第62話「その虚しさは、どこか幻肢痛にも似て―1」
「テトルウウーーッ!!」
通信が途絶したことを知っても尚、バルトは呼びかける事を止めなかった。否、止めることが出来なかった。
しかし、爆発音を最後に途絶えた交信である。途絶に際して何が起こったのかを理解することは、あまりに容易かった。なにより通常交信で会話の一部始終を聞いていた彼には、敵がテトルを見逃すとも思えなかったのである。取る行動とは裏腹に、心中ではテトルの死が決定的なものとして凝固しつつあった。それを自覚していればこそ、認めたくないという願望が彼個人を表出させるのだ。
……俺がもっと早くに着けていたなら!
だが、それが意味を持たない仮定だということは明白だった。
現在、特殊情報局第二分隊の救出に向かった一号機を除き、撤退地点付近では他の三機がフラグマと交戦している。第三世代型トールすら圧倒するフラグマに対し、彼らが苦戦を強いられていることは必至。だからこそ陽動と判明したフラグマを確実に引き離す為、一号機は大幅な遠回りをせざるを得なかったのだ。その影響で旧研究所へ到着する時間が大幅に遅れようと、仕方無いとしか言いようの無いことだった。
しかし、全てが遅かったのだとバルトは悟る。
「複数機体を同時展開させてくる可能性を見落としていたとは……!」
それはフェンリルに対する先入観がもたらした判断ミスと言えた。アインドが常に単機で作戦を遂行していたことから、フェンリルは複数機での作戦を行わないのだと思い込んでいたのである。フラグマという明らかな新型を目にしても尚、その先入観が消え去ることは無かった。
バルトが初めて同時展開という可能性に思い至ったのは、「フラグマは陽動だ」とナオトが言い出してからのことである。そんな根拠も無い言葉を信じる義務は、勿論無かった。だが、現にこうしてナオトの言葉を受けて行動しているのは事実である。それは、フェンリルによる陽動作戦の展開という仮説が、試験先行運用部隊にわざわざ攻撃を仕掛けて来たことへの尤もらしい説明たり得ると感じたからであった。部下への信頼以上に、そうした現実的な理由こそが彼の判断を後押ししていたのである。
一号機は旧研究所付近から見て西側、幾つかの山を迂回しつつ接近を続けていた。分厚い複合装甲を以て岩を砕き、強靭な駆動モータを以て木々をなぎ倒す。地を焼き焦がして驀進するその様には、積極的な破壊の意思さえ感じられた。無論、20m級の機動兵器が動けばそうもなろうというのは道理である。しかし、それ以上にバルトの精神状態が機体挙動に表れていることは事実だった。軍人にあるまじき、固執の念が彼を支配しているのである。
そもそも、彼が旧研究所へ向かう意義は既に失われていた。第二分隊の壊滅、そしてテトルの死亡を間接的にでも確認した以上、彼はすぐさま試験先行運用部隊と合流するべきなのだ。現にフェンリルが複数機体を展開させてきた以上、更なる別働隊によってホエールが狙われる可能性も高い。事の重要性は誰が見ても明らかである。
それにも関わらずバルトに引き返そうとする兆候は見られなかった。彼がその考えに思い至っていないのではない。分かった上で引き返そうとしないのである。
再びサブモニターへ目を向ける。
他の三機は未だフラグマと交戦しているようだった。フラグマの役割が陽動にあるなら、その意味はフェンリル機の脱出援護にあると考えるのが妥当である。つまり、テトルを殺したフェンリルの構成員は未だ周囲に居る可能性が高かった。そうと分かった途端、バルトの手や足が後退を許さなくなったのだ。無論それは錯覚であり、そうさせているのは紛れも無い彼自身の意思である。
アリエルにテトル。フェンリルに奪われたものが過る度、否が応でも仇の存在が意識させられた。バルトの手は仇を求めていたのである。奪われたものを血で埋め合わせるかのように
「……あれは!」
そんな彼にとって、突如レーダーに映った敵影はまさに僥倖であった。反応が在ったのは広域センサーでは捉えきれず、且つ旧研究所から完全に影となっている地点である。仮に西方向から遠回りをしていなかったなら、そのまま見逃していたはずの地点であった。恐らくは簡易的なステルス機構を搭載しているのだろう、レーダーに映る敵機の姿は不安定に揺らめいている。光学観測による鮮明な敵影を求め、バルトは更に距離を詰めていった。
高速移動に伴う振動の中で、望遠モードのメインカメラが遂に目標を捉える。
それは、比較的樹高の高い森林に紛れ込む黒いトールだった。その機体にあって最大の外見的特徴は、背中から突き出た幾つかの巨大な構造物。打ち込まれた杭の如く背面に突き刺さっているそれらは、一つ一つが薄い層状のプレートから構成されていた。その構造は明らかに、表面積を増やす為に作り込まれたものである。つまり、あれらは大型の排熱フィンなのだとバルトにも察しが付いた。しかしその大型排熱フィンの存在は、敵機の人型としてのフォルムを著しく損なってもいる。狼を模した頭部、そして滑らかな黒い装甲板も相まって非常にアンバランスな印象を与える外観だった。
巨大な機影を隠さんと膝を折ったその姿勢は、まるで主の帰りを待っている様にも見える。
