第6話「基地攻略任務という名の茶番―1」
艦長室に立つバルトは、一瞬、相手が何を言ったのかを理解し損ねた。
「この部隊状況で基地攻略を行うのでありますか、たった二週間後に?」
もう一度、ゆっくり、自らの脳に意味を浸透させるようにして命令を復唱する。そう、これは命令なのだ。部隊の作戦行動に関する用件があると予告され、今こうしてエドモンドの口から伝えられた紛れも無い命令。しかし、思わずバルトが聞き返してしまう程に無茶な条件を抱えた内容でもあった。「敵前線補給基地〈デルタ3〉の攻略が上層部によって決定された」と、艦長室の椅子に腰かけるエドモンドは、確かにそう言っている。
ホエールと試験先行運用部隊は、厳密に言えば異なる命令系統を有した部隊ではあるが、それも分かれた枝葉のようなものに過ぎない。枝を辿って行けば幹がある。その幹に相当する立場に居るのが、ホエールにしても試験先行運用部隊にしても、ドルテ=クローニン大佐という共通の人物だ。大佐は、二人にとっての究極的な上官に当たる。故に、参謀本部クラス――俗に上層部と言われるような階層――からの命令ともなれば、両部隊にほぼ一本化して下されるようになっている。今回の命令は、まさにその〈上層部〉から下された命令だった。
両部隊はセットで創設されたようなものだったから、当然と言えば当然の措置ではあるのだが、それが兵科ごとの縦割りに起因する無意味な区分けなのか、あるいはまた何か別の要因があるのかは未だに判然としていなかった。少なくとも、バルトのような実働部隊の隊長如きが知る話では無い。必ずしも直属の上官とは言えないエドモンドから命令が伝えられる背景に、そうした軍組織構造の仕組みが働いているという事さえ理解してさえいれば、隊長として何も不足は無かった。が、今回ばかりはその命令系統が気に入らない。まるで、組織構造そのものが命令の出所を隠すヴェールのように機能している、としかバルトには感じられなかったからだ。〈上層部〉という概念は、このような時には何も語っていないに等しい。
「大尉も命令書に目を通せば分かる事だが、この〈デルタ3〉基地に対して、我が軍は過去一度も作戦行動を実施したことが無い。ミサイルの一発程度を撃ち込んだ事はあったかもしれないが、基地無力化という名目で実施されたことは無かったのだ」
〈デルタ〉というのは、ゲルバニアン軍が設営した基地に付けられる識別コードだ。これまでエークス軍が発見して来た基地は、当然の事ながら、ゲルバニアン軍における正式名称とは別の識別コードによって区別されている。〈デルタ3〉はその中でも三番目、そうでなくともかなり早期に発見されたゲルバニアン軍基地、という情報を含んでいる。物資集積場よりは脅威度が高い、一応の敵拠点として早期に発見された割には、これまで手を出してこなかった基地だという事がそれだけで窺えた。つまり、放置しても問題無かったのだ。これまでは。
「これまでは、大して重要な基地では無いとみなされていたのですね」
「現在もそのはずなのだがな。施設の規模が小さい上に、戦略的に大して重要では無い立地にある。ゲルバニアン軍にとっても使い勝手の良くない基地だったことだろう。だが、攻略しようと思えばこちらにとっても厄介な周辺地形だ」
「まとまった数の部隊を投入しづらい、という事情でしょうか。少数精鋭を期待して、部隊に任務が回って来たというのは理解できますが……」
試験先行運用部隊には、軍主力トールを軽く蹴散らせる程の性能を誇る機体が配備されている。エークス軍保有機の中でもたった四機しか当てはまらない、第三世代型トールと呼ばれる最新鋭世代機がそれだ。だからこそ、少数しか投入できない任務へ、試験先行運用部隊を当たらせるという判断は正しい。しかし、あくまでそれは配備されているトールというハード面から下された判断であり、ソフト面は計算外とした無意味な判断に過ぎない。問題は機体では無く、着任したばかりのパイロットが居るという事実にあるのだ。
新任の士官が着任して早々、試験先行運用部隊だけで基地攻略戦を行うなどというのは、どう転んでも大きな危険が伴う。たとえ後方部隊でも安全が保障されない以上、前線に居れば安全な任務というものが無い事くらいは、バルトも身に染みて理解していた。軍は戦争という異常状態の下で、時に安全より合理性を優先させるべき事態に遭遇する事もある。それは当然の事だった。しかし、目の前の堅物軍人が説明を始めようとしている任務に潜む危険は、合理性が不可避に生み出すリスクとはまた別種のものだ。バルトは、疑問に思う。このつまらない補給基地に、わざわざ少数部隊だけを動かして対処しなければならない程の何かがあるのか、と。
「エドモンド中佐。何故、今なのですか?」
「今、とはどういう意味だね」
