第73話「ただ一人の勝利者―1」
つい十数分前までは砲撃音に晒されていた戦場も、静かである。
突如としてゲルバニアン軍へ行われた砲撃、並びに当該地点における照明弾の打ち上げ。ホエールへと砲撃を加えていた自走砲群は悉く撃ち抜かれ、炸薬の引火が決定的なものとなっていた。ひどく歪んだ砲身、酸化され切った黒い金属塊はその残骸である。元、施されていた塗装などは見る影も無く、装甲板はところどころ捲れ上がるように裂けていた。隙間からは燻る炎が顔を覗かせ、赤熱した表面は薄ぼんやりと辺りを照らす。そこで視線を上げれば、容易に山間を見渡す事が出来た。ちらちらと瞬く炎を一つ、二つと数えてみれば、かつてあった砲撃陣地の全容は見て取る事が出来るだろう。
例えるならば痕跡。闇と硝煙に浸る戦場にあって、それは死せる魂に手向けられた灯明なのかもしれなかった。つい先程まで、強烈な白色光で辺り一帯を照らしていた照明弾などは、無粋と言う他に無い。昼の如き明るさが消え去った今、視覚的な意味においての静寂は再び山間を満たしている。反応時間が終わり、報告の役目を終えた弾頭はとっくに残滓と成り果てていたのだ。それを撃ち出した一号機もまた、発射地点を離れた何処かへと消え失せている。
「こちらコード1。ポイントS55、距離8320にて命令受領の旨を記録する」
無味乾燥といった調子の報告がまた一つ、一号機に備え付けられたミッションレコーダに吹き込まれる。パイロットたるバルトは状況を告げ、単独行動ゆえ慎重に為らざるを得ない作業を済ませていった。報告はあくまで淡々と、そこに感情が混入する余地があってはならない。そう定められているからこそ、彼は普段通りの決まりきった調子を心掛け、それが今の自分には問題無く実現出来ていると考える。否、彼がそう考えていただけの事であった。
バルトの声には生気というものがまるで含まれていなかった。自身が尋常とは言い難い状態にあることさえ、認識の埒外である。ただ、感じていたのは罪悪感にも似た後悔。ごく僅か、正常に機能している意識だけが辛うじて、沈みゆかんとする意識を引き止めている。
そしてバルトはおもむろに、明滅を繰り返す通信ウィンドウを開いた。
『こ…らコード3……こちらコード3。お! 隊長殿、聞こえてますか?』
ノイズは徐々に消え去り、三号機から発信されたレーザー通信は安定状態に入る。
「こちらコード1、通信状況は問題無い。聞こえている」
『やっと繋がったか……いやぁ、ようやく信号が届くようになったんでカメラポッドを随分と回しましたよ。んで、隊長殿が居るところを発見した訳で。じゃあ、ちょっと中尉殿と代わります』
『こちらコード2。バルト大尉、そちらの状況はどうです』
「帰艦には問題無い。それと詳しい事はこの通信に乗せられないが、別働隊の存在はやはり本当だった。俺はフェンリル保有機らしい機体と戦って……そして取り逃がした。無様だな」
『大尉がそんな。こちらも全機、戦闘はともかく帰艦は可能な状態にあります。ただ、ホエールの被害があまりに大きいようですな。大尉が自走砲群を撃破した事と、撤退ルートをようやく変更出来た事だけが救いですが。しかし、それはつまり――――』
そこでリーグの言葉は詰まる。その言葉の先に控えているであろう推測とはつまり、バルトの目にしてきた現実に他ならない。事態は紛れも無くバルトの前で引き起こされ、最悪の形を以て収束した。今、出来ることと言えば、後に続く言葉を引き取る事だけだった。
「そうだ中尉……第二分隊は既に壊滅した。その報告を受けて撤退ルートは変更されたようだな。第二分隊の壊滅が確認できた時点で、艦をあれ以上の危険に晒す必要性も無い。エドモンド中佐の判断は正しいさ」
バルトにとってその言葉に偽りは無かった。だから、敢えてテトルの名を出す事にも躊躇いは無い。言葉の端に感じる引っ掛かりは、気のせいに過ぎないのだと信じる。
「なに、テトルとて恨みを持つ事はあるまい……そうするより他に仕方ない状況だった」
『テトル少佐が……まさかあの第二分隊ごととは。別働隊はいったい何者だったのです』
「フェンリルの構成員が関わった事だ。奴らは紛れも無くプロだった」
バルトはとある異音に気付く。強く噛み締められた歯が軋み、鳴っていたのだ。いつしか込められていた力は完全に無意識の産物で、この期に及んで認識がようやく追い付いたのである。
やり切れない事態。その悔恨は、彼自身が自覚している以上に根深いものへ醸成されつつある。彼は友人の死に対し、裏切りに対しあまりに近いところに居過ぎた。故に抱え込む感情は、混濁の様相を呈し整理などは到底及ばない。私人としての執着を抱え軍務の中で死んだテトル。そして軍人たる姿を自ら否定せんとした我が身。バルトにとってそれらの矛盾は許容出来るもので無ければ、もはや何らかの指標を基に解消出来るものでも無かった。復讐の因縁を抱え、一方で軍人としての生き方に未来を見る身ゆえに、である。ましてや目の当りにした、にわかには信じがたい事態を説明する事などは出来るはずが無かった。
