第83話「噛み合う程に壊れ行く歯車」
通路沿いの窓は悉くシャッターに閉ざされ、常夜灯として機能する薄明りがバルトの歩く先を照らしている。準戦闘配備という状態に相応しく、ただ次なる戦闘に備えて動き回っただけの一日は終わりを告げようとしていた。朝は艦運営会議へと出席し、その後は戦闘待機命令に沿って一時的に隊を集めたものの、ナオトの欠席により全員が揃う事は無かった。それもバルト自身がナオトへ、整備班から四号機の調整作業に加わるよう要請があったなら、戦闘待機命令よりも優先させて構わないと伝言しておいたからだ。実際、ロッカールームにおける集合の際、遅れて来たバルト自身と端末を手に慌てて走って行ったナオトは入れ違いになったらしい。つまり彼がその伝言に従ったという事実は、既にリーグとルーカスが話してくれたことによって把握している。次に会ったなら、修理の進捗具合を聞きこそすれ、欠席を責めるような真似をする事などは有り得ない。そもそも愛機を動かせないパイロットは無力なのだから、人間だけがパイロットスーツを着込んでいても仕方のない話と言える。だが、かくいうバルトの愛機たる一号機もまた、調整作業が終わってはいなかった。その為に今、自分は第二格納庫に向かっているのだと反芻しつつ、つい昨日コリンドが提案して来た一号機の応急修理案を思い返して不安な気持ちが過った。彼の見立てによれば、既に一号機の応急修理は完了しているはずで、実際を目で確かめねば気の済まないバルトの為に、この晩に限って一号機を照らす照明はそのまま付けっ放しにされているらしい。
第二格納庫へ通じる通常出入り口の一つ、頑強な閉鎖シャッターが印象的な出入り口から漏れて来る光を見、バルトはそのささやかな計らいが本当であることを知った。整備作業における不手際を防止する為、また相当に大きな空間体積を誇る格納庫内を隈なく照らし上げる為、天井付近に埋め込まれた大型照明の輝度は高く、比較的暗い通路を歩いてきたバルトの目にはその真っ白な明るさが応えた。足を踏み入れ、徐々に明順応を始める視界には、整備用クレーンに囲まれる二つの巨大な人型が影絵のように捉えられた。そのうちの一つ、肩部の背後に長大な砲身を覗かせる機体のシルエットはどこか歪で、普通では無い。その違和感を覚えるより先に、既に把握している応急修理案の図面が脳内に想起され、バルトは一号機の左前腕付近がたしかに挿げ替えられている様を見て取った。次いで視線はそのまま四号機の方へと泳ぐ。だが、更に明るさに順応した目はその足元――モニターの備えられた整備用大型端末にもたれかかる人影を捉えた。誰だという疑問よりも先に、どうしてここで寝ているのかという不審が先に立ち、バルトは慎重に近づいた。そのはずだった。
ふと大きく響いた足音が格納庫内に反響し、金属で覆われた床へ、不用意に足を踏み出してしまった失態が理解される。しまったと思う間もなく、人影はのろのろと上半身を起こし、眠りを破った異音の正体を探そうと動き出すのだった。相手が誰であれ、他人の睡眠を邪魔してしまったという無条件の罪悪感が込み上げるバルトだったが、弁解の言葉を発するよりも先に、人影ははっきりと覚醒した意識でこちらを捉えたようだった。相手がはっきりとバルトを見据えて初めて、彼は人影の正体が、実に四日ぶりに見る部下の姿だったと悟る。おおかた四号機の調整を夜通し続けようとしていたに違いなかった。
とっさに敬礼しようとして来る挙動を軽く上げた手を以て留め、このままではいつまで経っても開かれる事の無さそうな会話の始端を、自ら引き受けようと心に決める。それほどナオトの表情はどこか気まずそうなもので、バルトは自分もそのような表情を浮かべているのかもしれないと考える。彼が部下に対し感じている引け目や罪悪感など、心の表層に幾らでも浮かんでいるものだった。殊にナオトに対しては――。自然、バルトの視線は愛機の左前腕へ移ろって行き、ナオトもまたつられて斜め上方の一号機を見上げる形となる。二人の視線の先には、破損した左前腕部にコンバットナイフを直付けした、まるで創作に登場する海賊のような異形がぶら下げられていた。
「これが上手く機能するかは、やってみないと分からん。MNCSは人型のマシンに搭載された時にしか、インターフェースとしての機能を発揮できない。もちろん多少の逸脱が許されるから、完全な人型とは程遠いトールっていう兵器形態が成立する。が、この最新鋭シリーズの一号機が、今更こんな腕を付けられる羽目になるとは皮肉なものだな」
ちらとナオトの方を見やると、どう答えて良いものやら分からないといった表情を浮かべている様が見て取れた。しかし、せっかく持てた対話の時間を無下にしたくは無い。自らがどんな話を望んでいるのかも分からず、バルトはそれでも続ける。
