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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
2章:演習
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第5話「荒野、たった二機の演習戦―3」

 ……やられる!

 ふと自分という生身の身体が意識され、迫りくる刃先があまりに巨大なものとして認識された。そこにトールという存在が介入する余地は無く、彼は彼自身の肉体を以て相対しているような錯覚さえ覚える。あくまで生身の人間として、20m級の兵器の前に立たされているような心地に襲われたのだ。その時になって初めて、ナオトは実体としての危機を実感するに至った。そして自身にとって命の危険を自覚した途端、身体は勝手に取るべき防御行動を取ろうとし始める。手に握るレバーも、足元に控えるフットペダルも、今の彼にとっては危機を回避し得るものとしては映らなかった。

 しかしそんな思考はまさに、MNCSの捉え得るものである。ナオトが機体の存在を意識外に追いやった結果、却って機体との繋がりは強められたのだ。MNCSは瞬時に思考から機体の駆動パターンを抽出し、駆動系へと直接に命令を伝達する。それは手動操作系統に優先する操作系統であると同時に、反応速度も手動操作のそれに比して遥かに勝るものだった。

 瞬間、ナオトの視界は白く底の知れない光に覆われる。

 ……これは、何だ?

 まるで自らの立っていた場所が消え去るような、ひたすら不安な感覚だけがあった。取り巻いていた全ての状況から切り離され、一瞬、彼は自分自身が何者であったのかさえ忘れかける。

 ――――同時にその光へ懐かしさすら覚えたのは彼の錯乱であったのだろうか。

 しかし、それを確かめる前に白い光は輝度を落とし、遂には消え去るのだった。

 少なくとも一瞬と言える時間経過を経て、視界は戻った。だが、言い知れぬ違和感は胸の中に沈殿し続けている。その違和感の正体を言葉として伝えるならば、『繋がっている』とでも表現すべきなのであろう。己の感覚や意識が拡張されているような、ともすれば自身が薄まって消えていくような感覚。それを敢えて表現するなら、である。

 いったい何と繋がっている(・・・・・・)のかを明言化する事は出来ない。が、たしかにそう表現されるべきだという事だけは彼にも確信できた。

 同時に、置かれた状況が改めて認識される。迫りくる巨大なナイフ、巻き上げられる砂塵、被弾判定を知らせるサブモニター……そのいずれも、相変わらずナオト機が窮地に立たされている事を知らせるものだった。だが、一つの点で大きな違いがある。

 何故かナオトには見えていた(・・・・・)のだ。突き出されるナイフの動き、その一部始終が――

 不可思議な感覚に対する全ての疑問は、この時ばかりは頭から吹っ飛んでいた。彼を牽引していたのは、自らに迫る危険を回避しようという本能的な直感だけである。

 脳裏に浮かぶイメージのまま、機体がMNCS操縦系統による回避動作を実行し始めた。

 迫りくる刀身は胸部装甲面に対し、深い侵入角で突き立てられようとしている。それに対し、ナオト機は左肩部を入れるような形で受け流す構えに入った。いくぶん体勢を低く取らせ、ちょうど背面部で攻撃を受け流す意図である。ナオト機が見せた唐突な反応に、バルト機は慣性を殺せぬままに攻撃動作へと入ってしまった。

 仮に一瞬でも反応が遅かったなら、ナオト機の被弾判定はLevel 4〈継戦不可能〉に達していただろう。しかし咄嗟の回避動作によって、バルト機の刺突は浅い斬り込みに留められた。それでも背部装甲を擦過した刀身は火花を散らせるが、そんな事は問題では無い。回避のために、あるいは反撃の為に機体が動けばそれで充分だった。

 伏せていた半身を戻す、と同時に只のデッドウェイトと化している左腕を振り上げた。ナオト機の背部で慣性のままに伸ばされていた右腕は、まともにその衝突を受ける。乱雑そのものといった動きではあるが、結果、バルト機のコンバットナイフまでもが弾き飛ばされた。

