第93話「赤眼の悪鬼―1」
『おい、各機の射撃を集中させてくれ! こいつ止まらな――』
恐慌寸前といった様子で絞り出された指示が、ヴァルノートのコックピットを満たす。メイカの耳にも、必死さを滲ませる叫びは届いていた。しかし、それが自分に向けられているもので無い事は知っていたし、指示に応じられるだけの余裕も無かった。自分の周囲に居る三機の味方――うち最も前面に出ていた一機の末路を予見し、彼女はとっさに目を背けそうになる。
それでも、なんとか正面へと向け続けた視界に映ったのは、最前の機体を貫く一筋の発射炎だった。そして、ほとんど特攻するような勢いで突っ込み、右肩部の大口径砲を相手のコックピットブロックに押し付ける敵機の姿だった――。
味方の一機が腰部を境に粉砕され、直後に聞こえてきたであろう悲鳴は、通信そのものがぶつりと途絶する事によって掻き消される。未だ原型を留めるトールの半身からは生々しくも火花が散り出し、自身を残骸と変えた敵機に向けて、輝く流血を浴びせている。一方、濡れることも無い返り血に染まる敵機は、頭部正面に収めた赤眼をスパークに揺らめかせている。その様は破滅を嗤う、まさに悪鬼羅刹のそれに他ならない。
あまりに圧倒的な実力差、そして手段を選ばぬ容赦の無さが理解されたのか、通信越しにさえ味方の動揺が伝播して来る。否、そんなものなど用いずとも、まるで心臓を締め付けるような感触を以て畏怖の感情が伝わって来る。目の前で味方機が無惨に撃破された直後、敵機がまた別の機体に狙いを定めたとあれば、尚更だった。
ゆらりと立ち上がった敵機がヴァルノートを見据え、足を踏み出し掛ける。だが、重厚な右脚が僅かに踏み出される直前、その視線はぎこちない動きで他の二機へと逸らされる。向けられたカメラアイの先には、メイカにも予め〝隊長〟と知らされていた男の座す機体があった。
彼らもまた敵機の挙動を注視していたらしく、各々手にしていたライフルが素早く構えられた。半ば怯えているようにすら感じられる程に、展開に向けた反応は素早い。『散開!』と男が指示したのも束の間、二機が敵機を取り囲むようにして散開し始めた。
それぞれ二つのホバー推進の巻き上げる粉塵が、大まかな円弧状に展開され、半包囲の只中へと敵機を押し込める。二機を追い掛けようともしない敵機は、ただ円弧の中心たる事を甘受して動かない。だが、唐突に走った火線の一筋が、薄い粉塵中に着弾の衝撃を轟かせた。
気付けば隊長機のライフルは吹き飛ばされ、遅れて来た衝撃波によろめくように姿勢が崩れた。抑え込むように曲げられた右手部は胸部装甲をチリチリと照らし、ようやく動き始めた機体を痛々しい姿足らしめる。動いてはいる、が既に中破と言っても良い損傷状況だ。しかし、それでも隊長の動揺が最小限だったのは流石と言うべきで、部下たるもう一機との連携を取り、撃ち掛けては大口径砲の間合いから巧みに逃れ続ける。
尤もハエを追い払うかのように砲撃を放っている敵機にしてみれば、この小競り合いは本命でも何でもないといった様子だ。逃げ回る二機へと正確無比な砲撃を繰り返し、回避動作すらほとんど見せる事無く、それでも圧倒せしめている。無惨にも粉砕されたトールの下半身と、上半身――足元に転がる残骸など気にも留めずに、ただ相手を屠る事だけを考えているかのようだった。
寒気すら覚えるその光景、メイカは恐ろしさに指先が震えるのを感じた。敵機の全身からは針の如き殺気が放たれ、空気すら押し退けているようにさえ見える。そしてなにより、一瞬たりともこちらから注意を逸らしていない、という事実こそが恐ろしいと感ぜられていた。敵機は尋常ならざる執着を匂わせ、目標をあくまでヴァルノートのみに絞っている。
