第91話「過去に囚われようとも―1」
『こちらコード2。応答願います、大尉! そこで何が起こっているんですか!』
三号機のコックピットに、必死さを滲ませるリーグの問い掛けが流れ込んでくる。一号機から突如として乾き切った笑い声が届いたとなれば、その焦りとて当然の反応なのかもしれない。一方のルーカスは固まりでもしたかのように、しばし言葉を発せなかった。自分に向けられたものでは無いと理解していながらも、その笑声に背筋が粟立つ感触は抑えられなかった。
はっきり言ってぞっとするような声だった。笑っていると聞こえるはずなのに、笑っていない。一体バルトは何を見たのだとルーカスの心中もリーグと同様、不安に浸蝕されていく。一刻も早く状況を知りたいと願いつつも、実際に見るのが恐ろしい。ルーカスはいつ知れず冷や汗の滲み始めた手で、改めて操縦桿を握り込んだ。
「コード3からコード2へ。一号機が〈Unknown〉共々、こっちに向かって来てるみたいですよ」
『こちらコード2。分かっているが……どうしたんだあれは』
聞かれても分かる訳がない。そんな事は聞いた当人も分かっているはずなのに、それでも問うてきた。つまるところ、リーグも相当に動揺しているのだという事を彼は察する。だからこそ、とりあえず状況から考えられる最低限の推測を口にしてみる。
「きっとこの〈Unknown〉とやらが、それだけのものだったんじゃないですかね」
言いつつ、身体の温度がしんと下がっていくのが感じられる。彼の頭の中にも、そして三号機の識別データの中にも、そんな機体として思い浮かぶものが多い訳がない。当然、絞り込まれるものが一つだけとなったところで、彼は事態の重大性に真に気付くことが出来た。
「例えば――――」
『ルーカス、それ以上は言わなくても良い』
口にしてしまえば、それが現実になるかもしれないという恐れを滲ませた声だった。そう、分かっているのだ。的確な状況の把握と、その共有――軍隊として動く上での鉄則を上官が理解していないはずはないのだから、わざわざその行動の非を指摘する事は慎んだ。士官学校で教えられた通りの知識など、一旦丸め込みでもしなければやっていられないのが前線であり、戦場における現実なのだ。そして今は、その現実が予期しなかった形で噴き出して来ている。
サブモニターに表示される赤い光点と、青い光点。二つが目まぐるしく位置取りを変えながら、もつれ合うかの如く二号機・三号機の控える戦域へとなだれ込んで来る。光点として図式化された光景を見ただけなのに、実際に繰り広げられている戦闘がいかに激しいものであるかが、容易に想像できる。それだけの気迫が滲みだす光景だ。連星の公転運動を思わせる二つの光点の座標は、どんどん彼らに迫ってきている。重心点との相対距離は、既に交戦規定によるところの中距離へと分類されるものとなっていた。そろそろ見えてもおかしくは無い、そう考えたルーカスの耳朶を独特の鋭い砲撃音が打ち付けた。残響が辺り一帯に突き抜ける。
「多薬室砲⁉おいおい……あの距離で撃ったのかよ」
ヘッドマウントディスプレイにも合成表示の為されている座標を見る限り、敵機と一号機との相対距離は相変わらず至近とさえ言えるものだ。信じられない事に、格闘戦の最中にあの大型火砲が使われたらしい。が、乱舞する光点は相変わらず二つを表示したまま。どうやら撃破はならなかったようだった。あの距離で固定砲を撃てた一号機も大概だが、それを避けたらしい未確認機は化け物だ。両者の恐るべき拮抗に、ルーカスは思わず感嘆の息を漏らす。しかし、直後には敵がフェンリルかもしれないという予感が首をもたげ、またしても体温が下がっていくのが感じられた。次は、標的として見定めたこちらに向かってくるかもしれないのだ。
『コード2からコード3へ。ルーカス、大尉を援護するぞ』
「え、良いんですか……だって、敵トール部隊の足止めはまだ」
『周囲をよく見てみろ』
一号機の繰り広げている戦闘にばかり目を取られていたルーカスだったが、いつの間にか敵トール部隊もこちらに向かって来ている。正確には、未確認機の方へ向かって行っている。
敵トール部隊はどうやら、未確認機をただの陽動役としては見なしていないようだった。でなければ、こんな戦闘などは放っておいて本命たるホエールに接近すればいい。そうしないのは、障害を撃破しなければ先には進めないと敵が考えているからだ――少なくとも今は。
初めからそうするつもりだったのか、はたまた途中で作戦を変更した結果なのかは分からないが、敵トール部隊は連携を取る事でこちらを撃破しようとしている。つまりこの動きは、二号機と三号機の足止めが効いたという証拠なのかもしれない。しかし同時に、それだけの期待を掛けるに足るポテンシャルが未確認機にはある、という事も推測出来てしまう。
