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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
7章:参謀本部会議
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第48話「目撃者972名の暗殺劇―3」

「すぐには動けないようだが、何としても脱出を急ぐぞ」

「今すぐにですか? それはいけません、閣下」

「何故だ、説明しろ」

 まさか今さら脱出を咎めるつもりではあるまい。反射的に疑うコプレンだったが、すぐに自分の考えが馬鹿馬鹿しいものである事に気付かされた。側近もまた、特殊情報局に配備されていた頃の戦訓を忘れてはいなかったのだ。必要な切り捨てを、当の彼が咎められるはずも無い。

「お言葉ですが閣下、この直上には厚さ12mの複合コンクリート層が設けられています。たとえG6級の地中貫通爆弾(バンカーバスター)を投下されたところでビクともしない強度です。今一度、ご再考を」

「そうか、止むを得まい。地下区画の更に深層へ潜り込めるか」

「やってみます」

 確かな技量を匂わせる側近の言葉に、嘘は無かった。

 前線視察へ同行するにあたって彼が用意したものは、ハインレスト基地程度のセキュリティ規格に合わせた偽装認証情報だ。特殊情報局時代の経路を通じて、予め手に入れておいた基地司令の認証情報があれば、ある程度の階層までは全く問題無く進む事が出来た。生憎、WALL規格そのものを突破するような技量は持ち合わせていなかったが、それ故に選んだ古典的手法とも言えた。

 耐爆隔壁を偽装情報で抉じ開けていき、地下へ、更に安全な区画へと進む。やがて二人は、使われる予定すら無さそうな広間のような区画へと出た。その殺風景さは、地下に建設される駐車場にもよく似ていた。それ以上は進みようが無いと判断した側近は、銃を手にしたまま辺りに目を光らせ始める。

 コプレンは、無論、基地戦力がアインドを撃破出来るとは考えていなかった。近隣基地からの増援が届く可能性も低いと踏んでいた。しかし、基地を一通り更地にしてしまえばアインドは退いていくのだろうから、そういった意味では完全に安心し切っていた。空気がビリビリと震える様を肌で感じ取ってもなお、その自信は揺るがない。

 地下であるにも関わらず襲ってくる振動は、基地地上施設で発生した爆発の余波だ。だが、地下へ潜っていくほど地盤は安定するのが道理である為、生半可な振動で砕かれる危険性は俄然低くなる。基地地下へ逃げ込んだ彼らは、まさに頑健な要害に立てこもったも同然の状況だった。

 いかにアインドといえども、もはや自分を害する事は出来ない。そう信じて疑わないコプレンの思考は、専ら損害を回復させる為にかかる労力と費用のことで一杯になる。一つの基地を審査に回す手間が省けた幸運はあるが、全体としてみれば損害が大きい事に変わりはない。新たな面倒の種を抱えたコプレンにとっては、しばらく頭を痛ませそうな問題だった。

「いつ退くかが問題だな、これでは帰る足が無くなってしまうではないか」

 グランパスB-2は、今頃はほぼ確実に沈められているはずだった。それはつまり、新たなクルーごとグランパス級を補てんしなければならないという事を意味する。しかし、そこそこ優秀な程度であれば、人間の方は代えが利かない訳でも無い。彼は、さほど大きな問題では無いだろうと気を持ち直す。

 面倒事は帰ってから取り掛かれば良いのだ。今は地上が更地になっている事を、厄介事のついでに願っていれば良い。

「とっとと終われば――――」

 事後処理に取り掛かれるのだが。そう言い掛けたコプレンは、側近が控えているはずの背後を振り返ろうとした。「はい、閣下」という定型じみた返答が却って来ることを疑わず、見慣れた無表情の顔を視界の端に収めた。しかし、次の瞬間には視界が真っ黒に塗り潰された(・・・・・・・・・・)

 コプレンの頭は、視界の急転を理解しようとしなかった。何が起こったのだ、という疑問すら湧き上がる間もなく、コプレンは不意に発生した衝撃で背後に弾き飛ばされた。身体が宙を舞い、無様に転がされるようにして床へと打ち付けられる。仰向けの姿勢で止まった時には、酷い混乱と痛み刺激しか受け取れない状態となっていた。

