第79話「秘匿コードネーム〈ヴァルノート〉―2」
……そう、あのまま地下区画へ降りた俺は、カルサ少佐の案内で施設を見学して回った。尤も見学なんていう呑気なもんより、接収した施設の監察って言う方が正しい表現だろうが。しかし、驚くべき規模だぜ。学者から技術者から、いったいここに居る人間はどこからかき集めてきやがったんだ。
カルサの案内でオフドが見た物は、まさに馬鹿馬鹿しいと一蹴するのも当然と言える規模の秘密基地であった。多数の人員、充実した高度な設備、加えてこの施設を秘匿出来るだけの防諜態勢。それらが、少なくとも軍部の大半に対して秘密裏に存在していたという前提を置けば、どれを取っても信じ難い域に達している。もし彼自身の目で確認していなかったならば、この基地の全容を信じる事などなかったであろう。しかし戦略上、全く重要でないはずのタレー特設基地の真価は、彼にとってようやく理解できるものとなっていた。偏に地下区画に秘された研究成果や接収物こそが重要なのであり、地上区画などは飾り程度の意味合いしか無かったのだ。
……となれば、何故あそこまで大規模な防衛部隊を組織できた。国境地帯の辺境なんぞはパトロール部隊くらいしか居ない左遷先で、二個小隊編成の固定部隊は異例だろうが。
それとなく疑問の目を向けるも、隣に立つカルサが気付くはずは無い。彼がオフドの反応を引き出す為、意図的に無視しているのでは無く、本当に自身へ向けられて然るべき疑問などに気付いていないのだ。オフドはカルサという男に出会ってからというもの、彼をまっすぐな定規でしか物事を測れない人間と見ていた。故に邪道たるものの真髄を理解せず、オフドのような異端者を自覚する人間に良いようにされる。
だが、そんな人間がこの大規模な秘密施設を抱えて尚、基地を運営出来るほどの政治力を発揮できるのだろうか。より正確に言えば、非常に繊細な政治的バランス感覚を求められるであろう地位に、今のカルサが着いていられるのは何故なのか。そんな事がオフドには不思議でならなかった。なにも彼を無能と評しているのではない。ただ彼は、カルサのような生来実直であろう人間がこのような薄暗い地位には合わないという事を知っている。この男も所詮は替えの利く飾りということか。ならば、と立場で判断する事の無意味さをオフドは悟る。だからこそ、それに代わって彼が知りたいと願うのは、目の前に居る男の本質だった。それこそ搦め手など必要ないと断じ、単刀直入な言葉をその無防備な脇腹に差し込む。
「カルサ少佐よ、なぜこんな薄暗いところで基地司令なんぞやっていたんだ? 見たところ、俺のように前線での責任を問われて飛ばされたっていうんでも無いだろう。まさか基地司令殿がな」
「能力に見合わないとでも言いたいのか? まあ、それも仕方ないだろうな」
「いいや、ただ疑問なんだよ。あまり邪推はするな」
妙に手ごたえの無い反応に、却って視線を向け辛くなったオフドは、真正面に広がる空間へと意識を向けた。地上十数メートルに位置する整備用クレーンに乗る身にあっては、言葉通りに視界を覆う程の巨体。トールとしては一般的な、それでも生身の人間にとっては巨体と評するに相応しい、ヴァルノートのしなやかな巨躯。既にパイロットを引き下がらせたそれは、今や魂を失った空の神像としてオフドの前にある。
存在そのものを形成するような、兵器にあるまじき艶やかな装甲。黒曜石の怪しさを以て人型に張り付けられた外部装甲板は、オフドが嫌厭するフェンリルの機体とよく似ていながら、仔細に目を凝らせばやはり違うと感じさせるものだった。両者がいかなる技術的系譜で結ばれているのかを彼は知らないし、本当にあるのかどうかもの確証も無い。だが、まるで見る者を引きずり込むかのような引力を持っている点について言えば、同質だとも感じる。
その時、彼はふと寒気を感じた。少し顔を上げれば目に入る頭部――T字に刻まれた複合センサー群が特徴的なユニット――に、じっと見つめられているような感覚を覚えたのだ。同時に、「自身もまたこれに引き込まれてここに来てしまったのだ」という得体の知れない直感がオフドの裡に湧き上がって来る。その引力はある種の呪いとすら感じられた。このヴァルノートが不吉を身に宿す機体だというのは、あながち間違ってはいないのかもしれない。それ以上、正面に目を向けるのも困難となり、まるで圧力に負けたような視線は再びカルサの許へと向けられた。
ちらと振り向けた視界にカルサの横顔を捉え、彼の浮かべる表情が、自分自身の在り方に苦しむ人間のそれだと理解する。だが、いったん口を開いてしまえば、表情がほんの僅かにも和らいでいくようにも見えるのは、いかにも有り得る話だった。