 回避から続くたった一つの動作によって、攻守さえ逆転させ得る状況が作り出されたのだ。ナオトの前には大きく体勢を開けたバルト機。再びそのコックピットブロック目掛け、コンバットナイフが右下から大きく斬り上げられた。ナイフの辿った軌跡は腕全体に匹敵する半径を描き、過たず目標の装甲へと到達する。高周波振動を発生させていない為に切断こそしないが、演習の上では充分に効果的と判定される一撃であった。

 しかし、それは狙った場所へ与えられたものでは無い。またしても寸前でナオト機の動きを見切ったバルト機が、左肩部より先を犠牲にする形でコックピットブロックへの直撃を避けたのである。言うは易しいが、その判断を一瞬で下せたのはやはりバルトが豊富な実戦経験を積んでいたからに他ならない。そうでなければ、彼は攻撃を完全に回避しようと試みていた筈であった。仮にそうしていれば、上半身ブロックのいずれかにLevel 4〈継戦不可能〉の被弾判定を受ける事は避けられなかったであろう。つまり彼がした事の意味とは、積極的に攻撃を受けることで最大限に被害を抑えるという点にあったのだ。伊達にこれまで生き延びて来た訳では無い。

「……‼」

 肉を斬らされる格好となったナオト機に、骨を断つべく反撃が加えられる。

 バルトは一瞬の内に左腕の放棄を決断。同時に、彼は右腕に格納された予備格闘兵装――――アサルトスピアを展開させた。それは本来であれば使う機会とて殆ど無い、自衛用の武装である。だがコンバットナイフを弾き飛ばされたバルト機には、他の武装など残されていなかった。半固定式の小型衝角が、ナオト機のがら空きとなった右腕部付け根へ射出される。

 無論コンバットナイフに比べれば劣る威力ではあったが、ピンポイントで簡易装甲区画へ放たれればさほどの違いは無い。撃ち込まれたアサルトスピアは、戦闘支援システムを以てLevel 3〈一部機体機能の喪失〉の被弾判定を与えた。途端にナオト機の右腕は力を失い、駆動モータに掛けられていた外力に対するロックも解除される。妙な生々しさで崩れ落ちる右手もまた、駆動信号を遮断されたことで握る力を失った。

 その手からこぼれ落ちるコンバットナイフをバルトは見逃さない。速やかに引き抜いた右腕を振るい、自由落下するナイフを逆手でつかみ取る。その動作と連動し、バルト機は間合いの内へと一気に踏み込みを掛けた。ナオト機は後方へと退避しようとするが到底間に合わない。機体ごと突っ込むといった形で、ナイフの刀身は一瞬で迫った。

 そして、至近距離での刺突姿勢を保ったままにバルト機が止まる。

 ナオト機もまた微動だにしなかった。そのコックピット正面装甲には、コンバットナイフの刀身が鋭く突き立てられている。触れているかどうか定かでない距離を保ちつつ、それは確かに勝負を決定づけるものとしてあった。

 つい数秒前まで存在していたはずの激しさは、もはやどこにも無い。繰り広げられていた戦闘の影は消え失せ、不思議と静かな時間がそこには流れていた。その中にあっては、自らの息遣いでさえ大きく感じられる。殊にナオトにとっては、ようやくやって来た終わりと言えた。

『……ナオト少尉、演習はこれで終了だ。』

 遂に、ナイフが軽い金属音を伴って装甲へ当たる。途端に機体側もコンバットナイフの接触を感知し、被弾判定Level 4〈継戦不可能〉が与えられた。それは実戦であれば死に繋がりかねない状況、という意味に他ならない。仮に今の状況を実戦において再現したならば、既にナオトの身体はコンバットナイフによって切断されている。それを踏まえれば、判定に誤りを見出す事は出来なかった。ナオトは、負けたのである。

 時間にして十数分、驚くほど長い体感時間を経て演習の決着は付いた。石像の如く動きを止めていた二機は、帰路へ就くべく再び動き始めた。



 可動部の隙間に入り込んだ砂を軋ませながら、第二格納庫のハッチが再び開いていく。更なる発進が控えている為では無く、これから着艦しようという機体の為に開かれたものだ。

