第78話「秘匿コードネーム〈ヴァルノート〉―1」
カルサは今までになく重い歩みを、とうに見慣れた基地内部の廊下に進めていた。あの要請からもう五時間が経ったのか。遅すぎる理解が彼の脳裏に浮かび、いかにも精彩を欠く視線は両脇を固める兵士たちへと向けられた。足元から頭頂、彼ら二人に向けられる観察の目は、しかし、鍛え上げられた屈強な肉体の前に甘んじて受け止められる。
小口径の銃弾ならば防ぐであろうと分かる分厚いボディーアーマーは、連なる弾倉ケースによって華々しくも飾りたてられ、その存在感を二回りほども大きく演出している。なにより彼らが携える自動小銃の使い込まれよう――――それはどうあっても逃れようのない形で、元より無い抵抗の意思を完全に潰えさせるに足る威圧感を放っていた。あるいは、その為にわざわざ重装備を施した兵士をよこしたのだ。さして難しくも無い洞察からは、彼自身がどういう立場に置かれているのかが明白に匂って来ている。相当の略式とはいえ、わざとらしい程に対人戦闘を意識したオフドの部下達。ご丁寧にも自室を出た時からここに至るまで『警護』してくれている彼らは、カルサ自身の調子などまったく構う様子などは無い。一歩一歩、過ぎていくドアーを横目にやり、ちょうど基地中枢に位置するそれだと把握できる通路も、こうあっては全く別物に感じられると言うのがカルサの偽らざる心境だった。そしてまさに虜囚たる彼が、通路の向こうから掛けられた声に顔を上げる。
「よう、カルサ少佐。あれだけ静かな部屋だったんだ、少しは休めたんじゃないのか?」
「有り難くも、少佐の指示で回線が全て切られていたおかげでね。たしかに呼び出しの一つも無い静かな夜だった、当然だ」
「そりゃ結構なことだ」
警護担当の部隊員はごく簡素にもオフドへ敬礼姿勢を取り、一歩引いて、正面から対するオフド・カルサ両名を見守る位置へと付く。これには予め指示があったようで、オフドの先導で二人が再び歩き出した時、部隊員は誰一人として付いて来ようとはしなかった。正直、拍子抜けしたような気持ちでオフドの背中を追うカルサは、「流石になめ過ぎだ」とこの状況を心中で評した。しかし、仕込み武器の一つとてない我が身を省みれば、それも妥当な判断なのだろうと思えてくる。訓練以外ではロクに銃を撃ったことも無い両手が、まったく柔らかい表皮に覆われた両手が、この時ばかりは恨めしかった。
オフドの足取りは軽い。曲がりなりにもカルサへ案内と頼んだにも関わらず、彼は全く迷う様子も無く、むしろ先導するかのような勢いで突き進んでいく。場所は徐々に中枢を少し外れた区画へと着実に近づいており、基地内で最も深いエリアへと足を踏み入れようとしていた。徐々に照明の設置間隔も開いていく中、ぐんぐんと突き進む歩調とは逆に、まるで自身の内臓を握られているかのような心地で付いて行くカルサが居る。この経路が何処に至るかをよく知っていればこそ、平常心で居られるはずもない。額と言わず全身に噴き出す汗を感じつつも、彼は開き直ったかのような質問を敢えてぶつけてみる事にした。
「少佐、やはり地下区画へ向かうつもりなのか?」
「それ以外、ここに何があるって言うんだよ。タレー特設基地。ここが建造されたのだって、元はと言えば旧研究所の設備を手っ取り早く利用する為だろうが」
「基地設立の経緯を知っているなど。いったいどこの老人からの差し金なんだ」
「学術団体オーディンの元出資者共は、随分と俺に親切だったぜ? まあ少佐殿もご存じだとは思うが、当局や憲兵どもに睨まれてる連中なんていうのは、表立っては現れないルート開拓に必死だ。こちら側がまさに利用できる立場だと示してやれば、ご丁寧にも使えそうな人脈まで紹介してくれてな」
「たしかに、どこかで聞いたような手口だな。全く……」
まるでいつかの行動を盗み見られていたかのような内容に、カルサは再び汗が掌に滲むのを感じた。しかし、それを悉く当然のように言ってのけるオフドに対し、彼の中では驚きという感情が麻痺を起こしつつある。形式じみた応答で吐き出される質問さえ、必ずしも彼の意図を反映したものでは無く、むしろ自身の立場ならこの男を探らなければならない、という判断が先に働いただけのことだった。これ以上、目の前の男から予期せぬ情報が飛び出してきても驚く事はあるまい、とカルサが考えていたのも事実である。