「やはりフェンリル……いったい何機の新型をぶつけてくるつもりだ!」
そして、バルトの見ている前で敵機のカメラアイが突如発光した。アインド、フラグマと同様、透き通った緑の輝きである。薄暗い影の中、その輝きは敵機が立ち上がる軌跡を鮮明に描いた。片膝立ちの姿勢から一転、樹高を追い抜くように立ち上がった機影は、かつて遭遇したどのトールにも当てはまらない。やはりというべきか、敵機が新型であることはもはや疑いようの無い事実であった。
同時にバルトは、テトルを殺した構成員がその機体に乗り込んでいると確信する。仮に他の構成員が居るとすれば、脱出する機影が一つだけという事は有り得ないからだ。わざわざフラグマを陽動として試験先行運用部隊にぶつけて来た以上、実行役を切り捨てたという可能性も低かった。あくまでフェンリルは実行役を無事に離脱させようとしているのだ。
それでも全ては状況証拠からの推測に過ぎない。バルトとて自らの推測が絶対と考えている訳でも無い。しかしその推測は、彼に追撃の意思を固めさせるに足る材料だった。
完全に立ち上がった敵機が、膝を溜めるような姿勢を取った。そうして見る間にも、地上から吹き上げる風が周囲の針葉樹をしならせ、針の如き葉を木々からむしり取っていく。そんな局所的な暴風の発生源とはつまり、敵機がメインエンジンから噴き出すホバー推進に他ならない。
そして無造作にも思える動作で一号機を一瞥。直後、敵機は旧研究所付近からの離脱を開始した。その一連の動作の中にある種の宣言といった意味合いを見出したのは、単にバルトの深読みに留まるものではない。たしかに敵機は――――そのパイロットはそうするだけの因縁を持ち合わせていたのだから。
無論、今のバルトがその事実を知るはずは無い。しかしいずれにせよ、追撃という判断が下されるまでに逡巡は存在しなかったであろう。みすみす仇を見逃すくらいならば、いっそバルトは兵器管理局事務担当としての道を生きるべきだったのだ。そうしていないという事は、彼には掛けるべき選択の積み重ねがあった。たとえそれに囚われようとも、たとえ成し遂げた後が何も見えなくとも、そうしなければならないという自縛の意識が彼に目的を与えるのだ。そういった意味に於いて、バルトにはテトルという人物が為した業が何一つ見えてはいなかった。
彼の意識はただ、目の前で逃げ遂せようとする敵機に向けられるだけである。そこに試験先行運用部隊長としての目的は含まれていない。結果的に一致するものであったとしても、それはやはり私人の執着とでも呼ぶべきものだった。
「逃がすか!! 貴様には色々と吐いてもらわねばならん!」
一号機の背部にマウントされた多薬室砲が、狙撃体勢への移行に伴って展開を始める。第一薬室基部に設けられた固定ロックが解除され、機体背部から右肩部アタッチメントへほぼ直角に砲身を固定。その時には既に、APFSDS弾頭の給弾シークエンスは完了されていた。
ショックアブソーバーの恩恵で振動が低減されたコックピットで、バルトは前面に投影された狙撃用スコープをのぞき込む。その中には、背を向ける形で敵機の姿が映し出されていた。どうやら敵機は一号機よりも巡航速度が若干上であるようで、目標への距離はジワジワと広がっていく。それでも目標は比較的近距離に居る為、各種補正値は無視出来る値にまで低下していた。バルトが引き金を引く上での如何なる障害も、そこには存在しない。次の瞬間には、長大な砲身から極超音速の弾頭が射出されていた。
元より高速での飛翔を前提とした弾頭である。ほぼ仰角が0に近い事もあって、それは殆ど速度を低減させないままに敵機へと着弾した。背中の大型フィンの一つが基部から抉り取られ、更に隣のフィンまでもが余波で吹き飛ばされる。衝撃でよろめいた敵機はしかし、尚も撤退を続けようと試みた。一号機から影となる山間の陰へと逃げ込んだのである。
「チッ……撤退ルートに逃げ込まれたか」
バルトは戦闘支援システムをモード戦闘に保ったまま、敵機の後へと追い縋った。同時に大きな仰角を取った多薬室砲から数発の通常榴弾が吐き出される。比較的砲身加速の緩いままに放たれた弾頭は、丁度敵機が逃げ込んだ先を塞ぐように着弾し、炸裂する。直撃でもしなければトールの破壊は難しいとされる通常榴弾だが、足止めをする程度には役に立った。立て続けの爆発に足を止めた敵機に対し、最大速度で迫る一号機からアサルトライフルの連射が浴びせられる。
即座に回避運動を取った敵機だが、直前に受けた損傷が思うような機動を許さない。襲い来た弾頭の多くが装甲表面に火花を散らし、簡易装甲区画にはショートによる閃光が瞬いた。その上、直撃弾によってクラックの入った腰部背面装甲などは、もはや保つべき耐久性を保持し得ていない。しかし仮にもフェンリル、猛攻を甘受するだけで終わるはずは無かった。火線をそのまま返すように、左腕部の損傷が目立つ一号機へ向け銃弾の応酬をもたらす。その手に握られているのは、エークス軍が装備するものとほぼ同系のアサルトライフル。それは、バルトの注意を引くに足る事実を含む光景であった。
……フェンリルの機体がエークス軍と同じ規格を持っているだと?