「新しい部隊員の投入、これで四機目となる第三世代型のロールアウト、そしてこの基地攻略命令……全てのタイミングが合いすぎている。そうは思われませんか」
エドモンドの眉根が微かに動く。図星とまではいかないものの、的外れな指摘では無いようだった。
最近、試験先行運用部隊を巡って、妙な動きが重なっている。無論、経歴の一切が抹消されたナオト=オウレンが着任した事もそうだったが、つい先日新たな第三世代型トール〈四号機〉が配備された事もそうだ。バルトが目を通した限り、四号機は運動性に優れた仕様を持つ白兵戦特化型機体。制御系の中枢を担うMNCSのセッティングは少々過激で、そのままでは新任パイロットには扱いかねる程の代物だった。今現在は、MNCSの仕様変更作業を受けており、整備班の手によって機体の高い完成度も確認されつつある。機体自体に不満は無かった。
しかし本来であれば、新しい第三世代トールなどそう簡単に建造できる代物では無い。現に、第三世代型規格の機体は四機が建造されているに過ぎず、そのたった四機のみが、現在実用化されている第三世代型トールの全てだ。とはいえ、試作機としての性格も持つ事から、未だに全機がテスト運用の段階にある。
ナオトの着任と共に配備されて来たのは、そんな代物だった。経歴を持たない専属パイロット付きでの配備と来れば、四号機をすぐに運用せざるを得なくなる事が分かっていたかのように。全てのタイミングが収束し過ぎている。今回の任務には何かの事情があると、バルトの直感が告げていた。
「第三世代型トールだ」
唐突にも、エドモンドの口からそんな単語がこぼれ出た。バルトとてその答えを全く予想していなかった訳ではないが、やはり衝撃は大きい。静かに打ちのめされるバルトをよそに、エドモンドはデスクの上を見るように視線を逸らしている。
「第三世代型トールが、デルタ3に搬入されるという情報があるのだよ。それも近日中に、ということだ」
「敵が第三世代型トールを、いや、第三世代型相当の機体を建造出来たというのですか!」
「いや、第三世代型相当の機体ではなく、まさしく我々が規定するところの第三世代型だと聞かされている。つまり、敵方の産物では無い。流出技術の塊たる機体が、組立段階のまま敵の手に渡ったと、そういう事だそうだ。私はそれ以上知らされていない」
そう語る口調の端々に、苦さがにじみ出る。裏切り者の存在は自軍の士気を低下させかねない。その存在を認める事には、常にリスクが付きまとうものだ。こうした回りくどいやり口で事を進めようとするのは、いっそ正攻法とも言えるやり方に違いなかった。ようやく合点がいったバルトは、また別の意味で頭痛の種を抱え込んだような気がした。
もし、敵方が第三世代型トール相当の機体を完成させたというのなら、確かに驚異であり、大きな脅威となる事を意味していただろうが、本当の事情は更に性質が悪いようだった。第三世代型トール相当――否、それすら上回るかもしれない――敵機など、バルトは一機だけしか知らない。敵が第三世代型トールを持つとすれば、エークス軍からの流出以外には考えられなかったという事だ。バルトはなりふり構わないやり方に閉口する同時に、その経緯に納得してもいた。ある意味、相手が流出した機体に過ぎないという事に、安心したと言っても良かった。少なくともそれならば、十年以上も昔に建造されていた機体という事は有り得ない。
エドモンドは下げた視線をそのままに、声のトーンを一段階落として語り出す。
「しかし、大尉の部隊がデルタ3の格納庫群を完全に破壊したとしたら、仮にそこに何かが存在したとしても、決して知ることはないな。可能性の話だが」
白々しく、あくまで何も知らぬ風を装ってエドモンドは言ってのけた。つまり、先程までの内容は独り言に過ぎないという事だ。バルトは愚かにも、エドモンドの独り言に勝手に応じてしまったに過ぎない。既に、このやり取りはそういう事になっている。細やかな茶番だった。
エドモンドは、流出した第三世代トールの存在を隠したまま葬り去れと言っているのだ。本来ならば、任務の背景はもちろん思惑さえ伝える事を禁止されていたのだろう、と容易に想像がつく。今作戦の目的は、敵基地の破壊などではない。あくまでそこにある第三世代トールの抹殺こそが真の目的だ。バルトは、自身に課せられた本当の任務を理解した。
「了解しました。試験・先行運用部隊はデルタ3攻略任務に着手します」
しかし、とバルトは考える。
組立段階で持ち出されというその機体が、もし組み上げられていたとしたら、もし稼働し得る状態にあったとしたら、相手は軍主力トールをも凌ぐ機体を備えているという事になる。そんなものが待ち受ける戦場で戦うことが何を意味するか、分からぬバルトでは無い。あるいは、この任務が極めて危険なものになるかもしれないと、彼は予感せざるを得なかった。