 内部ハッチが吊り上げられるように展開。そして外部装甲ハッチも完全に展開され終えた後、それを足場としてトールが格納庫内へと踏み入れた。一歩、また一歩と地を揺らして帰艦して来たのはバルトが乗る機体である。装甲表面に演習弾の弾着を示すマーキング跡が無い事から、誰であってもそうと分かるのだった。

 続いて二機目のトールが帰艦したところで、格納庫を展望可能な通路に一人の男が辿り着く。

 辿り着くや否や、男の視線は通路に設けられたガラス窓に引き寄せられた。その様子は明らかに、格納庫内に何か目当てのものがあるといった様子である。だからこそと言うべきか、男は同じ場所に先客が居る事には気付かなかった。

「おお? 隊長殿の帰還か。ということは後ろに控えてるのが――――」

「例の新米パイロットが乗る機体、ということだな。ルーカス」

 先客たる人物の名はリーグ=ベイナー中尉。試験先行運用部隊の副官であり、汎用・重装型たる第三世代型トール二号機を操るパイロットでもある。少々色素の濃いブロンドの髪も、例の如く身に付けられた軍帽によってあまり晒されることは無い。むしろ邪魔にならないよう押さえ付けているあたり、彼の生真面目さが窺えるというものだ。

「中尉殿、なんでまたこんなとこに居るんで?」

「お前と同じ理由だ。ところでその中尉殿(・・・)と呼ぶ癖は直せないのか。敬語として尚更おかしくなっているぞ。」

 ルーカスにとって予想外だった筈のリーグの存在は、ほんの心ばかりの驚きを以て受け入れられた。ルーカスは精々、それが義務であるかの如く驚いて見せた程度である。その中に上官への敬意などは欠片ほどしか見られない。しかし、そんな反応を引き出す原因がリーグにあるのかと言えばそうでは無かった。ただ、ルーカスという男が持ち合わせる思考の中に、敬意の表し方という項目が欠けていただけなのである。そこには悪気も無ければ自覚も無い。ある意味、部下としては厄介なタイプと分類されかねない男であった。

 いつもの事ながらリーグはその適当さに嘆息する。同時に「よくこれで三号機を扱えるものだ」と感じる部分もたしかにあった。

 ルーカス=クレット少尉が乗り込むのは、第三世代型トール三号機。高性能演算処理機構や数々の高解像索敵装置を備え、単機で陸上戦艦クラスを凌ぐ電子戦能力を発揮する機体である。その性質上、データリンクのハブとして活用される機会も多い。しかしそうであればこそ、尚更リーグにはルーカスが三号機を扱いこなせている事が不思議でならないのだった。

「……と言われましてもねぇ、それよりもあの機体」

 ガラスの向こう、ルーカスが指す方向にはナオト少尉が乗るトールがある。

「こりゃまた派手にやられて……と言いたいとこだけど、大して損傷も受けてませんねこりゃ。」

「大した奴だよ。なんせさっきの演習ではバルト大尉に一矢報いていたからな」

「おいおいおい……新機体の同期調整なんかに駆り出されてなきゃ見れたってのに。本当に新米パイロットなんですか? そいつは」

「らしい、とは聞いているがな。俺にも大した事は分からない」

「なんにせよ普通じゃないんだろうなぁ。いったいどんな奴なんだか……」

 発した言葉とは裏腹に、ルーカスの表情は辟易そのものと言った色で塗り潰されている。それは明らかに新人パイロット――――ナオトの人となりを警戒し、同時に避けようとしている様子であった。いきなり配属が知らされたばかりか、ベテランパイロットたるバルトの機体に被弾判定まで与えたのである。リーグとて、ルーカスの抱く警戒心や不審といった気持ちが理解出来ない訳では無い。だが彼は試験先行運用部隊の副長として、隊員をまとめる役割があった。円滑な任務を遂行する上で、あらゆるリスクを取り除かねばならない立場にあるという事である。だがそれ以上に、彼は個人としても隊員間の不和を未然に防ぎたいと考えていた。だからこそルーカスに自覚を持たせるべく、多少の言葉を掛けもする。

