第66話「ある老人は知を、ある俗人は権力を欲す―2」
「この作戦に乗じてクローニン大佐も動きを見せました」
「ほう」
「ホエールの徴用は大佐からの進言だったのです。第四機兵師団へ移行した後も、試験先行運用部隊を掌握しているとアピールするのが目的でしょう。自ら設立した部隊ですからな、そうやすやすと手放す筈もない……」
「尤もそれを許しているのは閣下の無能さ故だと、理解はしておられるので?」
そのたった一言で、漂っていた空気は鋭さを含んだものへと一変した。ともすれば、正気を失っているようにも見えた老人は、もはやそこには居ない。代わりに居たのは、エークス軍に君臨する人物さえ圧倒する一人の実力者であった。
「コプレン中将の前線視察日程をリークなさるのは結構だ……しかし、それで宙に浮いた第四機兵師団の司令官の席はどうしたのです? 叩き上げで現場からの信頼が厚いとはいえ、当時中佐に過ぎなかったシーグ=ハルデン大佐をあてがったのでしょう」
無論、アスドックとて考えもなしにフェンリルを嗾けた訳では無かった。必要があり、それが可能なタイミングだったからこそ実行させたに過ぎない。そうでなければ誰が自軍の軍人、それも機兵師団長の抹殺など試みるだろうか。
しかしそんな反論を封じ込めるように、アントーンホフはゆっくりと席を立った。一歩、また一歩と室内を徘徊する足取りは、徐々にアスドックの元へと向かうのである。
「その隙を突く形でクローニン大佐は動いた。たしかに、何も知らないシーグ大佐は扱いやすい。だからこそ第四機兵師団長に押し上げもしましたな? しかし、それこそが裏目に出たのです。閣下……時の流れを見極めねば、己が首を絞める事になりますぞ?」
「……は」
遂に真正面まで到達したアントーンホフの姿には、物理的な圧迫感すら感じさせる何かがあった。彼を非力な老人と理解してもなお、アスドックはその存在感に戦慄せざるを得ない。
老人の足が再び徘徊に動き出すまで、あっけなくその口が開かれるまで、彼には部屋に存在するあらゆる物体が運動を止めたようにさえ感じられた。無論、現実には些かの遅延も無く、時計に仕込まれた機構は針を動かし続けている。だが、その事実は彼の認識を否定するものでは無い。少なくとも、アントーンホフという存在に対峙する男にとっての実感ではあった。
「それで、シーグ大佐率いる部隊はどこまで戦線を進めたのですかな? 肝心の彼が戦功を挙げねば、第四機兵師団そのものが空中分解しかねない。私はそう理解しておりますが、その点はいかに」
「は……シーグ=ハルデンが率いる部隊は、トール大隊を複数展開しつつ国境戦線を突破しようとしています。ですがゲルバニアン軍の抵抗激しく、散発的な戦闘を交えた膠着状態を維持。敵軍も第四機兵師団以上のトール戦力を投入しているようです」
「ほう。閣下の見立てでは、あとどの程度で師団が壊滅するとお思いで?」
「正面突破などという愚策を講じたならば、あの大部隊といえど数週間も持ちますまい。尤もシーグ=ハルデンがそこまでの無能だとも考えてはいませんが……」
「他の機兵師団を増援にまわす、という線をお考えになってはいかがですかな?」
「第一から第三機兵師団も補給線防衛の為には動かせない状況にあります。もし動かしたなら、ゲルバニアン軍に拠点を襲撃される。あるいは、そういった危機感が不用意な不安を煽る可能性もありますな」
