第30話「待ち侘びる中佐―3」
ルーカスが第一格納庫に縛り付けられている頃、ホエールの通路を歩き急ぐ二人の男達が居た。時折、軍帽を被り直す仕草を見せるリーグと、それに小走りで続かんとするナオト。時々通路ですれ違うクルーも居た事には居たが、二人を奇異の目で見る者は皆無だった。何故なら今日は、彼らのように小走りで艦体中央区画へ向かう者がそれなりに多く居たからだ。
バルトはその理由を知っていた。しかし、愛機の修理がある為に来られなかった。
ルーカスもその理由を知っていた。しかし、上官にこき使われている為に来られなかった。
だからこそ、艦体中央区画へ足を運ぶ事が許されているのは、リーグとナオトの二人だけだ。彼らはルーカスを哀れみこそすれ、同情して立ち止まるような真似はしない。彼らは彼らの目的の為に、ルーカスを格納庫へ置き去りにする意思を固めていた。これこそが、時として戦場で発揮される非情さだと知りながら。
「リーグ中尉、やはり……自分たちは、修理を手伝わなくても良いのでしょうか」
それでも零れ出る躊躇いの念は、ナオトの良心が反映されたものだった。長時間に亘って作業に付き合わされているルーカスを思い、彼はどうしても言わざるを得なかったのだ。本当に置いて行っても良いのか、と。それはまだ若い彼が心に残す、細やかな優しさだった。
しかし、リーグは振り返ろうとしなかった。今さら手伝いに行っても無駄だという事を知っていたからだ。なればこそ、せめて自分達は進むべきだという事を彼は理解している。
「いや、俺たちに出る幕は無い。どうせ三号機を使ったシミュレーションは、ルーカスにしか出来ないんだ……それよりも、早く行かないと俺達まで手遅れになるぞ」
「分かっています。でも、まだ残っているでしょうか?」
「作業が終わってからすぐに来ただろう? 俺たちは最善を尽くしたんだ、結果が付いて来る事を信じなくてどうする」
リーグは僅かに振り返ると、ナオトに力強い視線を送って来る。最善を尽くしたなら自分を信じるより他にないのだと、その目は言っているようだった。当のナオトにしてみれば、ようやく取るべき心構えを気付かされたような思いだ。作業をわざわざ早めに終わらせて来たのだから、あとは信じて進むしか無い。そう思えば、心無しか歩調も軽くなったようだった。
「はい! 自分は信じる事にします」
「しかも、まだ始まったばかりだろう。ほら――――」
ようやく立ち止まったリーグは、通路脇にある大きな開放扉を指し示した。真っ直ぐ指差された先には、彼らもよく見知った艦内食堂の入口が控えている。そして、ようやく辿り着いた彼らの顔には、どこか爽やかな疲労と達成感の色が浮かんでいた。
「リーグ中尉、やりましたね」
「そうだな。整備班の休憩時間と重なる前に入るとしよう」
「はい!」
そのまま彼らは、躊躇いなく食堂へと踏み入った。数分後、リーグとナオトはそれぞれのプレートを長テーブルに置きつつ、椅子に腰を落ち着けようとしていた。その間にも、彼らの視線は、ぎっしりとプレートに載せられた食事の数々を舐めていく。
豊かな赤身を隠そうともしないローストビーフ、そして肉を覆うは薫り高いソース。傍らには、よく香辛料を効かせたジャガイモの付け合わせが添えられ、突けば今にも弾けてしまいそうな橙色の果実、そしてこれまた新鮮なサラダが、プレートに瑞々しい彩りを与えている。
しかし、真っ先に手に取るべきはパンだ。普段食べている物とは小麦の品質からして別物なのでは無いか、と思わせる程に柔らかく、それでいてカリっと焼けた皮の存在を程よく主張して来るパン。食後の甘味としては、軽やかに膨らんだカステラ生地に半透明の羊羹を挟んだ、ある種のサンドイッチが控えていた。どこか涼やかで素朴な見た目は、一つの安らぎを醸し出している。
何もかもが、普段食べているものとは違う。温かな食事の香りは鼻孔をくすぐり、今や遅しと空腹に耐えかねた胃が悲鳴を上げ始める。
「これが、これが噂の特別支給食ですか!」
「そうだ、補給に立ち寄ったタイミングでしか食べられないぞ。保存性が悪い規格だからな」
ようやく食事の席に着いた二人の男は、小さな勝利感に酔いしれていた。それがある種の食前酒となって、眼前にある要調理型支給食Cパック――――通称〈特別支給食〉への期待感を高めていく。プレートに載せられた豪華な食事の正体は、補給基地にしか出回らないとされる、特別に豪華な品揃えで構成された支給食だった。