「私がこの地位に、この場所に引き寄せられたからだろうな。こうしなければならない、という判断に従い続けていたらここに来ていた。時々の義務に従い続けて来た結果、と言う事も出来るだろうが。それだけの事だよ、少佐」
「分かんねえなぁ。カルサ少佐はいったい何に突き動かされてんだ? 目的といい、ここの基地司令になる事の意味といい、俺にはさっぱり見えてこないぜ。少しは説明したらどうなんだ」
いや、これは流石に斬り込み過ぎたな。オフドが咄嗟に感じた予感だった。だが一度放り放り込まれた疑問が都合よく取り消せる訳も無く、その言葉を切っ掛けに、ほんの僅か綻びかけたかに見えたカルサの表情は、先程までとは全く異質の硬さを以て引き締められた。たしかにその変容を見て取り、おおよそ繊細とは言えないオフドでさえ居心地の悪さを感じ取る。しかし、これも言わなければ始まらないことだ。人の機微による予感は敢えて捻じ伏せ、オフドは反応を待った。そして束の間の時を置いて、絞り出すような言葉が重々しく耳朶を打つ。
「……なら、少佐はハベラ第三自治区のことを知っているか。中でも主要な国境戦線が形成される直前の出来事、あそこでは大規模な防衛戦が展開された」
全く関連の見えてこない話でありながら、どことなく終着点が見え隠れする語り出し。得心のいったような視線を浮かべながらも、オフドは素知らぬ顔を通すのが礼儀だと考える。ハベラ第三自治区、ある程度の地位にある軍人ならば誰もが諳んずる事の出来るであろう歴史に、ほの暗い事情を含め引っ掛かる情報は多い。殊に九年前より、かの地で散発するようになった地上戦については。
「まあいい。軍発表によれば、ハベラ第三自治区はゲルバニアンが成立してからというもの、相当の自治権を与えられていた自治区の一つだったな? 従来の政体維持を餌に、ある種の緩衝地帯として機能するよう宙にぶら下げられた地域。中でも大規模な迎撃戦となると……第十二次にあたる市街地戦も含む戦闘のことか」
故に、いったん同地域を挟む両側で戦端が開かれてしまえば、激戦地となる宿命を背負う地域でもあった。と、識者や戦史書の多くは語る。それは無言の内にも、彼らにとっては周知の事実として処理される結論だった。
「その時の前線指揮を執っていたのはハネス=カルマン准将――当時は中佐だった。私の目的は、端的に言えばこの女に事の真相を質し、相応の報いを受けさせること。まずはあの防衛戦の顛末を明らかにする事だ」
「当時の作戦とハネス准将がどう繋がる。仮にもあれは、第十二次国境防衛戦の英雄と祭り上げられている女傑だぜ? 准将の指揮で行われた防衛戦で、エークス軍を撤退させたって事実は紛れも無い事実だろうが」
「あの女が挙げた戦功はたしかに大きい。ハベラ第三自治区で行われた迎撃を機に、たしかに大部隊を押し上げつつあったエークス軍を撤退させる事には成功した。だが、自治区まるまる一つを贄にエークス軍を撤退させたという事実は封殺されたままだ。あの化けの皮を以て英雄に祭り上げるなんて、我が軍の高尚な倫理観が窺えるじゃないか?」
「やはりな」と事情を呑み込みつつも、確証は踏み込まねば得られない。自嘲あるいは皮肉の色を浮かべるカルサに、オフドは止めとも言える疑問を容赦なく撃ち込む。
「そこまでハベラ第三自治区に拘るのは――――」
「私の故郷なんだよ、あそこは」
「なるほどな。だから元出資者連中の人脈に身を投じもしたし、こんな地位に留まって辺境で基地司令なんてものをやっている。全ては実績を重ねて、あの女の元に辿り着けるだけの地位を築く為だ……とでも言い切りそうな調子だな。いや、納得はしたぜ」
半ば予想していた答えだったからこそ、オフドは納得を以てこの事実を受け止めていた。しかし、カルサの語った事に対し肯定も否定も出来ないのは、やはりオフド自身が相手の内面を真には探れていなかった事の証しだった。有り体に言えば、軟弱とばかり読んでいたカルサの行動原理に思わぬ基盤を発見し、戸惑っていたのである。
彼がこれまでこういった人間を見てこなかった訳では無い。むしろ見て来たからこそ、カルサが辿るべき未来ははっきりとした像を以てオフドの脳裏には展開される。それらはいずれにしても、彼にとって共感には値しないもので――しかし自身には目指せないものとして、ある種の興味を向ける対象足り得た。そしてあくまで冷徹に働く打算は、同じ指向を以て彼の決断を後押しする。その時、自分でも意図せず笑みを顔に浮かべた様などは、傍から見れば不気味なものとして映っただろう――。