やっぱり本命は私なんだ。メイカは改めて確信し、逃げ場が無い事を悟る。首元に刃物を突き付けられているような感覚すら覚え、息苦しさに浅い呼吸が一段と速まる。このままでは殺されると本能が叫び、すぐさま行動を起こすよう彼女自身に促していた。ほとんど無意識の内にもヴァルノートが一歩を踏み出し、その右手部に鉈が構え直される。
頼りなげな足取りで進み始めた先には、悪鬼の如く戦場を支配する敵機が居る。味方機との連携など頭に浮かぶはずも無く、ただ壊れた危機感だけが彼女を突き動かしていた。二歩、三歩と徐々に歩調は早められ、走り出す人間のそれとほぼ同様の動作を以て、ヴァルノートが突進し始める。脚部を構成するフレームが限りなく人体に近い滑らかさを担保し、限界まで膝を溜めての跳躍すら可能とする。更に一斉点火されたメインスラスターの推力が、ヴァルノートを疾風の如き勢いへと押し上げた。
殆ど特攻紛いの突撃――ヴァルノートはロクに牽制射もばら撒かずに接近を掛け、鉈で中段から斬り流す構えを取る。それはタイミングも早ければ、太刀筋を隠す意図すら見られない、全く未熟な攻撃と評されてもおかしくないものだ。だが、メイカにとってはさしてデメリットとなり得る要素では無かった。否、ヴァルノートを乗りこなせるならば、敢えて気にする必要すら無い。至近にまで迫った目標の右腕を捉え、彼女は機体全体を大きく伸び上がらせる。
殆ど倒れ込むように懐へ飛び込むヴァルノート、そして無防備なまでの体勢を貫く敵機。そんな対峙の構図が描かれたのは、両機が仕掛けるまでのほんの一瞬に過ぎなかった。
斬り掛かるより先に、敵機がこちらを捉えて義手のような左手を構えて見せる。と、次の瞬間には、電撃のような太刀筋がヴァルノートの居た空間を円弧状に薙ぎ払っていた。背面スラスターの噴射を併用した素早い、そして深い踏み込みで斬り込んで来た為、容易に避けられる一撃では無い。
しかし、その範囲内に黒曜石の装甲は無い。代わりに斜め上方より伸ばされた鉈の刃が、敵機の右肩装甲を辛くも削り飛ばす。寸前で軽い跳躍を交えて飛び上がったヴァルノートの、奇襲たる一撃だった。そして着地すると同時に左脚部スラスターへと点火、敵機のコンバットナイフ目掛け、痛烈な蹴りを繰り出す。蹴り上げた先に接触の火花が散り、それでも外れない左腕のナイフが完全に固定式だと悟ったなら、ヴァルノートは既に飛び退いて間合いを取っていた。鉈にこびり付いた濃緑色の塗装が揮発し、薄くたなびく白煙が黒曜石の装甲を撫でる。
だが、メイカの――ヴァルノートの何かに憑かれたような攻撃は止まらない。愚直なまでに突進を繰り返し、手にした刃で変則的な攻撃を仕掛け続ける。敵機が刃を躱す方向すら見切り、吸い付くような太刀筋で確実に装甲を削り取っていく。相対する一号機の対応があからさまに遅れて見えるほど、その動きは早かった。
機体を操るメイカの集中も再び温度を上げていき、寸前まで感じていたはずの恐怖すら、本来の五感を超えた知覚の中に埋没し始める。今や彼女に見えているものと言えば、敵機の動きが先読み出来るなどという生易しいヴィジョンでは無い。文字通り、未来の光景として展開される視界がそこにはあった。
殆どヴァルノートと一体化した感覚の中、メイカは自身の身体を動かすような感覚を以て、敵機と剣戟を繰り広げる。何度となく刷り込まれて来た訓練の通りに、身体は反射的に反応し続ける。トールという障壁があれば、現実は見ないで済んだ。これも訓練なのだと無意識に言い聞かせるまま、ハンドガンを右手に構える敵機へと突進する。
「――来る」
敵機の狙いを読み取るのは容易い。相手の取ろうとしている動きは、そのまま頭に流れ込んで勝手に想起される。メイカにとっての視界は、ある意味で曖昧だった。現在と近未来の区別とて付かぬ視界に映り込むは、下手をすれば境界すら見失いそうな情報の渦。飛来する弾丸の弾道を捉え、予め軌道から避ける間にも変化し続ける、膨大な情報の塊だった。ヴァルノートの足元に飛び散る小石の一欠片、加熱した銃口にこびり付く煤の一片に至るまで、幾重にも重ね合わされたイメージの一つ一つが、彼女に鮮明な未来の光景として示される。