「俺のMNCS適性が低いからこそ、却ってこんな改修が可能らしいとは聞かされている。なんの因果か、第一世代型トールに初めて乗り込んで以来、適性が低いなりに地面を駆けずり回って来た成果なのかもしれん」
MNCSへの適性が低いからこそ、自らのマニュアル操縦技量を高めるしか無かった。MNCSへの適性が低いからこそ、ここまで精神汚染に侵されることも無くパイロットを続けて来られた。そして、今の立場があり部下がいる。だが、その先は――? MNCSの適性が低いからこそ、やはりフェンリルの居る高みへ手が届かないのではないかと言う恐怖。十一年前、力無き身を呪い初めてMNCSの適性検査を受けた時、そして無情にも最低ランクの評価が下された瞬間、自分は永遠に無力なままなのではないかと感じたあの恐怖。とうに捨て去ったはずの恐怖がまたしても身を苛み始めたこの頃に、適性の低さを逆手に取ったとも言うべき装備が愛機に施されたのは、なんとも皮肉なものだった。
だが、彼が文句を言える立場でない事は明白だった。なにしろ当初、一号機の破損した左前腕部には、第二世代型より取り外された前腕パーツが無理矢理装着される予定だったのだ。コリンドが真っ先に提案して来たその案を蹴ったのは、他でも無いバルト自身だ。
二号機と三号機の整備が一段落した二日前のこと、「共食い整備という形にはなりますが、この状況では他に手もありません。演習用トールから移植した前腕部とMNCS制御系とのリンクは、今から掛かれば明日中には――」そう言い、コリンドが渋い顔で提出して来た報告書には、切り落とされた左前腕部に対する応急修理案の概要が記されていた。これが現実的な案ということになるか。背に腹は代えられないと承諾しようとしたバルトの視界に、添付されていた応急修理後の仮図面がちらと映り込んだ。
文字通り取って付けた腕部が、見る者に義手を連想させてやまない左腕が、一号機のモデルに示され――そう認めた瞬間だった。バルトは咄嗟に修理案を拒否してしまったのだ。左腕を義手とした人型、まさにテトルの姿を連想させるそれを反射的にフラッシュバックさせ、恐れてしまった結果なのかもしれなかった。今となっては聞こえるはずもない末期の声が耳にこびり付き、昼夜を通して途絶えた通信のノイズが幻聴される今、とても乗れる代物では無かった。
それならばと、代わりに提出されたのが現在の案で、「ここまで人型を外れたなら、制御にどんな影響が出るかは分かりかねます」と脅されながらも、前の案よりは幾らかマシと思える仕様なのだ。思い返してみても、全くの自業自得だった。こんな愚かしい判断を下す男が隊長と知れば、果たして部下たちはどう思うか。火を見るよりも明らかと結論を下したバルトは、ようやく口を開き始めたナオトに視線をやる。
「自分は、四日前にここで倒れてなんとなく気付いた事があるんです。いや、初めて四号機のリミッターを外した……その前からなんとなくそうなんじゃないかって察してはいたんです。でも」
見つめられた者の良心を揺さぶるような、真っ直ぐな視線が否応なくバルトへと向けられる。咄嗟に逸らそうとしたが、叶わず。心臓の鼓動が徐々に早まるのを感じながらも、世俗にはひどくありふれて居る実に汚いやり方で――無表情と重みの無い言葉を以て――、無知を装おうと決め込む。だが、半ば予感されていた言葉はそのポーズを吹き飛ばしてなお、余りある。
「この機体に搭載されているMNCSのせいなんですよね? トールに乗っている時に敵の動きが見えたり、真っ白い場所に意識が飛んだり。きっとテトル少佐もこの事を言っていたんじゃないかって。それに、もしかしたらこの機体だけじゃなくて他のトールでも――」
「止めろ」
それは、全く意識せずに出て来た言葉だった。ナオトはただ推測を述べているのに過ぎず、なにもMNCSに関する機密を得ているという確証はどこにも無かった。たとえ推測がいささか背筋を寒くさせるほどに正確なものであったとしても、状況は変わらない。にも関わらず、口は勝手に開いてしまっていた。理由はどこにも見当たらない。そもそも、自分が何故、ナオトにこうまでしてMNCSに関する機密を隠そうとするのかも分からない。混乱を防ぐ為、などという尤もらしい理由を被せる事は出来ても、行動の持つ本来の意味はバルト自身にも計りかねていた。その時ふと、脳裏にある恐ろしい仮説が浮かび上がり、彼は自らの行おうとしている行動の意味を前に慄然とした。ぱちりとはまり込んだ思考への理解を、無意識にある心がとっさに拒もうとする程度には恐れ戦いていた。自分では、フェンリルの居る高みへ手が届かないのでは無いかと言う恐怖。そして、一度はその高いMNCS適性を以てアインドを撃退せしめたナオト。これら二つが繋ぎ合わされたところにある結論が、今はただ恐ろしかった。
……ナオト少尉ならフェンリルを倒せる。俺はまさか、復讐の道具としてナオトを利用したいのか?