何も前線で戦わずとも、軍人というのは軍規律・集団生活などによって制限を受ける事の多い存在だ。その厳しい軍生活において、しばしば食事は唯一の楽しみとなり得る。そういった事情を勘案して開発されたと言われているのが、要調理型支給食Cパックだった。
このタイプの支給食は、最前線で喫食可能なようには作られておらず、あくまで一定の調理設備を持つ後方施設で提供される事を前提としている。基地然り、陸上艦艇然り、そういった調理環境を持つ場所で無ければ食べられないのだし、そもそも割と早くに喫食可能期限が来てしまうという事もあって、Cパックが出回る場所は限られていた。リーグとナオトを始めとする人間が特別支給食で喜ぶのは、そういった希少性も相まっての事だ。
天におわす神に感謝を捧げるでもなく、彼らは早速食事に手を付け始めた。さほどの力も入れずに解けたパンを口に運び、フォークに刺したローストビーフの旨みを味わい、休むことなく食事を口に運んでいく。決して上品とは言えないが、素直に美味と感じさせる食事。それは日ごろの任務で精神を削られる彼らにとって、何よりの報酬に違いなかった。
「リーグ中尉、噂通りの味です! 自分は来てよかったと、そう思えます」
「そうだな、俺もそう思う。しかし、こうしていると訓練生時代を思い出す」
そう言って、口にジャガイモを放り込んだのを最後に、リーグの手は止まる。一旦、プレートの端にフォークを置くと、彼の手は自然とテーブルに置かれた軍帽へと伸びて行ったが、特に被り直したいという訳では無いらしかった。リーグの目はどこか遠くを見るように細められ、ナオトにも、彼が過去の情景を思い浮かべているのだという事が察せられた。
「訓練生? でも、リーグ中尉はテストパイロット出身では無いのですか」
「ああ、操縦訓練生とテストパイロットを兼ねていたといえば良いか。本来なら有り得ない事なんだろうが、トールが第一世代だった頃は、既に前線に出ていたパイロットも含めて訓練生からやり直したんだ。ちょうど士官学校で受けて来ただろう? あのカリキュラムの前身に当たる内容を、俺たちはやっていた事になる」
「そういう事でしたか。でも、リーグ中尉もそうだったなんて、思いませんでした」
「バルト大尉も同じようなもんだよ。なにせトール自体が突然出てきた兵器だったからな、皆何もかも手探りだったんだろう。俺達はちょうど実験動物みたいな存在だったのかも知れないが、別に後悔はしていない」
それは今、トールを操る立場にあるナオトが聞けば、無茶な話だと感じられる内容だった。
第一世代型トールは既に開発史の源流に追いやられて久しく、ナオトのようなパイロットは殆ど詳細を知らないくらいだ。だからこそ、第二世代型トールによって様々な運用が確立した今となっては、第一世代型トールの運用は危険且つ未熟なものだった評価せざるを得ない。
そんなエピソードの断片を聞かされた形となるナオトだが、しかし、新機軸の兵器を効率的に運用しようとした努力は、決して否定出来るものでは無いとも感じていた。それはナオト自身の属している部隊が、まさに試験部隊である事と深く関係しているのかも知れなかった。
極論すれば、第一世代型トールの訓練生と、自分達がやっている事は変わりないのだ。その点に気付いた彼は、安全すら保証されない兵器に命を預け、戦うという立場に、ある種の共感を抱いていた。そして、過去を淡々と思い返していたはずのリーグに、言い知れぬ寂寥の念が滲んでいるような様子にも気が付いた。いつの間にか、リーグは軍帽に触れる手を止めている。
「……でも、訓練生時代からの付き合いなんてバルト大尉くらいのもんだ。他の部隊でやってる連中も居たみたいだが、脱落した方がよっぽど多いと聞く。トール操縦兵なんてそんなものだろうが、11年も経てば見知った顔は殆どパイロットを引退していてな。
まずはザスフット、あいつは過労で壊れてしまったよ。第一世代型の訓練中に突如として暴れ始めてな、バルト大尉が取り押さえたから死人こそ出なかったが。それだけじゃない……テトル、レマナーク、トフス、あいつらもだ。もしかしたら事故で逝ったエドワナのほうがまだ――――」
リーグは話のトーンを更に下げて行き、いっそ悲惨とも言えるパイロットの遍歴を語り始めた。ナオトにしてみれば、まるで周囲の温度が二度も三度も下がってしまったような心地だった。まだ微かに湯気を立てているローストビーフでさえ、すっかり冷めてしまったように感じられる程だ。手にしたフォークが再びプレートに向けられる事は無く、あれだけ食欲をそそっていたはずの料理は、減る素振りすら見せずにナオトの前を占領している。
「どうしようかな、これ」