「かといって、大規模な航空戦力を抱えるデルタ20を放置する訳にもいかない……うむ」
そっけなく了解の印を見せたアントーンホフは、しばしの間黙り込んでしまった。その身体は半ば無意識に木製の椅子へと向かった後、今にも割れそうな座面の上に収まる。その間、奇行の類は微塵も見受けられず、様子だけであれば彼も只の老人と変わる所は無い。
しかし、それもつかの間。落ち着きをみせる表情は徐々に崩れていき、遂には湧き出す笑みを隠そうともしなくなった。興奮そのものといった調子で輝く老人の目は、悪戯を思いついた少年のそれである。
「ならば、試験先行運用部隊を送り込むのが最適だとは思わぬか? その上で戦線を突破させれば、全てはあるべき結果へと導かれる……!」
「バルト=イワンドにYMXシリーズ……たしかにあの部隊は単純な戦力から言っても、並の部隊の比ではありません。しかし投入するにはあまりに分が悪い。本隊は早急に撤退させ――――」
「それこそが最適解! それこそが流れに逆らわぬ唯一の選択ですぞ? 閣下は何を躊躇うのです」
形式こそ疑問形だが、もはやその言葉には会話を成立させようという意思を感じる事はできない。アントーンホフが求めるものは了解の返答でしかなく、間違っても根拠を問う言葉などではなかったのだ。その意味において、彼の言葉はまさしく命令そのものである。
しかしアスドックには、自身の考えが間違っているとは考えられなかった。少なくともその判断は、軍人としては正しい。
――――たしかに、試験先行運用部隊には最新鋭たる第三世代型トール〈YMXシリーズ〉が配備されている。
それも四機。単機で多数の第二世代型を蹂躙し得る第三世代型だ、複数での運用ともなればその戦術的価値は更に跳ね上がる。それこそ一小隊のみで中隊~大隊規模の部隊を相手取ることさえ、荒唐無稽とするには惜しい程であった。そしてベテランパイロット、バルト=イワンドを始めとするエークス軍トップクラスの専属パイロット達は、そんなマシンの性能を引き出すに足る力量を持ち合わせている。その結果は運用報告で証明されている通りで、アスドックにとっても疑う余地は無い。
だが、それとこれとは別の話である。
仮に一騎当千の力を有する歩兵であろうと、一人だけで戦列を突破する事は難しい。他方、個々がさほどの力を持ち合わせていない歩兵小隊であっても、組織化された戦法は、時に看過できない脅威と見なされる事もある。
トールによって個々の持つ力が飛躍的に拡大したとしても、それは変わらぬ話だった。自らを上回る力を持つ相手であれ、数という力はそれを十分覆し得る要素なのだ。そして、いくら第三世代型のスペックは現行主力トールを上回るとはいえ、万能を意味するものでは無い。大規模戦闘の只中に放り込めば、無事で済まない損害を出すことは明白だった。
それは機体の損失に留まらず、蓄積された運用データの意味を半減させる事にも繋がりかねない事態だ。ひいては大隊規模での装備刷新を見据えた、G.K.companyの開発計画そのものにも影響を与えるだろう。
……この老人に限って、リスクを理解していない筈は無い。なのに何故、ここまで試験先行運用部隊に執着する? たとえ損害を出さなくとも、目覚ましい戦果を挙げられなければ、不利益を被るのはG.K.company自身ではないのか?