敵機の動き出す予兆までもが知覚出来て、刃の切り裂く空間すら手に取るように把握できる。次の瞬間には振るわれるナイフの軌道から身を返し、ヴァルノートが腰部より引き抜いたアサルトライフルを構える。信じられない事に、敵機は弾頭の殆どを紙一重で避ける――そこまでを予見していてなお、メイカは引き金を引かせた。適正使用距離を遥かに下回る至近で、ライフルが発射の駆動に唸りを上げる。
ストロボの如き発射炎に照らされる二機、そしてまるで明後日の方向へと伸びて行く火線。イメージと寸分違わぬ動きで弾頭は避けられ、代わりに振り向きざまの斬撃が飛んで来る。が、既に身を引いていたヴァルノートは、最小限の動きでそれを迎え撃った。
激突する二つの刀身が、互いの高周波振動に共鳴して不吉なうなりを奏で始める。高い耐久性が確保されているはずの鉈すらも軋み、持ち手付近に内蔵されたバッテリーパックが警告を発して来る。しかし、そんな事は意識外の出来事に過ぎない。異常負荷を知らせる電子音を耳に捉えつつも、メイカは真正面の敵機から目を逸らさなかった。否、逸らせなかった。
正面モニターを一面に覆い尽くすは、敵機の頭部。ことさら赤みの目立つ眼をぎらつかせる、悪鬼の姿だ。悪鬼はまるでコックピットに居るメイカを喰らおうとするかの如く、手にした刃でこちらを押し切ろうと迫って来る。生々しい相手の実像に、麻痺しつつあった恐怖が彼女の中でまた蠢き始める。得体の知れない圧迫感に、胸が苦しい。無意識に繰り返す深呼吸は、せめてもの冷静さを保とうとする努力の結果だった。
駆動モーターの軋み音が断続的になり、力負けしたと見えるヴァルノートは、刃を受ける体勢となりつつある。このままでは押し切られる事は確実――が、敵機が唐突に退いたのはその時だった。呼応するようにヴァルノートも飛び退いたが、その動きは数テンポほども速い。
メイカは予め分かっていたかのようにメインカメラを振り向け、その視界に、おっとり刀で援護射撃を寄越して来た二機の友軍機を捉える。二機はアサルトライフルと予備のハンドガンを以て、敵機へ向けて弾幕を張っている。中でも隻腕と化した隊長機は、まるでメイカを遠ざけるようにヴァルノートの前に立ち塞がる。と、その様に悲哀を感じ取った彼女は困惑した。偏に胸を貫く感触が、一層鋭さを増していく様子を感じ取っていた。
彼らの抱える心の有り様が、流れ込んでくる。仲間を殺されたという怒りと、自身の末路に対する悲壮な予感。二つがせめぎ合い、彼らとてようやく、敵機に対して戦えているというのが本質のようだった。それでも逃げ出さないのは何故だろう、とメイカはふと不思議に思う。彼らには帰れる場所があり、過去があり、トールなど乗らずとも生きる事の出来たはずの人間たちだった。それなのにどうして――――。
『隊長、四時方向です。来ます!』
『ノート1、これ以上は近づくな! 女子供がトールに乗った所で何が出来る』
二機が分散し、敵機の左右へと散って行く。二方向へと分かれた火線は、敵機を両側から挟み込むように収束し、目標周囲の空間へと浴びせ掛けられる。彼らが連携して一斉攻撃を仕掛けようとしているのは、傍目から見ても明らかだった。そんな光景を前にすれば、無謀だという一念が彼女の中に湧き上がって来る。彼らが同時に挑んだところで、あの敵機に敵うはずも無い。このまま挑んだ場合の結果などは、分かりきっている。
なら私が行かなくちゃ。咄嗟にそう思ったのは、彼女自身にとっても意外な事だった。しかし、そう自覚出来た時には既に、ヴァルノートは再び大地を揺るがして駆け出している。アサルトライフルを携えたまま、機体ごと突進していく。