「ぐっ……な、何が起こっている」

 疑問を疑問として意識すると同時に、全身を満たす鈍痛が顔を出して来る。激しく咳き込んだコプレンの口周りには、赤黒い血が滲んでいた。

 5mほども後ろの床に打ち付けられた衝撃は、軽い交通事故にも等しい負傷をもたらしていた。左腕には骨が折れていそうな痛みもあったが、新たな関節が出来ているという訳では無い。腕の深奥から湧き上がる、熱を帯びたような痛みは、少なくとも骨が剥離を起こしている証と考えて良さそうだった。そうして、辛うじて自分を取り巻く状況を一つ一つ理解していった彼だが、仰向けの身を起こしてみると、またも言葉を失ってしまった。

 先程までコプレンが立っていた場所の近くには、真っ黒い巨大な影が落ちていたのだ。そして、側近が立っていた場所には黒光りする金属があり、思い切って視野を広げてみればそれが巨大な人型である事も分かった。異形の三つ眼を持つ、狼を模したような黒き巨神像――――アインドの姿を、コプレンは悪夢に迷い込んだ時のような心地で見つめていた。

 ……そんな、どうして! どうやってだ!

 ここは、地中貫通爆弾(バンカーバスター)に耐え得る防御層に囲まれ、基地施設そのものによって守られる地下区画。たとえどんな方法を使おうとも、到達直前まで全く気付かれずにやって来ることなど、有り得ないはずの場所だった。相手はここまで瞬間移動して来たのではないか。そんな可能性すら頭を過るが、彼はすぐにそんな妄想を打ち消した。

 膝立ちでコプレンの前にそびえ立つアインドの頭上、地下区画の分厚い天井には、斜めに堀抜かれた坑道がぽっかりと口を開けていた。瞬間移動で来たのだとしたら、わざわざこんな大穴を作り出す必要も無い。50mにも及ぶ空洞は、当然、そこを通って来たからこそ穿たれた最短経路に他ならなかった。

 また空洞は、アインドが地上からここまで落下して来たとしたら描く軌跡――自由落下軌道――を、そのまま写し取ったような形をしていた。しかし、それならアインドが、分厚い複合コンクリートや岩盤を空気か何かのようにすり抜けて来たという事にもなりかねない。認めるにせよ認めないにせよ、コプレンの理解には余る仮説だ。どうやってここまで落ちて来たのかは、皆目見当もつかなかった。

 そして、まるで何かの冗談のような迅速さ、精密さで見事に掘り抜かれた空間は、そのまま地上へと繋がっているようだった。トンネルを通じて夜の重たい空気が流れ込み、コプレンの全身を冷めた夜気で包み込む。肌にへばり付くような湿り気を帯びた大気は、しばし呆然としていたコプレンに僅かばかりの正気を取り戻させた。

「お、おい……そこのアインドだな、アインドなんだろう!」

 もはや自分が何を言っているのかもよく分からず、口が勝手に動くまま呼び掛ける。勝手に言葉が出て来てから、自分がいったいどんな事を喋ろうとしていたか気付かされる始末で、コプレンは今までになく動揺している事実を否定できなかった。

 しかし、何も気が触れたから呼び掛けているのではない。彼は、あらゆる場所での交渉を成功させて来たし、その一つにはまさにフェンリルとの交渉経験も含まれていた。これまでに接触した経験があるなら、それを活かさない手は無いはずだった。

「私はコプレンだ、中将だ! かつて君たちフェンリルにMNCSの情報を提供した……あの時は顔を合わせた訳では無かったが、電話越しに話した。覚えていてくれるね? 覚えているだろう! 私だぞ!」

 相手が何も応じぬ不安感に、神経が振り切れそうになる。自分の思考すら上手く理解出来ないような状態で、コプレンは交渉などという行為に及ぼうとした愚かさを悟っていた。握った拳には冷や汗が滲み、痛みをも忘れさせる緊張感はゆっくりと心臓に突き刺さっていく。とてもまともな精神状態では無い。平静さを取り戻さなければならないのに、そびえ立つ人型の威容がどうしてもそれを許そうとしない。まるで神像の前に引きずり出された信徒のように、まるで何もかもが丸裸にされているような恐怖さえ感じていた。