試験先行運用部隊の投入が利益をもたらすとすれば、自ずとシナリオは限られてくる。例えば、本隊の撤退を援護する為の囮として投入するシナリオだ。これならば、必ずしも試験先行運用部隊を最前線まで進出させる必要は無い。むしろ敵部隊を引きずり出すならば、存在をチラつかせておく事も駆け引きの材料となる。その意味においては最も確実且つ、一定の成果を望める方法ではあった。
しかし、アントーンホフはあまつさえ、試験先行運用部隊に戦線を突破させる心づもりでいるのだ。それが本当に可能かどうか、などは素人でも判別の付く事である。ましてや彼が理解していない筈は無い、だが――――
アスドックにはいよいよアントーンホフの考えが掴めなくなっていた。もはや自分には理解出来ない、と宣言するに等しい問いが吐き出される。
「ベルタ=アントーンホフ……あなたには何が見えているのです」
「いえ、閣下。何も見えてはおりませんよ。ただ、あるべき結果が導かれると言っているだけなのです。彼らは必ずや、奇跡を起こすことになるでしょう」
相変わらず根拠は示されないままである。現実的な視点を捨ててまで、試験先行運用部隊にいったい何を求めるのか。あるいは何故執着を続けるのか。
しかし、アスドックはもはや反論を諦めざるを得ないと考えていた。それは傍から見れば民間人に過ぎない老人が、軍の将官相手に指示を与えるという、奇妙極まりない構図である。だが、今更その歪みを指摘したところで意味は無い。既に、そうした事は幾度となく行われていたからである。
それに、正論を通すにはあまりに多くのものを、アスドックはアントーンホフから与えられてしまっていた。となればやはり、彼がアントーンホフの意向に背ける筈は無いのだ。
「……わかりました。あの部隊は現在、特殊情報局の実働部隊と共に旧研究所での任務にあたっています。成否如何についての報告はまだ――――」
アスドックの言葉を遮るように、ドアノッカーが部屋の戸を叩く。この時間に新たな来客は予定されていない、であれば、連絡係を務める将校が部屋を訪ねようとしているに違いなかった。軍の高級将校たるもの一人で行動する筈もなく、本会談に際しては数人の腹心を同行させていたのである。連絡係として待機させていたのは、その中の一人であった。
アントーンホフへ断りを入れ、アスドックは部屋の戸を開ける。予想に違わず、そこには同行させた部下の内の一人が立っていた。余程の事が無ければ会談の邪魔などする筈が無い、そう信頼できるだけの聡明な軍人である。だからこそ、アスドックは不吉な予感を拭う事が出来なかった。
「どうした、何の報告か」
「アスドック大将、先程入った情報なのですが――――」
短い連絡を受け取った後、アスドックは再び部屋へと戻る。やはりアントーンホフも報告の内容に興味を示したのか、なにやら落ち着かぬ様子で身体を揺らしていた。
「何やら連絡を受けたようで?」
「ええ、試験先行運用部隊の件でした。部隊は旧研究所を目指していましたが、付近に設営されていた基地を発見。これを制圧した後、フェンリルの新型と一時交戦した模様です」
「ほう……? フェンリルと仰いましたかな」
「未だ確証は得られていませんが、報告にはそうありました。〈フラグマ〉を名乗る機体に加え、更なる別働隊の存在が確認されたようです」
「構想駆動炉フラグマ……アインドしか稼働させていないと考えていましたが、彼らもようやく動いてくれましたな。かつてコプレン中将にリークさせた情報も、無駄にはならなかったという事ですよ、閣下」
「あれは本当によろしかったので? どう転ぼうともフェンリルは敵性勢力に違いありません、それに助力するような真似をするなど……」
「これで良いのです。彼らは構想駆動炉の何たるかを知ってはいない」
「知っているのはあなただけ……という訳ですか? 学術団体オーディンの元主任研究官」
アントーンホフは何も応えない。ただ、彼の表情には隠し切れぬ笑みがこぼれていた。それは知り得た者の優越感、ともすれば、絶対的支配感の上に成り立つ表情である事だろう。
アスドックは、自らが不用意な発言をしたとは考えていない。ただ、それでも踏み込むべきところでは無いと理解してもいたから、新たな話題を老人の前にぶら下げるような真似もする。
「しかし、試験先行運用部隊が危うい状況にありますな」
「というと、〈フェンリルの新型〉達が戦場に留まっているのですかな?」
「いえ。部隊は現在、ゲルバニアン軍の襲撃を受けているようです。交戦中である為、内容は極めて限定的ではありますが……付近を巡回していたパトロール部隊によるものかと」
「おお、なんと! 実に運が悪い……しかし彼らは切り抜ける事でしょう。でなければ、我らは滅びるだけです」
微塵も危機感を感じてはいない様子で、それでいて妄言を吐いている訳でも無い様子で、アントーンホフはそう宣言する。事情を知るアスドックとて理解出来ぬ発言となれば、その真意を知る者はアントーンホフを除いて誰も居ない。
G.K.company本社地下における会談――――試験先行運用部隊が旧研究所付近において熾烈な戦闘を繰り広げている晩、行われた密会の一つである。




