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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
8章:旧研究所
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第52話「目指すは旧研究所跡地―1」

「タイプE004、G993の防壁展開を確認……突破。チッ、アクティブAIの自律走査が始まったか、ったく! システムトラップは面倒臭いなぁ、ゲルバニアンの連中の仕事ぶりも大概だぜ」

 今、三号機のコックピットを満たしているものが何かと問われれば、間違いなく「音」と答えるだろう。

 無論、音楽の類では無い。

 延々と響き続けているその音は、間断なくキーボードを叩く音であり、システムの警告音であり、ルーカスのつく悪態でもある。照明の光量さえ抑えられたコックピットにあっては、気を散らす要素にしか思えないものだが、当のルーカスはそんな事を気にしてはいなかった。より正確を期すならば、気にする余裕が無かったというべきかもしれない。

 彼が張り付いているモニターには、果ての無い文字列が浮かび上がっていた。半透明で幾重にも表示されているそれは、各部に三次元的な論理接続を付与された『壁』である。現在、類似のシステムはエークス・ゲルバニアン共に採用しており、普及の幅広さは他に類を見ない程だ。

 そして、ルーカスの前に立ちはだかっている『壁』は、セキュリティに特化した仮想防壁の一種だった。生体アルゴリズムを多重的且つ流動的な自己修復に活用したそれは、最も突破が困難なシステムの一つとして知られている。そんな仮想防壁を突破しようと言うのだから、ルーカスの苦労は並大抵では無かった。彼にとっての仮想防壁は、まさしく電子空間にそびえ立つ崖である。しかしそんな崖を突破する事すら、ルーカスと三号機の能力を以てすれば不可能なことでは無い。

「T772突破……V439突破……」

 三号機に搭載された高性能演算処理装置が、仮想防壁に次々と風穴を開けていく。だが仮想防壁の持つ自己修復速度は速く、それらはたちどころに塞がれてしまう。そのままではイタチゴッコが終わりを迎える事は永久に無かったであろう。

 しかし、数秒前からルーカスの指は動きを止めていた。代わりに何かを探すように、目だけがせわしなく動き続ける。

 その静寂が更に続くかに思われたその時だった。高速でスクロールしていた画面が突如流れを止め、赤く光る文字列を中央に指し示す。それこそがルーカスの探していたものであり、つまりは仮想防壁の特に脆弱な点であった。

「よっしゃ! これをこうっと」

 ルーカスはすぐさまその文字列の改変作業に入る。さほど量が多くなかったのか、ものの数秒でタイプ音は止んだ。そして凝り固まった肩をほぐすように、ルーカスが身体を伸ばそうとする。しかし、ここは狭いコックピット内部だった。十分なスペースがあるはずも無く、伸びは中途半端な姿勢のままで妨げられてしまう。しかしその場に漂う空気は、先程までとは全く違うものとなっていた。それを言葉で表すならば、弛緩した空気と言えるだろう。安心感と言い換えても良いかもしれない。

 兎に角、作業は無事に終わったに違いなかった。ルーカスの指がモニターへと伸び、ECMを停止させる。作業中に稼働させていたのは、情報漏えいを防ぐ為の措置ではあるが、観測機器を無力化した今となっては却って探知されてしまうリスクのほうが大きい。稼働を止めたのはそういう判断に基づくものだ。

 更にふと思い出したように、ルーカスは通信スイッチを切り替えた。スイッチ脇のモニターに通信先として表示されているのはYMX-01sである。

「こちらコード3、複合カメラポッド無力化作業、無事に終了であります。まったくゲルバニアンも幾つ仕掛けてるんだか。本当に全部把握してんのかなぁ?」

 任務終了の報告と共に、敬語を伴わない軽口が口を突いて出る。その事に関して彼自身に自覚は無いし、悪気も無い。だからこそルーカスはルーカスなのだ、とも言えよう。

 通信に出たバルトも「ご苦労」との言葉を掛けた後、通信を切る気配は無い。無論、今更言葉遣いを注意する気配も無い。

「いくら勢力圏とはいっても、元は俺たちエークスの領土だからな。調査が不足してる分は、こうやって空中投下タイプの複合カメラポッドでもばらまいておくしかないのさ。

 もっとも、そのおかげでこうやって侵入する事も出来るがな」

 バルトの言葉通り、今、試験先行運用部隊が居るのはゲルバニアンの勢力圏。元はエークスの領土であった旧領土地帯である。

 進攻を開始してから早くも一週間。ホエールはその巨体を山間に滑らせ、オーディン旧研究所支部を目指しているのであった。そんな芸当が可能なのも、偏にエークスが詳細な地形データを保有していたからである。

