第82話「それもまた一つの日常―3」
「なんだ、別に急がなくても良かったじゃないですか。艦長との作戦協議で隊長殿が遅れるっていうんじゃ」
各員、任務中の携帯を義務付けられている端末を掲げ、ルーカスは何故か勝ち誇るような態度でそう非難してくるのだった。これみよがしにリーグへ向けられた画面には、直前に雑務担当の士官から報告されたメッセージが表示されている。艦運営会議の終了が遅れ、出席者は任務への復帰が遅れる模様。飾り気の欠片も無く記された内容は、実のところ必ずしも正確とは言い難いものだったが、彼らの知る所では無い。中でもルーカスにとって重要なのは隊長たるバルトが遅れること、それから食堂で過ごせるはずだった時間を無為にしてしまったこと。その二つだけであった。
不満を垂れ流すルーカスがリーグに張り付く形で、二人はさして急ぐ必要も無くなった通路を進んでいく。索敵の網に敵影が捉えられたのならともかく、あくまで用心としての戦闘待機命令に従って向かっていたのだから、今急いだところで得る物は何もない。決して短くは無い戦場生活でこなれた知恵を回しつつ、リーグも少なからず緩んだ心境を自覚していた。
「こんな事ならゆっくり食べておけば良かったなぁ。あれだけ急いで食べたもんだから、もう食道にモノがつっかえてるんじゃ無いかってくらいで」
「特別支給食でも無いんだから、また昼になれば食べられるさ」
どこかしっくりと来ない表情で唸っているのを見るに、ルーカスの表現は決して誇張では無いのかもしれなかった。先生のところにでも行って来たらどうなんだ。一応は身を案じて言い掛けた矢先、何やらぶつぶつと呟くルーカスの様子に、彼の引っ掛かる所はどうやら別にあるらしいと理解する。
「特別支給……特別支給食か……そういや、なんでナオトは特別支給食の事を知ってたんだろうなぁ。ちなみに俺は士官学校ではそんな噂、聞いたことなかったですよ。そりゃ誰も現場に出た事無いんだから知ってる訳ないし」
「士官学校と言ったって一つじゃない。それにきっと、一年早く課程を終えたお前とナオト少尉じゃ、出た年も違うっていう事になるだろう? そういう事も有り得るさ。どうしてもっていうなら本人に聞いてみれば良い」
朝の一件に固執していた先程までの頑なさはどこへやら。「それもそうですかね」と、ルーカスは拍子抜けするような素直さを以て納得したようだった。どうしてこれで、彼が陸軍士官学校の修練課程を最短で終了した優等生だった、などという経歴を信じられようか――。ただし、これまで試験先行運用部隊で重ねて来た実績を前にすれば、どこかで何かの手違いがあったのだろうとは言えはしない。その事実が何故か妙な悔しさを伴って思い起こされるのは、リーグ自身にとっても不思議なことだった。
クルーの大半は各所で任務を開始している時刻だから、漫然と通路を歩く者は居なかった。リーグは斜め後ろを歩く若い部下にどう声を掛ければいいのか分からず、空いているのを良い事に、急ぐ必要も無い通路をぐんぐん進んでいく。と、突き当りの交差地点に見慣れた人影を認めたのは、その時だった。「おお、ナオト!」そう真っ先に呼び掛けたルーカスの声に反応し、男は意外そうな面持ちを浮かべて振り向く。そのいかにも人当たりの良さそうな顔は、リーグが四日前以前に見たそれと変わる所が無く、すっかり肩の力の抜けた敬礼を取ってこちらへと歩み寄って来るのだった。
「割と早い退院だったな。首を長くして待ってたぜ」
「退院って、別に病院行ってた訳じゃないんだけどな。ただ薬打って眠ってただけみたいなもんだよ。運んでくれたのは、ありがとう」
「いいさ。それより、なんでお前は特別支給食の事を知って――――」
「ルーカス……!」と、ほぼ言い終えられた質問をリーグが遮る。そして、困惑の表情を顔一面に浮かべるナオトを見、そうなるのも当然と頭を抱えたくなった。たしかに本人に聞けば良いとは言ったが、誰が病み上がりの人間に突拍子もない話を吹っ掛けろと言ったのか。止められてなお要領を得ないルーカスの表情は、リーグにこそ不思議なものとして映った。
「いきなりこんな時に聞いてどうする。それよりも、ナオト少尉はもう大丈夫なんだな? 検査の前後処置で相応の時間が掛かったみたいだが」
「ええ、今は身体の不調は認められないそうですし、もう大丈夫です。リーグ中尉」
申し訳なさそう、といった風に解釈できる表情を浮かべるナオトに、リーグは気にするなとでも言いたげに苦笑を返した。促したリーグ共々、三人は再び通路を歩き始める。
しかし、そこに流れる空気がどこかぎこちなさを含んだものである事は、否めなかった。病み上がりの人間に「大丈夫」などと言われてしまえば、それ以上踏み込めないのが大半の人間が持つ心理というもので、目の前に隔壁を張られたような心地で疑問は押し留めるしかない。なにより本人が詳しく言おうとしないのであれば、他人には言い辛い内容であるか、あるいは本当に知らない可能性が高いのだ。立場を使って聞き出せない事は無い――むしろ聞き出すべき立場だと分かってはいる――のだが、リーグ自身はそういったやり方があまり好きでは無かった。それは長年付き従って来た上官の影響なのだろうと、考えるとも無しに理解される。