だが、その不自然さの意味を煮詰める暇はない。銃弾の雨はいつでも、一瞬の油断に付け入って来るものだと彼は知っていたからだ。少しでも気を抜けば被弾し、薄い装甲面などは貫徹されてしまう。いかな耐弾性に優れた第三世代型トールといえど、こうも近距離では被弾のリスクが大きいのである。現にフラグマから受けた被弾箇所にはLevel3〈一部機体機能の喪失〉のダメージ警告が表示されていた。もし同じ場所に被弾すれば、それは非装甲区画を撃ち抜かれるに等しい。
咄嗟にレバースイッチを二つ程度引き込み、姿勢制御系の管理権限を手動操作系統にシフト。急激な負荷の増大にフレームが軋むのも構わず、機体姿勢を右斜めに傾けさせる。同時に前方へと偏向された脚部メインスラスターは、機体全体の進路方向をほぼ真横へと強引に逸らした。本来進んでいたはずの進路は敵機より伸びた火線によって、一分の隙も無く切り裂かれていく。
「くっ……!」
痛烈な加速Gがバルトの身体を軋ませる。強くシートに押さえつけられるような圧迫感は、斜めに傾けられた一号機の上体姿勢を反映したものだった。加速方向と機体の軸を合わせることで、回避運動中における機体姿勢の安定を図っているのである。急激な姿勢転換の際、仮にこうした挙動を行わなければ機体が転倒してしまう可能性すらあった。
しかし、バルトがそんな遅れを取ることは無い。速度ベクトルが目まぐるしく変化する戦闘中にあっても常に機体重心を把握し、完璧にその移動を制御し得ているのだ。それを激しい戦闘機動の最中で行うには、MNCS操作系統による直接操作が最適である。しかしMNCSへの適性が低いバルトは、そういった動作の多くを手動操作系統によって行う必要があった。それは高度な技量、長年の戦闘経験に裏付けられた業である。そして最初期からトールに乗り続けているバルトは、一連の動作を意識することも無く行えるまでになっている。本来なら弱点としか成り得ないはずのハンデは、結果として彼に確かな操縦技量を与えたのだった。
踏み込まれたフットペダルに呼応し、一号機が急速に間合いを詰める。その間にも火を噴き続けるアサルトライフルは、着実に敵機の装甲を削り取っていた。着弾の火花は咲く場所を選ばず、敵機は一部の非装甲区画をも露呈させている有様である。更に仕上げとばかりに放たれた多薬室砲の一撃が、敵機の右肩部装甲をも砕いた。既に多くの装甲板を砕かれた姿は、毛皮を剥ぎ取られつつあるオオカミを思わせるものだ。圧倒的な戦闘力を見せつけたアインド、フラグマと違い、バルトが向かう機体は予想外に脆かったのである。無論、第二世代型とは比べ物にならない性能を持ち合わせていることは確かだ。しかしそれは、圧倒的戦闘性能を誇るこれまでのフェンリル保有機とは大きく異なる性格を持つ機体だった。
「こいつ、戦闘用では無い……?」
バルトの呟いた先で、敵機は一号機との正対を解き再び背を向けての撤退を始める。バルトにとってその様は一号機との交戦を避けるようにも、または何かを目指しているようにも見えた。より正確を期すならば、一号機の排除を諦めた敵機が再び撤退地点を目指すように見えた。積極的な戦闘行動を避けようとする傾向は、やはり彼の推測を後押しするものだ。
一号機も追い縋るように更なる加速を掛ける。しかし敵機が逃げ込んだ先は、傾斜面が複雑に入り組む山間であった。樹高の高い針葉樹が地形の把握を困難にさせ、更には地盤の破断面と思われる崖が幾つも見受けられる。よく地形を把握せずに進もうものなら、トールといえど身動きが取れなくなる可能性すらあった。一旦加速を緩め、バルトは敵機が進んだ進路をトレースしての追撃を始める。しかし敵側もそれを見越している可能性は高く、ともすればトラップに掛かってしまう事も考えられた。故に広範囲索敵を捨ててでも、あらゆるセンサー系を地上付近に向けざるを得なかったのである。一気に索敵範囲の狭まったレーダー円の中で、バルトは敵機の位置に神経を傾けていた。