だからこそ、驚いた。「カルサ少佐」と不意に呼び掛けられ、立ち止りかけたのも一瞬、オフドの顔を覗き込んだ彼は今度こそ足を止めてしまった。他人をあしらうような空気を常とする顔はうかがえず、オフドという人物のイメージにはそぐわぬ程の真剣さを持った表情が、そこには浮かんでいる。その時ふと、ある意味でオフドを侮っていた自分が省みられ、カルサは意外とも思える胸中を自覚し視線を泳がせた。一旦歩調を緩めたオフドはそれを知ってか知らずか、視線の合うか合わぬかの狭間を微妙に行き来しつつ、彼に語り掛ける。
「俺は、こんな所で終わるつもりはねえ。だから、配備先に友軍の受け入れすらロクにしようとしない基地があるとかいう怪しい噂にも、みっともなく飛び付いた。そんで、何かしらの事情があると踏んで探ってみたらどんぴしゃりと言う訳だ。悪く思うな? 利用できそうなものがここにあったというだけの話だ」
「あれだけの事をやっておいて、今更そんな話を」
「辺境の部隊に噂が広まるほど、不審な行動繰り返してたのが悪いんだ。恨むならどっから湧き出して来たか知れない、その秘密主義を恨めよ」
「やりたくてやっている訳では無い……」
子供染みた言い訳を吐き出しつつ、カルサは意識的に顔を背ける。すっかり鈍くなっていた感覚にあってもやはり、オフドが意外なほど険しい顔で語り出す様は、この時の彼にとっても驚き足り得た。「それにしても、こんな立場の私にどう言って欲しいんだ」と反応を促してみるのが精々、それ以上踏み込む勇気はカルサには無い。
「いいや何も。どうせ今は歩くだけなんだ、暇潰しくらいにはなっただろうがよ」
緩められていた歩調は再び、どこか急ぐような雰囲気を以て早められていく。だが、ついさっきの言葉は。例の如く飄々と、しかし彼自身の本音を滲ませた言葉は、カルサにとっては初めて信頼に足る言葉と受け取れるものだった。勿論、カルサ自身が利用される立場にあるという現実が変わる訳も無いが、ほんの僅か、彼のオフドと言う人物に対する認識は改められた。たったそれだけの事が多少なりとも心を動かしたとするなら、それは甘いという他に無いのだろう。彼自身、そのような自覚はあったが、敢えて否定したいとは考えない。不信、警戒心、そしてやり遂げねばならないという使命感の裏には、心の奥底にこびり付いて消し去れぬ何か――彼の知る限りではヒューマニズムと波長を近しくする何か――が確かに脈打っていた。
故に、なのだろうか。立場に合わぬ言動さえも、この時ばかりは許される。
「では私からも一つ、暇潰しの種を提供してやる。不審と取られても仕方ないとは思うが、私が血迷ったものだとでも考えてくれ」
「ほう、俺は構わないぜ。続けてくれよ」
「ここタレー特設基地がどうして設立されたのか、少佐は旧研究所の設備を利用する為だと言ったな? たしかにそれは正しい。だからこそ、旧研究所とこんなに近しい位置に基地は作られた」
まるで湧き出すような感触を以て、カルサから語られる言葉はオフドの背へと浴びせられる。どうも引き込まれているな。自覚し、それでもオフドはずいと視線を後ろに向けた。
再び向けられた視線はたしかに興味をそそられた人間のそれで、カルサはそれをたしかに確認する。少なからず説明的な前置きも、この話題における導入としては成功だった。そう――タレー特設基地設立にまつわる昔話こそ、カルサが最重要視し、そしてオフドにとっては最も手に入れたいと願う情報に他ならない。
「だが、いったい何がその引き金になったかを知っているか」
「引き金ってのは、基地設立が決定的になった切っ掛けって意味だな?」
「そもそもにして、こんな話が表沙汰になっているはずは無いんだがな。当然、資料として残っていない訳も無い」
「まあそりゃあそうだし、俺も一応は知っているつもりだ。レオーツ戦役勃発直後、上層部は緊張状態にあった軍末端を縛り切れず、国境地帯周辺における戦線拡大を招いた。もちろん、それが今のゴタゴタにも繋がっている訳だが、接収し得たものに関していえばそう悪い話でもない。オーディンの研究所だの鉱産資源精錬施設だのと、有用なもんは手に入れる事が出来たからな。タレー特設基地も、その接収物を解析・研究する為に建造された研究施設の一つ――これで満足か?」
「そう、概ね少佐の知っている通りだ」
レオーツ戦役においては、開戦当初エークス領だった地域が多数、進出したゲルバニアン軍の勢力圏に置かれた。軍民問わず、その過程で得られた接収物も少なからず存在し、中にはそれらの解析研究の為にわざわざ施設が置かれる事例すらあった。その程度の認識があれば、カルサにとって不満は無い。彼はある意味安心したような、あるいは満足したような表情を浮かべつつ、話を核心部分へ進めていく。