「後の報告は帰艦してからだ――――それから、済まなかったな」
『……いえ』
だからこそ今のバルトにとっては、それだけを言うので精一杯だった。リーグが心情をくみ取ってくれた事がせめてもの救いだと、感じられるばかりである。
更に二時間弱が経過、戦域を離脱したホエールは合流地点にて一号機の回収に成功した。
一号機は傷つき、片手首に至っては不気味なほど鋭利に切断されている。だが、それは一号機が一時離脱した時には既に負っていた損傷であって、別働隊との交戦で付けられた損傷は皆無と言っても良い。ナオト、そしてリーグやルーカスの予想に反し、一号機の損傷が更に深刻になっているという事は無かったのである。
大穴の空いたホエール二番格納庫周辺では、多くの作業員が補修作業に駆り出されている。補修機材も艦内にあるものが悉くかき集められ、損傷した壁面に張り付くように多数が設置されている。ただでさえ多大なスペースを占有するトールが、四機。全てがそこに入れるはずは無く、演習用トールを第二格納庫に移した上で、特に損傷の大きい一号機と四号機が第一格納庫に収容された。
機体整備用の巨大なブリッジが、枠のようにトール収容用スペースを囲む。その中にあって、四号機はちょうど一号機と隣り合う形で格納された。コックピット内部からは各部ロックの操作を担当し、損傷の目立つ機体を出来る限り安定する姿勢へと固定。収容シークエンスは概ねの完了を見る。
バルトが先に機体を降り、ナオトはそれを四号機のコックピットモニターから目にする。先に出なかったのは、バルトの様子に只ならぬものを感じたナオトの気後れが原因だったのかもしれない。少なくとも本人がそう自覚出来た程度には、ナオトもまた若干の変調を来していた。
そろりとコックピットを降りるナオト。すると第二格納庫の二階部分から「よう」と、大きな声が掛かる。ちょうど鉢合わせたのは、彼がわざわざ振り返って確認するまでもなくルーカスだった。殆どの作業員は第二格納庫外壁の補修に駆り出されており、二機の収容作業を終えた後はさっさといなくなってしまっている。だからルーカスの呼び掛けには全く、遠慮する様子は含まれていない。
だが当のナオトは、軽く手を挙げてそれに応えるだけだ。傍目にも、挙動が精一杯の意思を伝えようとしている事は理解できる。
「どうしたよ? さっきの戦闘で負傷でもしたのか。って、四号機ボロボロじゃねえか……これじゃあコリンド軍曹だの整備班だのが泣くぜ」
被弾痕に、また新しい被弾痕が積み重ねられたような四号機の全身。それは、ルーカスにとっても既に確認したはずの機体状況ではある。だが、周囲の整った機材群が、生々しい程の損傷を際立させていた影響なのだろう。彼から飛び出て来たのは悪意など微塵も無い、それでいて辛辣極まりない言葉だった。
そんな言葉も、当のルーカスにとっては正直な感想でしか無い。しかし、どうにも気を許した人物への遠慮が薄くなりがちとなるのは、普遍なる人の性質であるといえよう。ナオトはそれを分かっていたから、他の意味が含まれているなどとは考えようとしなかった。
加えてルーカスの言う事は真実、今の四号機が他人にはどう映るのかを示している。実際、隻腕たる愛機の姿は、ナオトにとってどうにも落ち着かない違和感を覚えさせるものだった。ともすれば言い訳となるにせよ、応えられるものならば弁解の一つもしたい立場である。だが、その意に反して応答する事はかなわない。
「分かった、分かったから少し静かにしてくれよ。頭が……痛くて……」
ケーブルを掴む手は小刻みに震え、不規則な呼吸が円滑な発声を妨げる。まさに途切れ途切れといった調子で紡がれる言葉は、それだけに終わった。足が床に着くと同時に、ナオトはそのまま倒れ込むように膝を屈した。手が離れ、機体から垂れる昇降用ケーブルは勝手に巻戻っていく。流石のルーカスも状況を察したのか、慌てて機体の足元へと駆け寄って来た。
苦しさに追いやられ、すっかり認識の遠くなった耳に多少の感覚が戻って来る。声量を抑えて話しかけて来ているのは、どうやら彼なりに気を遣ってくれている結果らしい。動けずにいるナオトにもそう察しは付いた。しかし、頭痛と表現するより他に無い苦痛は、持てる注意力を著しく削ぐに至っていた。痛みとしてよりも、むしろ圧迫感と表されるべき不快感は、止めどなく脳髄で膨張していくようである。不快感に起因する冷や汗は、今やじっとりと額を濡らしていた。
「悪かったって、しっかりしろよ! ナオ――――」
自分に向けられているのは問い掛けか、あるいはただの愚痴なのか。その判別すら付かぬまま、彼はいつの間にかルーカスに肩を貸される形で立ち上がっていた。あるいは、本人がそれすら自覚出来ていたかどうかも定かでは無い。呼び掛けを続けるルーカスに対し、やはりまともに応える事ができる状態には無かったのだ。そして、困惑する同僚に半ば引きずられるような形で、若きパイロットもまた格納庫を後にした。