だからトールを降りてもらっては困る。だから、MNCSの秘密を知ったナオトがパイロットを辞めるなどと言い出さないよう、意固地に真実を隠そうとする。MNCSの副作用でナオト少尉がいずれ廃人になっても構わなかったとでも言うのか。無慈悲に突き付けられる結論に、バルトは必死に違うと叫ぼうと試みた。だが、広がるのはただ冷たい静寂だけだった。
遂に仮説を否定できなかった自分に愕然としつつ、バルトはなおも自分を見つめるナオトの目をも恐れた。ナオトの語る可能性をわざわざ止めたという事実、そしてなにより、自分の浮かべている表情こそが有力な肯定の材料となってしまうだろうという確信があった。まさにそうだと答えてしまったようなもの――あるいはそれ以上に性質の悪い失態ゆえ、今更否定する術もない。肯定も否定も返せず、向けられた視線の真摯さに応える勇気すら持てない、情けない男がそこには居た。
「でも、もしそうだとしても俺はトールを降りるつもりはありません」
ナオトは視線をふいに背け、若いなりに覚悟を持った横顔を浮かべる。何故だと聞こうとした口は閉じられ、束の間の沈黙が否応なく訪れたが、そのうちにナオトは聞かれるまでもなく話すといった様子で訥々と語り始めるのだった。
「それ以外には、何も無いんです。家族が居るのかも分からずに孤児院で育って、働く場所が必要になって、学費の掛からない陸軍士官学校に入って……それでパイロットを目指すようになっていました。正確には、そうらしいんです」
軽く俯き、どことも知れない場所を見つめるかのような目は、ただ空虚さを湛えている。
「士官学校生だった頃、操縦実習のとき事故に遭って、病院で気付いた時にはもうこの状態で。事故で脳を損傷したんだとか、その為にバイオチップを介して補助としているんだとか。しまいには自分の経歴なんかを他人から聞かされるばかりで、何一つ実感なんて湧かない情報を受け容れるしかないんですよ。そんなものが俺の過去だなんて、今でも信じられないし本当かどうかも分かりません」
果たせるかな、少なくとも多くの人間が辿るようなものでない過去が、まだ若い部下の口から飛び出して来た。空白の経歴が意味するところは、本当にこれの事だったのか。未だ猜疑の成分を濃くする思考が、にわかには信じ難い内容を冷徹な判断の下に精査していく。
自分にそんな資格などは無いと叫ぶ心がありながら、バルトは未だ〝軍人らしい〟思考が回っていると言う事実に安堵もしていた。部下を自分の為に利用していたかもしれない男に、まったく相応しい姿勢だ。と、自己嫌悪の沼に身を沈めながらも、長い軍人生活の惰性は彼を最低限、思考停止には陥らせずに引っ張り止めている。とにかく話の真を問わなければ。まるでそれが義務であるかのように、バルトの脳裏には漠然と疑問が浮かび上がる。
「……覚えていることは、何もないのか。士官学校でも、孤児院の記憶でもいい」
「全く覚えていない訳じゃなくて、靄がかかったみたいで全く実感が湧かないんです。そう……なんでだか、孤児院でメイカっていう娘と遊んだ記憶だけははっきりとあります。でも、そういう事では無いですよね」
あくまで微笑もうとする努力は、却って痛々しいだけに感ぜられる。「すみません」と付け加えるナオトを見、あらゆる状況が許すものならバルトは逃げ出したいとすら思った。
「今の俺にとって実感のある記憶と言えば、この部隊に配属されてからのものが多いくらいです。まだ何も出来ていない俺が、バルト大尉の下で戦えている。良かったと思ってます」
「それは……ナオト少尉の本心なのか?」
まるで縋っているようだと自分の声を揶揄し、まさにそうなのだと囁く心の声がある。普段なら本当に情けないものだと感じるはずの言葉が、今の彼にとってはどうしても必要だった。
「はい、そう思っています」
屈託なく向けられた目に不純なものは見つけられず、いっそ罵ってくれれば楽だと感じるバルトは、痛いほどの真っ直ぐさを正面から受ける羽目となった。それでも未来を語る部下に対し、何かが言えるはずはない。急くように部下へと背を向け、真っ白い明るさで満たされた格納庫を去り行く男の影は、やがて分厚い扉の奥に広がる闇へと溶けていった。