「特に、この周辺で接収されたある代物にはコードネームが付けられ、秘匿された。当時の軍上層部としては、それほどの価値を持つものだったという事だよ。正体を明かせば、それこそ我が軍が初めて手にした人型兵器だったという訳だ」
ただし、接収当時はその有用性に気付けなかった軍部の無能は、ここで話すべき話題では無い。それこそ、巨大人型兵器などという一見馬鹿げた兵器が真に秘めたポテンシャル――後に陸上戦の戦闘教義すら塗り替えるに至った性能などは、その時点では全く見抜かれていなかった。ただ、技術的好奇心から重要物としての接収物に至ったという経緯があるだけで、その詳細などはカルサでさえ知る所では無い。だが、人型兵器をいち早く手にしたのがゲルバニアン軍という事実すら、公にされるものでは無い事を考えれば、これだけでも充分に驚くべき情報のはずだった。
さて、これにオフド少佐はどんな反応を返す。カルサは一種の爆弾をぶつけたような感触を以て、基地設立に関する重要事実を差し出したのだ。しかし、まったく予想外にも冷静さを保つオフドには、肩透かしを喰らったような心地で疑問の目を向けざるを得ない。
「軍が12年前に接収したトール、たしかコードネームは〈ヴァルノート〉だったはずだな? 諜報部の介入もあってそれなりに秘匿されていたようだったが、悪評だけは随分と立っていたぜ? 不吉だの呪われただのとな」
「既にヴァルノートの事まで知っていたのか。当然、調査は行っていたにしても……正直、驚いた」
「これを知らずに、何を知っていたら下調べしたって言えんだ。尤も俺の目当てにゃ、その解析データも含まれてるっていうのは覚えておけよ。なにせ老人どもの一部は政治犯扱いで塀の中にぶち込まれている身だ、奴らにだけに頼るってのはリスクがデカ過ぎる」
たしかにここまで基地の情報を知っていれば、もはやヴァルノートの事を知っていても何ら不思議では無かった。むしろ知っていなければ不自然なくらいだった。と、カルサは自らの浅慮を嗤う。
……しかしこの男、隠すつもりを見せない割には抜け目がない。タレー特設基地、ヴァルノートに関する機密を骨の髄まで吸い尽くそうというつもりなのか。そしてそんな男にベラベラと機密を語る私は、なにをやっているんだろうか。
「まあいい。そのトールを解析出来たのは、学術団体オーディンが現地に残した設備による成果だ。つまり、我がゲルバニアンの技術力ではとても手に負えない代物だったんだよ。知っているだろう? 我が軍の新鋭トールにしたって、結局はエークス製のデッドコピーに過ぎないという事は」
「ああ、そりゃあ前線で戦っていれば嫌でも分かるぜ。なんといっても、ゲルバニアン軍最強の部隊は鹵獲機で編成された〈瀉血の部隊〉と来たもんだ。笑えねえ」
躊躇いも無く吐き出された「瀉血の部隊」という呼称。それが軍内における明らかな蔑称である事は、わざわざカルサが抗議の声を上げずとも明白だった。しかし、今そんなことを問答してどうなる? それよりも、本題は伝えられる内に伝えておきたいと考え直す。進む通路の先に鈍く光る金属扉を見据えた彼は、追及をそれだけに止めた。
基地内に設けられた他の設備とは明らかに異質な、まるで異物の如く埋め込まれた金属扉。スポットライトよろしく照らされたその一角は、いささか丁寧過ぎるほどに分かりやすく目的地としての存在感を放っていた。そこに着く前に話は一段落させておかねばならない。「だからこそ」とカルサは結論を急ぐ。
「……この基地で行われる研究が重要なんだ。いや、重要だった。今ではもう下火になってはいるが、未知のトールを解析して我が軍のトール開発に活かそうという動きもあったんだ。ブラックボックスがどうあがいても解析出来ずに挫折したんだがな」
「そのブラックボックスとは?」
「複数あったらしい。が、最たるものは、トールの制御補助には必須とされる非接触型インターフェース、つまりMNCSだ。詳しいことはこれから会う連中にでも聞いてくれ」
半ば投げっ放しの言葉を最後に、カルサは金属扉と対面する。「分かっているな」とでも言いたげなオフドの視線を今度は背に受け、扉の脇に設置してある操作盤に手が伸びる。操作盤はアーモンド上に歪んだ楕円と、その中央に位置する真円状の滑らかな硬質パネルから構成され、見開かれた目を連想させるような形状を特徴としていた。目の右端に相当する部分には、世間一般に普及しているものとは規格の違うごく小さいコネクタが設置されているため、強いて言うならば右目を模したものか。尤も目を模したなどというのはカルサの抱いた印象に過ぎず、その形状がいかほどの必要性と、実用性を込められて設計されたのかを彼は知らない。更に言うならば、この操作盤に打ち込むべき情報の全てを把握している訳でも無い。一般的なセキュリティにも用いられる、暗号、指紋、網膜、静脈などのバイオメトリクス認証方式だけならば基地全体で採用されており、独立したセキュリティ規格として機能するからには他にも何かしらの情報が必要なのだ。それなのに、入力すべき情報といえば他と変わる所は無かった――。
