第28話「待ち侘びる中佐―1」
エークスとゲルバニアン。2つの超国家連合による戦争は、経済的・軍事的緊張状態が顕著になった時代――即ち冷戦時代――を含めれば、既に数十年の歳月を費やすものとなっていた。
長い戦争が費やした金・物資・人命は、計り知れない。ここ数年の大衆報道に至っては、戦死に関するニュースが持つ意味さえ薄れ始めている。つまり、報道されるのは専ら戦費の方だったが、それすらも新鮮な脅威を以て受け止められる事は珍しくなっていた。戦火に消えていったものなど、もはや誰もが数える無意味さを知っている、とでも言うかのように。
数多の民衆が暮らしているのは、緩慢とした戦時下であり、ここ数十年来の日常であり、今や現代史の一ページと化しつつある戦争であり、――――決してそれ以上のものでは無くなっていた。しかし、戦争はその間にも、開戦当初から大きな変質を遂げていた。
ならば、一体、何が変質してしまったと言うのか。
それを理解する為には、まず、何故この戦争が始まったのかを知らなければならない。今日、専門家の見解が一致するところによれば、戦争のきっかけは、国境間の資源採掘権を巡る争いにまで遡ることが出来る。これは開戦から、実に数十年前の出来事だ。
当時は、VHITと呼ばれる微細人工結晶体が、半導体素子として普及し切った時期に当たる。VHITとは、従来使用されていたケイ素系半導体素子に代わり、飛躍的な微細化を実現する素材として開発された人工結晶。新世代の三次元集積回路が実用化されたのは、このVHIT半導体素子があったからだと言われている程で、素子としては非常に優れた特性を持っている。故に、VHIT結晶は半導体素子という形で一気に利用が拡大し、遂にはエークス、ゲルバニアンでVHITが定着するに至った。
だが、VHITの物理的特性は些か優秀過ぎた。VHITの利用法は素子だけに留まらなかったのだ。
IE60年代終盤、エークス内のとある学会で発表された論文によって、VHITは|高効率且つ高出力の蓄電装置として活用し得る可能性が示された。そして、目視可能な規模にまで成長させたVHIT結晶だけが、バッテリーとして利用できるという事実も――――つまり、半導体素子として利用する微細結晶では不可能な利用法だった。
半導体素子としてのVHITは、ある程度の工業基盤があれば比較的容易に合成出来る。しかし、結晶構造を安定させたまま成長させるとなれば、全く話が違う。VHIT結晶を数mmサイズにまで成長させる事ですら、当時の技術水準では困難を極める工程だった。結果的に、VHIT結晶の安定化に必要な条件は、エークス、ゲルバニアン双方に出資者を抱える学術団体〈オーディン〉の手によって見出される運びとなった。学術団体〈オーディン〉は、――現在でも未だ実用化に至っていない――量子コンピュータを用いて、安定化条件を見出す為のシミュレーションを行ったのだ。
学術団体〈オーディン〉が発表した安定化条件は、複数存在する。中でも重要だったのは、地球外核に起因するある特殊な鉱産資源を添加すること。正確には、結晶の安定化に不可欠な準鉱物〈ミアダイト〉を、VHITの一次原料として精錬時に添加するという条件だった。
従来の蓄電機構・二次電池を遥かに上回る重量比出力を誇り、放電そのもので発生する熱は極微量という、反応性の高さという難点を補って余りある程の有用性を誇るVHIT結晶利用型バッテリー。利用用途も極めて広い事が当初から明白であった為、先にこれを実用化し、第三国を含めた市場を掌握せんとする機運は超国家連合レベルで一気に高まった。エークスもゲルバニアンも、VHIT結晶利用型バッテリーの実用化が急務となったのだ。
そこへ飛び込んできたのが、大規模なミアダイト鉱脈発見の報だった。場所は、エークスとゲルバニアン国境地帯にある山岳地帯。国境付近という地理的な不利要因を持ちながらも、それはエークスにとって極めて魅力的な話に映ったとされている。試掘を経て、商業ベースに乗せる為の本格的な採掘が始まるまでに時間は掛からなかった。