そこまで考えたところで、彼は一旦深呼吸をしてみた。募っていくのは、要らぬ不安ばかり。もういっそ、動き出さなければどうかしてしまいそうだと、大きく息を吐き出して腹を括る。
「コード3、了解! あん中に飛び込めっていうんでしょう、やりますよ!」
半ばヤケクソ気味で叫んだ事には触れることなく、リーグは『ついて来い』とだけ返して来た。こうなればもう、敵トール部隊を一掃できるチャンスでもあるこの機を逃す訳にはいかない。三号機を走らせながら、ルーカスは多薬室ライフル砲を構え直させる。その先で、二号機も対施設砲を両手で抱える形に直す。遥か後方からの長距離砲撃は、一時止んでいた。
先程よりもずっとスムーズなペースで、二つの機体が樹高の高い森林地帯を突っ切っていく。ヘッドマウントディスプレイに表示される光点が徐々に近付き、断続的な発砲音や、装甲の削られるような甲高い音が明瞭に聞こえ始める。ルーカスの胸の鼓動も、未知の恐ろしさに鼓動を早めていく。そして森林を抜け、一気に明度の増した視界に、戦闘の情景が飛び込んで来た。
一号機が、黒い未確認機と熾烈な近接戦闘を繰り広げている。
望遠カメラを使うまでも無く、メインモニター前面にはでかでかと拡大映像が投影されていた。朝露を払った大気に、人型を為す黒曜石が舞っている。映り込む光さえ取り込んで輝きとしているかのような装甲は、黒いという以前に、怪しげな潤いを以て見る者の感性に働き掛ける。連続して銃口に閃くマズルフラッシュさえ、その黒さの一部に取り込まれて光沢と化しているかのようだ。細部に至るまでしなやかさの張り巡らされた巨体が、束の間ルーカスの目を奪う。その様は兵器という無骨さに似合わず、いっそ芸術品とも呼ぶべき魅力を放っていた。ただ、両手に握られたアサルトライフルと巨大な鉈だけが、異物として混入している。見慣れた一号機と熾烈な接近戦を演じている事も、不思議な光景と感じられるばかり。この時ルーカスは、目の前で起きている戦闘の意味を忘れかけていた。
『コード2、目標を視認!』
スピーカーから響く声に、ようやく我に返る。慌てて多薬室ライフル砲の照準を定めれば、精密照準用スコープ越しにようやく状況の仔細が飲み込めて来た。二機は前方の枯れた谷底、眼下の比較的開けた地形でひたすらに戦闘を繰り広げていた。
義手の如き左手を操る一号機が、時折散る火花に照らされつつ未確認機の至近へと迫る。だが、その都度完璧に対応してみせているのが黒い機体だ。大仰に振りかざす動きさえ認識させず、機体全体をバネのようにしならせ一瞬で鉈状の武器を滑らせる。気付けば弾かれているのは一号機の方で、損傷こそ無いものの致命的な一打を与えられない。
弾かれた衝撃で体勢を崩され、一号機の構えに隙間が生じる。すかさず滑り込もうとする未確認機は、左からの一閃を期し巨大な鉈を逆手に構えた。迷う素振りも無く正面から突っ込んでは、右に抜けるような急加速を付けてから旋回。左脚部からの痛烈な蹴りが大地を揺さぶり、未確認機の鉈が鮮やかな円弧を描いて叩き付けられようとしていた。喰らえば最後、最も装甲の厚い部位でさえ容易に切断されてしまう――それほどの運動エネルギーを乗せた一撃だ。
だが、体勢を崩されながらも、一号機は予測の上でタイミングを合わせていた。予測軌道へ放ったハンドガンの一射が、たった一発のHEAT弾頭が、既に攻撃の構えに入っていた未確認機の動きを封じ込める。弾頭のメタルジェットも飛散し切らない内に、ホバーユニットの大推力を背面に偏向。即座に体勢を変えては、左手部の直付けナイフで逆に黒い装甲の至近を掠め切る。傍目から見ても、一号機の一挙手一投足は精緻を極めていた。
軽くスラスターが噴かされかに思えば、ふわり舞う土煙を背景に機体全体がふっと沈み込む。未確認機の斬撃を皮一枚で躱し、目にも留まらぬ速さで黒曜石の装甲へと刃を伸ばす。針のように鋭い剣筋が、一直線に間合いを貫く。刃の高周波振動が装甲にまで伝播したかに思える一瞬、その紫電が装甲表面に映り込む刹那、まるで刃先と反発するかのように飛びすさった未確認機は、全くの無傷のまま間合いから退いていた。宿す光沢には翳りも無ければ、曇りも無い。いつか見たフェンリル機の威容がそこに重なると同時に、ルーカスの中でやはり何かが違うという違和感がしこりとして残る。
そして未確認機の流れるような頭部正面、T字に刻まれたセンサー部位に、ぼうっと幽暗たる輝きが灯る。その微光すら火種となったのか、あるいは無傷の敵機が勝ち誇る様にでも見えたのか、一号機は更に執念を燃やされたかのように突っ込んでいく。またも接近戦の展開される光景が見えたところを最後に、ルーカスは身体から力が抜けていくような感覚に襲われていた。
