽づくろいをしたりしていたんだ。だから、友達がいなくなって寂しかった。
「どうして彼はいなくなったの?」ってお母さんに聞いたら、彼はお引越ししたのよ、と教えてくれた。
でもおかしいよ。だってお父さんもお母さんも、お兄さんだって一緒にいるのに、どうして一番小さい弟だけ引越ししてしまったの? どうして、彼だけいなくなってしまったの? お引越ししたなら、いつか帰って来るの?
そう聞いたら、お母さんは悲しげで困った顔をして、ぼくの顔を優しく撫でた。
「彼は、お父さんと同じところへ行ったのよ。だからもう、帰ってこられないの」
そう言うお母さんは今にも泣きそうで、ぼくは聞いちゃいけないことを聞いてしまったんだとおもった。
お父さんの話を聞いたのは初めてだった。お母さんが泣いてしまわないか心配で、ぼくは胸がつぶれそうなくらい痛くなったけれど、お母さんは泣かなかった。目に涙をためて、それでも優しくぼくを羽で包んでくれた。
それがあんまりあったかくて、幸せで、ぼくはふわふわと眠くなった。
「私の可愛い坊や。お母さんがずっとずっと、守ってあげますからね」
お母さんがそう呟いて、優しい声音で子守唄を歌ってくれた。
だから、とても幸せだった。
ふと、目が覚めた。
目が覚めて、どうしてこんなに寒いんだろうと思った。
お母さんの羽の中で眠ったはずなのに、どうしてこんなに寒いんだろう。そう思ってあたりを見回すと、なにかがおかしかった。
何も変わっていなかった。
いつもの小さな草の巣、木の止まり木、水受けやご飯入れ。何も変わらない。
でも――ひとつだけ。一つだけ、決定的に違う。
「……おかあさん?」
そこに、おかあさんだけがいなかった。
檻の中をあちこちさがしても、お母さんはいなかった。
狭いはずの檻の中が、なんだか寒々しいくらいに広かった。
必死にお母さんを探しても、見つかったのは出入り口の近くに落ちていた、お母さんの綺麗な黄色い風きり羽だけ。
お母さんは、いなかった。
「ねぇ、ぼくのおかあさんはどこ?」
呟いても、だれも答えてなんてくれなかった。
隣にいた親子は、檻ごといなかった。
ぼくは、ひとりぼっちになったんだ。
そう気付くと、なんだか涙も出なかった。
ひとりになったんだと理解してから、もうご飯を食べる元気もなくて、毎日巣にこもって寝てばかりいた。だんだん動くのすら億劫になって、水を飲みに行くこともしなくなった。
そうしたら、ある朝、大きな音と一緒に檻がなくなって、ぼくはなにか大きくて暖かいものに持ち上げられた。
ぼくの目の前に、なにかおおきくてぎょろりとしたモノが迫ってきて、こわくて僕は騒いだ。もう随分ご飯も水も取っていなかったから、それは羽をぱたぱたとさせただけの酷く弱々しい抵抗だったけれど。
「随分弱ってるなぁ」
急に、雷かと思うくらい低くて大きな音が響いた。
それが、ぼくを持っているモノの「声」だと気付いたけれど、ぼくは何が起こっているのかわからなくて身体を縮めるしか出来ない。
「ひとりぼっちになって、寂しかったんだろうなぁ」
さっきより少し小さくなった声に、けれどぼくは頭がパニックになってしまって、何を言われたのか分からなかった。
ぼくを巣に返してよと叫んでも、暖かくぼくを包むなにかから逃れられなくて、ぼくはもう、死ぬんだと思った。
それからぼくは、お家じゃないところに連れて行かれて、ふわふわの何かの上に寝かされた。
その頃にはもう、ぼくには抵抗する力も残っていなくて、ただされるがままになっていた。
ふわふわの何かに包まれて、すごく暖かくてまぶしい何かがぼくの頭の上に置かれた。その暖かさにお母さんを思い出して、ぼくはちょっと泣いた。
それから口に水を入れられて、少しだけ飲んだ。ご飯と水がはいった入れ物が近くに置かれて、ぼくは小さな箱で暮らすことになった。
そこはすごく居心地がよかったけれど、でもやっぱり、お母さんと一緒に暮らした、小さな草の巣に帰りたかった。
「お前、お母さんが必死になってお前を守ったんだ。ここで死んだりするなよ?」
ぐったりと寝ていると、優しく諭すように声を落とされて、ぼくは薄っすら目を開けた。
お母さんが、なんだって?
「野良犬が鳥かごを壊さなきゃ、お前もこんなに弱ったりしなかったのかなぁ」
野良犬? 鳥かごを壊した?
良く分からない単語が、独り言にのってぼくの耳に入る。
「――かわいそうになぁ。お母さんが自分の身を呈してお前を守ったのに。元気になってくれな?」
その言葉と共に、ぼくの頭をそっと撫でられた。
それはお母さんがするよりも痛かったけれど、どうしてだろう、すごく暖かくて、泣きたくなった。
ねぇ、お母さん。
ぼく、お母さんが大好きだよ。