 更に幸運だったこととして、ゲルバニアンが付近の地形を現地調査していなかった事が挙げられる。付近の警戒に関しては、監視衛星と複合カメラポッドで得られる情報で充分だと判断したのだ。自身の勢力圏とはいえ、全山間地帯の調査は骨が折れることだったのである。重要な地帯ならいざ知らず、辺境の地域ならばそれは仕方の無い事だと言えるだろう。

 しかしその体制は、少数精鋭部隊に対しては効果が薄い。部隊規模の比較的小さな相手に対しては、どうしても綻びが出てしまうのだ。現にこうしてホエールの進攻を許し、ゲルバニアンはその接近にすら気付いてはいない。尤もそれはYMX-03が複合カメラポッドを順次無力化している成果とも言える。

 ホエールは着実に、その歩みを目的地へと進めていた。



 ホエールの格納庫上部には、壁に沿う形で作業用通路が設けられている。その通路内部は比較的高い金属柵で囲まれており、下に広がる格納庫からは死角となっていた。無論、ナオトがそこに居る事に誰かが気付くはずも無い。

 そうして一人佇むナオトの目に飛び込んで来たのは、第二格納庫へと帰還する三号機、そして一号機の姿だった。モード「巡航(クルーズ)」での半自動操縦で格納庫へと進入してきた二機は、各々が作業員の誘導で慎重に移動を続ける。

 その二機があたっていたのは、複合カメラポッドと呼ばれるゲルバニアンの機器を無力化し、こちらの進攻を隠匿する為の任務であった。それぞれ、システムへのクラッキングを三号機が、その護衛もしくはポッドの物理的破壊を一号機が担当している。それは機体特性を直に反映した、少数部隊らしい任務とも言えた。

 それがナオトに複雑な気持ちを呼び起こさせる。

「はぁ」

 視線を少し移せば、格納庫に係留されている四号機の巨体が見て取れる。最初に出会った時からまだ半年と経っていないはずなのに、その機体はどこかくたびれて見えた。

 それもそうだろう、初陣からこのかた楽な作戦などは一つも無かったのだから。結果として四号機は傷付き、最大の武器を失う事となった。もはや中身は別物と言ってもいいくらいだ。

 そして、自分はその機体に乗って戦わなければならない。その事に不安を感じないと言えば嘘になる。でも、本当に不安としていたのは別の事だ。

「俺が足手まといになったら皆まで巻き込む……俺に何が出来るっていうんだ?」



「YMX-01s並びに03、第二格納庫への着艦を確認。各機固定作業に入ります」

「一時間以内に、バルト大尉は作戦の報告を行ってください」

「整備班はYMX-03の整備作業にかかれ。尚、ミッションレコーダの情報開示は不許可であるため」

 ホエールの艦橋にはオペレータの報告が飛び交っていた。トールの収容シークエンス、その光景自体は演習後であっても見る事が出来るものだ。しかし、報告する声に見られるのは、普段には無い生の緊張感であった。敵地の只中に居るという事実は、やはり乗員にとって少なからぬストレスとなってしまうのだ。

 いつ敵の襲撃を受けるか分からない。そういった不安は、ホエールの高い索敵能力を以てしても打ち消す事は難しい。

 だが、艦長席に座るエドモンド中佐は普段以上に落ち着いた態度を見せていた。艦長という存在はクルーにとって如何なる存在か。それを理解しているからこそのパフォーマンスである。