「あんなのに割り込める訳ねえよ……」
絶え間ない射撃と斬撃を交え続ける二機が、もはや精密照準用スコープの範囲から外れている事にさえ気付かなかった。ただの望遠モニターへと切り替わった眼下の映像の中で、一号機は演習の時などとは比べ物にならない動きを見せている。否、攻撃を避けてはいるが、自身の事など全く省みていない姿勢で未確認機と渡り合っているのだ。その理解に至った途端、ルーカスは戦慄すら覚えた。あの乾き切った笑い声が何であったか、ようやく分かったような気がした。なら、尚更あんな戦闘に割り込める訳がない――。
「コード3よりコード2へ。中尉殿、なんで大尉殿はあそこまで……あんなのは、あんな戦い方は普通じゃない。まるで敵を倒す為ならどうなっても良いみたいに」
『こちらコード2。ああ、俺にもそう見える。こんな大尉を見るのは、これまでずっと戦って来た中でも初めてだ。しかしあの未確認機は……フェンリルの機体では無い気がしている』
「中尉殿もそう思いますか。なんか、どこかが違う。何なんですかあれは」
『分からないから〈Unknown〉なんだろうが。それは良いとしてルーカス、分かっているな』
「了解、分かってますよ。さっきから見てればね!」
ルーカスが機体周囲に素早く視線を巡らせた。と、不意打ちの如く振り向いた二号機と三号機が、それぞれ真逆の方向へ得物を向ける。ちょうど二機が背中を合わせる形で、砲の安全装置が解除される。大口径を誇る砲口の先には、隠れるように接近して来ていた敵トール部隊の機影が捉えられていた。隠れ潜んでいるつもりらしかったが、高い電子戦能力を誇る三号機の目は誤魔化せない。たとえ位置情報を欺瞞する為に演算能力の大半を費やしていても、索敵能力まで完全に殺されるという事は無いのだ。
二方向へと向けられた大口径砲から、ほぼ同時に弾頭が撃ち出される。敵の反応は遅い。着弾地点で敵機が動き出したのを捉えたのは一瞬、すぐに付近で炸裂した弾頭が小さな崖ごと敵トールの片腕を吹き飛ばした。いずれも照準をロクに合わせていない牽制射撃だった為、撃破には至らなかった。だがこれでいい。また動き出したからには、本命が別にある事はルーカスも理解している。
『コード2からコード3へ。あの三機には構わなくていい、それよりもあの未確認機を巻き込んで乱戦に持ち込むんだ。この状況を打開しなければ、大尉はあのまま戦い続けて――』
途切れるような声で、リーグが言葉を詰まらせた。しかし、それが何を言わんとしているかを理解出来ないほど鈍いルーカスでは無い。当然だ。これまで彼は、決して短くない時間を二人の部下として過ごして来ているのだから。これまで共に幾多の前線を潜り抜けて来た上官が――まるで烈火に身を投じるかの如く――自らの命を削る様など、呑気に見ていられる筈が無いのだ。
今の内に、引き返せる内に隊長を止めなければ。途端に引き締まる思いで、フットペダルを思い切り踏み込む。途端に点火されたメインスラスターが、機体を瞬く間に押し出していく。
「コード3、了解! あの機体から大尉殿を引き剥がすんですね、中尉殿」
息が詰まるほどに身体を抑え付けられつつも、スロットルレバーに掛ける手は緩めない。三号機が敵機からの射線を振り切って、加速し始める。敵トール部隊による包囲から逃れた二号機・三号機が、もつれ合う戦場へ向けて一直線に疾走する。高まる熱に水を差すような憂い――即ち、万一にも敵トール部隊がそのまま離脱しないかという懸念は、蹴散らしたばかりの三機がこちらを追って来る素振りを見せた事で霧散した。とにかく急がなければならないという思いが、リーグとルーカス二人の胸に湧き上がっていた。まずは支援射撃で両機を引き離す。
パーツ同士が噛み合う鈍い金属音を響かせ、多薬室ライフル砲が背部ラックに引っ掛けられる。空いた両腕部には、サブマシンガン一丁が携えられる。三号機が軽装備へと切り替えたのは、偏に一号機への支援が目的であるからだ。味方機を間違っても撃ち抜く事の無いよう、見ている先では二号機も対施設砲を背部ラックに固定している。代わりにアサルトライフルを右手に装備させながら、『コード2からコード1へ』と、リーグは一号機に再度の呼び掛けを始める様子だった。
『バルト大尉、応答願います! そのまま戦っていたら、大尉がどこまで傷付くのかも分からんのです。これから牽制射撃を加えますから、離れてください!』
三号機にも共有された通信回線からは、何も聞こえてこない。ただ、沈黙だけが返される。