いずれにせよ、今は背後に立つオフドがそれを不気味と評していても、カルサは違和感を覚えない。むしろ、この操作盤を初めて見た時に抱いた印象が、他人にも再現されているであろうことは当然とすら思えた。まるで、地下に通ずる者を見張る番人の目である。不気味と思わない方が不自然なのだ。知る限りの認証情報を打ち込み、カルサは全てを把握し切れてはいないロックを解除した。正面からの威容に見合うだけの厚みを持った扉が、金属の擦れる音を伴ってようやく開放される。
番人たる隻眼のすぐ横。扉による封印を失ってぽっかりと空いた空洞の先には、地下階層へと通ずるエレベーター、そして階段が存在した。古典ファンタジーよろしく、秘密の地下室へ行くからには秘密の階段を下りていくという訳だ。ある意味では「よく出来ている」に違いない状況に嘆息しつつ、カルサは地下への一歩を踏み出した。本来なら使えたエレベーターは、オフドやエークス軍が基地内部システムを弄ったおかげで使用不能になっていたのだ。皮肉の一つでも飛んで来れば応じられるよう、脳裏に合理的な理由を浮かべつつ、オフド共々カルサもまた階段を下りていく。入口から出口に至るまでの高低差、あるいは空洞スペースの大きさを反映してか、二重の靴音はやけに響く。
「そう、今の軍に採用されているトールは量産を重視したからこそ、機体本体の性能が劣っているだけで、本来ならエークスの主力トールと同程度のものは作れるはず。だが、どうしても反応速度だけは純正のそれに敵うレベルのものが実現出来なかった。何故か、MNCSだけは完全に模倣する事が出来ないんだよ。だからヴァルノートの解析にも期待が掛かったが、結局は解析も模倣も出来ないまま放置されることになった。加えて、テストパイロット達が揃って錯乱しては病院送りという始末だ」
「それがヴァルノートとかいうトールにまつわる呪いって訳かよ。まさかそれにビビって本国へ移送していない、とかっていうオチじゃねえだろうなあ」
沈黙を以て答えとするカルサに、オフドは呆れるような溜め息をついた。それはカルサに対してでは無く、ヴァルノートの扱いを決定したであろう、顔すら知らぬ軍高官たちに向けられたものである。下らない理由にかこつけて、真に重要な事物を見落とす。あるいはそれを言い訳に、故意に見落とそうとする姿勢すら容認してしまう。そんな姿勢が、今の膠着しつつある戦況を作り出したのだと思えば溜め息の一つは当然だった。
二人が階段を下りていく音だけが、鋭く反響する。今や完全に先導される形になったオフドは前を見、一歩一歩上下するカルサの肩を改めて視界に収めた。またもカルサが不意に口を開いたのは、その直後の事だった。
「タレー特設基地はかつて研究の為に建造されたと言ったが、それは正確じゃない。解析の為に改装された施設は専ら地下区画の方で、表向きの地上部はおまけみたいなものだ。ここは基本的にはシェルターのような構造で完結している」
「なるほど……だから開放までに時間が掛かっても焦らなかったって事かよ。やってくれるぜ、全く」
丁寧な解説に一応は感謝しつつ、オフドは同時に舌打ちしたくなるような気持ちを抑えた。彼は正直、最初にカルサへ地下区画の開放を要請した時、提示した「五時間」という数字が短縮される事を期待していた。少なくともカルサが多少なりとも動揺を見せて、早く地下区画を開放するよう反応する事を予期していたのである。彼の部隊員はタレー特設基地――生活設備を含む基地地上部分の施設――のほぼ全てを占領しており、そう長くは閉鎖状態も続けられまいと予想していたからであった。しかし、地下区画が独立した大型シェルターのような機能を備えているのであれば当然、カルサが焦るはずは無かったのだ。
「となると、ここも接収したものって訳だ。ここまで大規模なのは本土にだってそうそう無い、そりゃあここの設備を流用したくもなるはずだな」
素直に「してやられた」と認める気持ちも無いでは無い。ゲルバニアンで普及しているそれとはやはり規格の異なる構造部材を意識し、オフドは一人で勝手に納得する。二重の靴音の反響も徐々にシャープなものとなって行き、彼らが長い地下階段の、既に終端へ辿り着こうとしている事を示していた――。