予想通り。当惑の色を濃くするカルサの顔を真正面から見据えたオフドは、どこか愉快な気持ちを隠そうともせず、一思いに言い切る。
「まあ、カルサ少佐が徴兵でかき集められたような奴では無いとは思っていたが……元出資者どもの伝手を頼るなんぞ全く馬鹿馬鹿しい、予想以上だな。だが付き合うぜ」
「なに?」
「カルサ少佐の近づこうとする先はハネス准将だと言ったな? あれには俺も個人的に借りがあってだな。オルテン基地陥落後、俺をこんな左遷先に飛ばしやがったのはあの女という訳だ。失脚させるというのなら大いにけっこう。その時に有利なポジションに付ける事が保証されるのなら、乗らない手は無い」
「つまり、それは私に協力するという持ち掛けなのか」
「協力というよりかは、利用って言った方が正確だろうぜ。まず、上にはタレー特設基地陥落とでも伝えれば、残存戦力の徴収如何は現場指揮官の判断が優先されるだろう。なに、それが駄目なら基地残存戦力が最寄りの部隊へ緊急避難的に合流した事にすればいいんだ。上層部は辺境の配置なんぞ興味は無いはずだから、いちいちそんな事に気を配っている余裕なんかねえよ」
「しかし、それにしても個人単位での勝手な部隊編入が許されるとは。それに地下区画の存在を放置する訳にはいくまい」
「だからこそだ。首がすげ変わったって中身まで変わるもんじゃない。老人共が仲介しているのなら、どうせ代わりも居るんだろうが」
カルサがぐっと押し黙る様子を横目に捉え、それっきり反論の一つも飛んでこないのを良い事に、オフドはこの事態に連なる情報を新たに掘り出す。限りなく賭けに近いのは認めるが、まさに幸運としか思えない。そう思えるだけの事態が今現在も進行しつつある事を、彼はきっちりと把握していた。戦略的と言える規模にまで拡大された展望は、遂に極めて危険な渡り橋として凝固する。
「それにだな。幸運な事に、今は国境戦線でクソ忙しい事態が動いてる」
「ああ……エークス軍の一個師団を食い止めているという、複数師団規模の戦闘のことか」
理解の早さに満足しつつ、オフドは「そうだ」と頷いて見せる。
「それに例の大規模戦闘の最高指揮官はハネス准将な上、国境パトロール隊の幾つかには既に集結命令が下っていると聞く。本来、腰を据えての防衛戦には不向きな部隊まで駆り出されてるってのは、それだけ本来の防衛戦力を削られているっていう証拠だ。だから、栄えある我が第五十二辺境機動警備隊なんぞにも集結命令が下る可能性は高い。楽しみにしておけ」
タレー特設基地陥落にかこつけたカルサ=ベルボットの部隊への編入、かつてない程に大規模な戦闘の余波による辺境機動警備隊への集結命令の発布。どちらも上手くいく可能性は全く以て高いとは言えない。だが、仮に全てがオフドの思惑通りに動いたならば、彼自身の野望とも言うべき復権の志には一筋の光明が差す事となる。しかしその為には、潰しておくべき汚点にして、復権に向けた足掛かりとなるべき一つの案件を打破しなければならない。この時、彼の脳裏には紛れも無く、かねてよりデカブツと称していた大型輸送艦の瀕死の姿が浮かんでいた。
あれを沈める予定には変わりないが、更に急ぐ必要が出て来た。取らぬ狸の皮算用とでも評されるべき行動は百も承知で、それでも周到に準備を重ねる姿勢は彼の常だ。いっそ晴れやかな面持ちで視線を向けなおしたオフドの目には、ヴァルノートのしなやかな巨躯が魅力的なものとして映り込んでいる。
「だがな、まずはあのデカブツを沈めておかにゃ話は進まん。という事でカルサ少佐、あれは第五十二辺境機動警備隊が戦力として現地徴発するが、良いな?」
「何を考えている、このヴァルノートを実戦投入するつもりなのか⁉しかし、これはパイロットとの擦り合わせ作業もまだ……」
「出来得る限りの予備実験データは見せてもらったさ。それでこの俺が問題無かろうと言っているんだ、少しは判断を信用しろ。あのデカブツを攻略するには何としても、あの厄介な砲撃型を黙らせる必要があんだよ。その為にこの不吉な置物を有効利用してやるって話だ」
一応筋が通っているにしても、オフドが淡々と語る内容は、カルサを絶句させるには充分なインパクトを含んでいた。正気を失ったかとも思える相手を前に、彼の脳裏には数え切れない程の合理的な反論が過っていく。ロクに解析も出来ていない機体を実戦投入するなど……それこそ、専属パイロットの精神状態の安定すら定かでは無いのにも関わらず!
「少佐との初の共同作業、楽しみにしてるぜ」
オフドが不敵に口を歪める様を前に、カルサは自分が悪魔との契約を結んだのかもしれないと考え始めていた。これより自身を待ち受ける更なる波乱を、別の形で覚悟し直した瞬間である。