ため息こそつかないよう心掛けてはいるが、限りなくそれに近い心境だと自覚し、歩く。それでも、後ろでナオトとルーカスが他愛も無い会話を繰り広げていれば、気分がだんだんと軽くなっていくのが感ぜられた。いや、ただ問題を先送りにしているだけだ。そう囁く心の声は聞かなかったことにして、出来る限り楽観的でいようと務めた。それも狭い通路の向こうに、物々しい雰囲気の集団が現れるまでの事ではあったが――。今度は、「すれ違わざるを得ないと分かっていれば別の通路を通ったものを」と、心中に吐き捨てられた声がはっきりと聞こえる。
「ルーカス、あれ、特殊情報局の連中だよな」
「そういえば艦内の準戦闘配備とは無縁なんだっけな。敢えて時間帯をずらしての行動って訳かね。合理的なところは〝らしい〟もんだぜ」
集団が纏う軍服の左肩に、目ざとく軍特殊情報局を示すエンブレムを見つけた彼らの観察は正しい。通常仕様の軍服よりも敢えて威圧的な意匠を施された制服は、艦内クルーのそれとは明らかに異なる。諜報活動の上で重要性を否定できない『はったり』や『先入観』といった要素を利用する為の、文字通りの衣装たる代物ではあるが、その制服の中に実働部隊員たちの冴え切った肉体が収まっているとなれば、いよいよ笑えなくなるほどの威圧感が生まれている。
見知ったテトルが着ていればこそ、今までは特殊情報局の制服に対しそういった感想を抱く事も無かったが、こうして接近する形となれば避けたくもなる。すぐ横を過ぎ行く集団を前に、リーグはまるで新しいものを見るような目で彼らを観察していた。彼自身がその事実に気付くと同時に、自分たちへ向けられている視線がどことなく棘を持ったものである事実を感じ取った。同様の感触はルーカスとナオトにもあったようで、狭い通路を全くの無言ですれ違った後に、一歩後ろから感想が吐き捨てられた。
「中尉殿、連中のあの視線はどういうことなんです。外様だからってあんな露骨にされちゃあ……テトル少佐とかいう統括がいなくなった途端にこれかよ」
よく知る名前が、既に居ない者のそれとして扱われている。その事実にどこかで疼く痛みを押して、リーグは束の間止まっていた呼吸を取り戻すように息を吸い込み、意思を固める。気付いていないのなら自分から教えてやらなければならない。
「考えてもみろ。今すれ違ったのは特殊情報局の実働部隊、その中の第一分隊だ。彼らは基地制圧任務を続けたからからこそ生き残れたが、第二分隊やテトル少佐は施設の探索任務の最中に戦死した。それもトールの襲撃によって、だ。まさに俺たちが警戒しなきゃいけなかったものにまんまとすり抜けられた結果、あんな被害が出たという見方は正しい――」
「でも、あん時はフラグマの対処で手いっぱいだったから……!」
「それも、あの人達には言い訳にしかならないって事なんだろうな。実際、中尉の言う通りなんだろうとは思う」
「そういう事だ。だから、彼らがこちらに抱く感情は理解しないといけない。でも、真正面から受け止めるっていうのは駄目だ。それこそが正しいんだろうとは思うが、そんな事を続けられるほど人は強く出来てない。現にバルト大尉は潰されかけてる――俺にはそういう風に見えるんだ」
言っている事は理解出来る。でも――。そんな心情が透けて見える。絶句するという形容がまさに相応しい様子で、二人はリーグの顔をまじまじと見つめていた。ただし、必ずしも言いたい事が伝わったという自信を彼は持てていない。歯切れの悪い口調で、しかし真摯に語ることこそが自分に出来ることなのだろうと信じ、続ける。
「ともかくだ、大尉以上のパイロットなんて今まで見たことが無いし、尊敬もしている。でも、あの人は……きっと目指しているほど軍人に徹し切れていない。きっと、どこか根本的な部分で軍人には向いていないんだろう。ただ、それこそ大尉が大尉で居られる大事な心根なんだろうから、俺がとやかく言うものじゃない」
「あのバルト大尉が……軍人には向いていないんですか?」
向ける視線も真っ直ぐに、物事を真面目に捉えようとするナオトらしい、心からの疑問が率直にぶつけられる。これもきっと、冗談だと言えば信じてくれるのだろうと、本気で思えるような目がリーグには向けられていた。もしかしたら自分の言い方はどうにも誤解を与えるものだったか。そう考えた途端、心がちくりと痛むような感覚を覚える。
でも、間違った言い方じゃない。そう信じ、偽らざる本心を部下の前にさらけ出したのだから、リーグはこの事を心に留めていてもらいたかった。理解できるか、共感できるかどうかはともかくとして、十年の時を部下としてやって来た自分の見方を伝えておきたいと考える。一見、軍人として完璧にも見える男の意外な脆さを。
「ナオト少尉やルーカスだって、大尉の部下を十年以上もやっていれば分かる。そういう人なんだ、とな」
「つまり大尉殿は、士官学校で教えられたような〝良い軍人〟とは限らないってことですかね。まあ、実際あんなもんになったって仕方ないんだけどさ」
ナオトを横目に捉え、どこか可笑しそうな表情で言うルーカスの評もまた、的確なものだった。だが上官として、軍人像を否定したとも取れる発言を注意すべきか否か。今更ながら教本通りの教育義務が沸き起こるようだったが、「隊長はやっぱり隊長でなきゃなぁ」と呟くルーカスを前にすればどうでもよくなってしまう。全く意味の分からない発言にも関わらず、どこかで意味を理解出来てしまう人間が、そこにはちょうど三人居るのだった。