すっかり重くなった辺りの空気。何か、正体不明の冷気が充満しているのではないか、とさえ思えるような場所に割り込める人間は限られている。それは、余程気の回る人物か、もしくは余程空気の読めない人間であるかの二つに一つだ。そしてルーカスという男は、間違いなく後者に分類されるべき人間だった。すっかり手を止めたナオトの背後から、気安い呼び掛けが投げ付けられる。
「よう、ナオト。それにリーグ中尉殿、ここ座って良いですかね」
特別支給食を載せたプレートを手に、ルーカスは隠すでも無い陽気さを漂わせていた。それはようやく作業から解放された故の喜びなのか、あるいは特別支給食にありつける故の喜びなのか――――どちらもだろうとナオトは判断する。しかも、ルーカスは全く無自覚にも、周囲を覆っていた重たい空気を吹き飛ばしてくれていた。すぐ隣の席に座ったルーカスに対して、ナオトは――間違っても口には出せない――感謝の言葉を伝えたくなるくらいだった。
「いやあ、それにしても隊長殿は人使いが荒いぜ。今日の朝から、俺がどれだけキーを叩いて来たか分かるか、ナオト? ずっとだぜ、ずっと。どれだけ調整しても隊長殿が満足してくれないもんだから、今の今まで終わらなかったんだ」
ルーカスの口から止めどなく溢れて来る愚痴は、本来ならリーグやナオトが諌めて然るべきものだった。しかし、ルーカスの背後に立つ人物に気付いていた彼らは、既にその必要が無い事に気付いていた。当のルーカスが気付いていないだけで、愚痴の相手は彼のすぐ後ろに控えていたのだ。
「ルーカス、俺について何か言っていたか?」
すぐ後ろから聞こえて来た問いに、ルーカスは一瞬で顔を青くする。すぐにナオトへと向けられた視線には、「どうして教えてくれなかったんだ」と非難するような色が込められていたが、ナオトは半ば無意識に視線を逸らしてしまった。この小さな裏切りを埋め合わせるには、後でルーカスに何と言えばいいだろうかと思いつつも、やはり逸らしてしまっていた。
だが、バルトは何を言うでもなく、長テーブルを回り込んで適当な空席へと座った。ルーカスの愚痴は聞こえていなかったらしい。ナオトやリーグ、そしてルーカスが無言の内に安堵する中、バルトは何でも無い事のように口を開いた。
「ルーカス、午後からの作業も頼むぞ」
「大尉殿、聞こえていたならそうと言ってくれれば……」
「何の事だ? 」
「いえ、何でもありません。喜んで作業へ参加させて頂きます、サー」
ルーカスはそれっきり視線を伏せると、黙々と特別支給食を食べ始めた。
ナオトから見ても、まさしく当てつけとしか思えないやり取りだったが、バルトが表情一つ変えなかったという点を彼は信じたかった。しかし、本当に聞こえていなかったのだろうと思えば、また別種の恐ろしさが湧き上がって来るのも事実だ。バルトの前に食事が無い、というのも一つの地雷のように見えて仕方がない程だった。
しかし、本人曰く「直前で品切れになった」という事情だと分かって、ナオトは密かに胸をなで下ろす。運悪く品切れになっていたのは、バルトとルーカスが来る少し前に、大勢の整備員が食堂へ押し寄せていたからに違いなかった。現在は、基地付き整備員の一部も艦内に立ち寄っており、多少人員が増えているのだ。人数分を用意出来なかったからと言って、安易に補給担当を責める事は出来ない。
今、テーブルの上に存在するのは、特別支給食を確保出来た三人は幸運だったという事実だけだ。だからこそ、ナオトには、ルーカスがぽつりと呟きたくなる心情も分からなくはなかった。
「……隊長といえども渡しませんよ?」
せめて食事だけは守らんとして構えているルーカスには、いっそ悲壮な雰囲気さえ感じられた。ただし、ナオトにはどうしても、バルトが部下の食事を奪うような人間だとは思えなかった。朝から画面と向き合い続けたせいで、少々錯乱しているのだろう。そう言わんばかりに、哀れなルーカスを責めようとする者は誰もいない。
ただ、あらぬ疑いを払拭しようとするバルトの言葉だけが、三つの特別支給食の上を通り過ぎていくのだった。「俺はそこまで卑しくない!」と。
結局は、ナオトがまだ手を付けていないメニューを差し出す事で、この事態は解決をみる事となった。こうして、彼らにとって一時の休息が過ぎていくのだった。
しかしこの時、クローニン大佐によって一つの命令書が作成されていたことを、バルト達は知らない。ましてやその内容が、攻城砲と共にシーグ率いる艦隊へ合流する事を命じるものだ、などとは――――やはり、誰も知る由は無かった。