 次々に届く報告は、そんな彼に休む暇を与えようとしない。

「艦長、整備班が4番動力回路の使用を申請しています。どうしますか?」

 モニターから顔を向け、オペレータの一人が設備の使用申請を求めて来た。中佐は迷うことなく明確な指示を与える。

「予備回路へのバイパスを忘れるな、と伝えておくんだ。今は動力炉の稼働率も落としているからな」

「了解しました。整備班へ、使用申請は」

 指示を受けたオペレータが再び作業へ戻る。

 ひとまずの作業が終了した、と中佐は人知れず息をついた。常に気を張っていると、艦長は孤独だということを改めて思い知らされるようである。

 隣にもう一つ(・・・・・・)、新たに設けられた席があると言っても、その事実が変わることは無い。ましてそこに座る者が、軍の特殊情報局の責任者〈テトル=エリック少佐〉であれば尚更だった。軍の暗部にこそ活きる彼らである。エドモンドのような現場主義の軍人から不信感を抱かれる事は、軍にあってそう珍しいことでは無い。

 エドモンド自身は、テトル個人にそう悪い感情を抱いては居ない。それでも彼が掛ける言葉がどこか刺々しいのは、それが要因となっているからでもあった。

「少佐、君はこの任務をどう考える。無論、作戦を主導する身としての話だ」

「我々も命令を受けて動いているのです。その点においてエドモンド中佐方とそう変わるところは有りませんよ。任務の意味ならば上が与えてくれるでしょう」

「特殊情報局は作戦内容の秘匿権利が認められている。ましてその責任者は君だ。独自の作戦行動すら許可されているに等しい者が、言える台詞では無いな」

「実際はそうとも限りません。結局軍人である以上は、上からの命令で動くだけです」

「そうか」

  互いに視線を合わせる事も無い今、言葉だけが二人を繋いでいた。

「その『上』が居なくなっても、かね?」

「……」

 テトルの言葉が詰まる。中佐が何を言わんとしているか、それが理解出来る以上あしらう事は出来なかった。

「先日のコプレン中将暗殺事件。あれで第四機兵師団は司令官を失う事となった。だが、それだけでは無い。中将は特殊情報局にも大きな権限を持っていた。

 その人物が消えた今、君以外の誰が(・・・・・・)特殊情報局を動かせるというのだ」

 テトルが再び沈黙する姿は、それだけで十分な答えを示していた。だがエドモンドには艦を預かる者として、真に問わねばならない事がある。一息を置き、彼は再び踏み込みを見せた。

「……この任務、果たして何が目的なのだ。コプレン中将を消してまで君は何をしようとしている」

 そもそも、艦長にさえ任務の内容が秘匿されているという事態が異常なのだ。普通でない事が起こる背景には、やはり普通でない事情があるに違いなかった。

 そう、例えば軍内部情報を掴む特殊情報局が事件に関わっていたとしたら? 

 十中八九、テトル少佐が主導しているであろうこの任務。その実施の為に特殊情報局が動員されたとしたら……? 

 異常な体制で進められる任務、そして布石を打ったかのようなコプレン中将の死。これらの事態は、エドモンドをそんな結論へと至らせるには充分過ぎた。

 だがテトルは反逆の疑惑を掛けられても尚、態度を崩すことは無い。

「中佐は何か勘違いされているようだ。たしかに中将が暗殺された状況には不審な点も多い。アインドは確実に日時・居場所を把握したうえでピンポイントに襲撃を掛けてきた。これは確かに軍内部情報の流出を示す証拠です」

 そこまでを言い終え、テトルは言葉を区切った。そして暫しの間、視線は自然と下げられる。その姿は何かの考えをまとめているようでもあった。再び顔を上げるまで一分も掛からなかったに違いない、だが彼ら二人にとっては長い時が過ぎていった。

「……ええ、この任務が私の立案・判断によるものだという事は認めます」

「ですが」とテトルの言葉は続く。

「情報流失の裏切り者は他に居ますよ。もし中佐が犯人を私だと考えているのなら、それは間違いです」

 それはエドモンドの問いを誘う文句に違いなかった。

 疑惑を掛けられた者が、自分以外の者を引き合いに出して追及から逃れようとする事は常道だ。先の文句は、そのきっかけを自分から引き出させる為のものに過ぎないはず。

 だが、分かっていても尚、聞かずにはいられなかった。

「見解を聞こう。無論、他言はしない」


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