「尤も配属された以上、ナオト少尉は俺の部下って事にもなる。隊のことはしっかり教えてやるさ。だがな、お前の同僚でもあるんだぞ? ちょうど階級も同じだしな」

「経験は俺の方が上ですけどね……せいぜい頑張ってくれることを祈るだけであります。ではこれで!」

 半ば一方的に話を切り上げ、ルーカスの姿は通路へと消えていった。

 上官への接し方をいちいち咎める程、細かい話を気にするリーグでは無い。むしろ気に掛かっていたのは、これからナオトが部隊に馴染めるかどうかという一点であった。

「俺やバルト大尉はいいが、問題はルーカスだな……」

 試験先行運用部隊は、機兵師団に属する部隊の中でも特殊性が高い。それこそが軍規に比較的寛容な気質を生み出し、あるいはこなすべき任務の高度化を招いても居る。そしていずれにしても、それらは隊内に他と異なる環境を生み出している要因となっていた。

 そうした環境に身を置いた上で、自らの力を発揮する事が如何に難しいかをリーグは知っている。ルーカスのようなある種の鈍感さを持っていれば話は別であろう。だが、そういった受け流し方を誰もが出来る訳では無い。せめて、新米パイロットたるナオトがタフな存在であることをリーグは祈るのみであった。



 ホエールの艦体中央付近には、居住を目的としたブロックの多くが集約配置されている。それはホエールが大型陸上輸送艦として設計された事が影響していた。一つ、利用できる空間が他の艦では例が無い程に大きく取れたこと。そしてもう一つ、陸上戦艦クラス程の装甲を持たない為に、居住ブロックを少しでも生存性の高い区画へ配置せざるを得なかったこと。

 特に後者の面が顕著に表れた結果として、艦体中央に艦長室は存在した。無論、艦長といえば艦の統括中などは艦橋に居なければならない。戦闘中にあってこの措置は無意味にも思えるが、艦長という人材の重要性を考えればそれも致し方ないのであった。

 しかし全ては、艦長が職務を果たしてこそ意味を持つ措置である。優先的に保護されるからには、職務も決して軽いものではない。その多くを占めるのは、いわゆるデスクワークであり報告書類を処理するものであった。数十人では到底収まりきらない規模の乗組員が乗っていればこそ、処理すべき書類は尽きることなく上げられてくるのだ。

 そしてホエールの艦長たるエドモンドの手には、『適性に合わせた、特例的なM.N.C.S.の仕様変更措置』と銘打たれた報告書があった。それは数日前に行われた演習の後、試験先行運用部隊長バルト=イワンドによって作成されたものである。提出された時期から察するに、それが演習結果を判断材料とした案件であろう事は明白であった。

 それもまた処理すべき書類の一つには違いない。だが、他の案件とは些か性格の異なるものであることも確かであった。

「第三世代型トール四号機の制御系を改修するか……どちらにせよ私の決定は判断に影響しないということだな。しかし、これではほぼ事後承諾の案件ではないか」

 エドモンド自身が抱いた感想は、報告書を読み進めていく度に強まっていった。

 しかし、試験先行運用部隊が独自に行動を進めることは当然の事とも言える。厳密に言えば、試験先行運用部隊とそれを運用するホエールとでは命令系統が異なるのだ。更に言うならば、第三世代型トールの運用そのものに関しては、大佐且つ艦長たるエドモンドよりも運用責任者であるバルトの判断が優先されるのだった。

 そうした立場を分かった上で、エドモンドは敢えて案件を受理した事とする。そうすることで初めて、試験先行運用部隊も含めた艦全体への責任が持てるのだと、彼が信じていたからであった――――


 この時はまだ誰も知りはしない。

 その案件こそが、一人の若いパイロットの運命を決定づける物になろうとは。


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