 だからこそ、神像が自ら語り掛けて来たなら、それはある種の奇蹟にも等しい喜びをもたらすに違いなかった。彼の前にそびえる黒い巨神像は、その鋼の肉体から機械じみた声を絞り出す。同時に、錆び付いたスピーカーを通しているかのような旋律までもが聞こえ始め、コプレンは自らの正気を疑いながらもパイプオルガンの響きに身を浸す。

『コプレン……は、コプレン中将だ。かつて電話越しに情報を提供した、取引した』

「おお! そうだ、私は君たちの敵では無い! 敵では無いんだぞ、分かるな!」

 まるで心臓が飛び出さんばかりの興奮で以て、コプレンは巨神像に応じる。敵意を抱いているのなら応じるはずは無かったから、彼は一気に緊張感の度合いを緩めた。命の危機がひとまず去り掛けているという安堵感は、オーバーフローしかけていた脳に幾ばくかの冷静さを取り戻させる。

『コプレンは敵では無い。分かって貰えたよ、私は嬉しい……嬉しい。敵じゃない』

「私は交渉がしたい。私が分かるという事は、君が、あなたが〈トレイク〉か」

かつて交渉の機会を受け持った時、コプレンが聞かされていたコードネームは〈トレイク〉というものだった。それが果たして特定個人を意味するものかは分からなかったが、彼はその可能性だけを考えるようにしていた。相手がわざわざ応じているなら、きっとその個人が搭乗しているに違いないと。数秒の間を置いて、巨神像もといアインドは外部スピーカーから再び加工音声を出力し始めた。

『トレイク……トレイクは私だ。一片の疑いを差し挟む余地も無く、私がトレイクだという事実は明らかなものとなっているはず。私はトレイクだ、トレイクなんだろう?』

「どうして私に聞く?」

『俺はコプレンだ、敵じゃない。コプレンは敵じゃない……一体誰なんだ? お前は誰だ?』

 ……一体こいつは誰に向けて喋っている。一体、こいつは何なんだ。

 コプレンの全身を、生理的嫌悪感すら伴う寒気が駆け抜けていく。今まで会話が成り立っているかの如く見えていた『こいつ』は一体何者なのか、一気にそのイメージが崩壊していくような不気味さがあった。相手がまるで何を考えているのか分からない恐怖、そしていつ己が害されるかも知れない危機感、それらがない交ぜになった嫌悪感は、巨大な昆虫を目の前にした時の感覚と同じものだ。

 理性無きままに人の皮を被る獣、人を騙る獣。コプレンが恐怖に歪む視界に収めたアインドの姿には、無機質な鉄の塊などでは有り得ない狂気が刻印されていた。彼は恐怖で潰れた喉を必死に鳴らすが、追い払えるだけの声は出てこない。

 やがて、掠れ声を上げ続けるコプレンに飽きたかのように、アインドは右腕を振り上げた。異様に長い肘部分からは巨大な杭が引きずり出され、人間じみた動きでぎりぎりと力を溜め込んでいく。もはや遊んでいるつもりなのかどうかさえ、コプレンには判断が付けられない。全身に力が入らない。もう、逃げられない。

 ……どうして力が入らない、逃げる事すら出来ないのか! 私はこんな事すら――――。

 そして、立ち上がって逃げることも出来ない彼の直上に、黒い杭が突き立てられる。まるで壊れた万年筆のように、赤いインクが周囲に弾けて床を汚した。



 高音域が割れてしまっている聖歌は、まるで弔いのように流れ続けていた。

 何も動く物が無くなった地下広間には、ギクシャクとした姿勢で固まるアインドの姿があった。操り手を見失った糸繰り人形のように、機体は何の感情も漂わせぬままに立ち尽くすばかり。しばらくして、右腕に展開していた射出式徹甲杭パイルバンカーが引き戻されると、付けっ放しになっていた外部スピーカーから、先ほどとはまた別の加工音声が漏れ始める。

『作戦目標の達成を確認、目撃者と司令も既に始末した』

『……』

『我々はこれ以上、コプレンとハインレストに用事は無い、行くぞ』

『……』

 もし、然るべき者が聞いていれば、それがフェンリル構成員同士のやり取りであることに気付いていたはずだった。しかし、もはや徹底的に破壊され尽くしたハインレスト基地に、耳をそばだてる者など誰一人として残っていない。

 目撃者972名、生存者0名。ハインレスト基地壊滅の報せは、コプレン中将死亡の衝撃と共にエークス軍上層部を駆け巡る事となった。


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