しかし、採掘から数カ月が経ったある日。半ば予想されていた事態が判明した。エークスとゲルバニアンの調査機関が、鉱脈は国境線を超えて広がっていると各々結論付けたのだ。採掘対象であるミアダイトは、常温常圧の大気中では急速に固化する性質を持っているが、一定以上の圧力に晒されると流体相へ転移する事で知られている。故に、地中に埋まっているミアダイトは――Meadのような色を呈する――粘性の高い流体であり、一方が採掘を進めれば鉱脈は枯れてしまう。採掘可能範囲が国境を跨いでいるという点が問題視されるのには、こういったミアダイト特有の性質が関係しているのだった。
VHITバッテリーの実用化を急務としていた両勢力にとって、鉱脈を独占できないという事態は都合が悪い。共にVHITバッテリーを実用化し得る技術水準に達しているだけに、鉱脈の独占確保は市場での優位に直結しかねない重大問題だったからだ。
ミアダイト鉱脈の調査結果が、超国家連合間の政治的緊張を生むのは必然だった。これを巡って非公式に開催された会談に至っては、既に策定された国境線を巡って、過去の論争が蒸し返される始末だったとされている。両者の譲歩案が合意を得ることは無く、幾多の会談が実を結ばずに終わっていった。更に、長引く政治的緊張は軍事的緊張を誘発し、なし崩し的に軍部の発言権は日に日に強まっていった。
文民統制を掲げる体制にあって、その風潮を良しとしないのは両勢力とも同じ事情だった。事態の収束を狙う動きは、ここでようやく一つの合意案を生み出す事となる。両勢力は、問題が政治的決着を迎えられる内に、事態を収束させたいと考えるようになったのだ。
合意案の内容とは、超国家的な合弁事業として鉱脈を共同開発するというものだった。つまるところ、鉱脈の採掘に関してだけは、国境問題を棚上げにしても構わないという極めて強引な案でもあった。分配比率については、採掘に出資した負担金、動員人員に応じて決まる仕組み。無論、運用についての問題点が無かった訳では無いが、合意案は議会での批准を受け、正式に運用される事となった。
だが、その後の状況は、合意案を作成した面々の思惑通りには推移しなかった。一旦拡大した軍備は新たなパワーバランスを生み出し、軍事的緊張を解くことが難しくなっていたのだ。結果として、政府が軍部の影響力を排除する事も困難となっていた。
原因が不在にも関わらず、軍事的緊張が続くという奇異な状態は、後のエークス―ゲルバニアン間の冷戦構造へと繋がっていく。そして、〈レオーツ戦役〉における局地戦が引き金となって、本格的な戦争が始まる事となってしまったのだ。したがって、鉱産資源を巡る争いこそが、エークス・ゲルバニアンの長年に亘る衝突の根幹であるなら、VHITのもたらした最大の悲劇は大規模紛争を誘発した事にあると言えるだろう。VHITの利用拡大は大き過ぎる悲劇を生んでしまった。
この戦争の本質は、VHITを巡る資源問題と、鉱脈の採掘可能地帯を巡る領土問題の二つと言っても過言では無い。戦争の形態は、果てしない消耗戦の様相を呈すまでになっていたが、それでも土壌汚染を招くようなNBC兵器が用いられないのはその為だ。
つまり、変質したのは戦争目的そのものでは無い。MNCS搭載式機動歩兵トールの実用化、陸上艦艇とトールの大部隊による陸上艦隊構想の実現、主にこれらの要因によって、戦争はより制圧を重視する在り方へと変質を遂げたのだ。
だからこそ、現代の陸上戦では『艦隊戦』すら起こり得る。それこそが、この時代における資源紛争が行き着いた戦争の姿だった。
そして今、旧レオーツ付近の旧領土地帯には、多数の陸上艦が展開していた。
エークス軍が誇る主力戦艦〈グランパス〉級が十隻に、装甲輸送艇が数十隻。艦隊としては中規模と呼べる布陣だが、同時にトール三個大隊、180機近くが山岳地帯に出撃しているのだ。山岳地帯で繰り広げられている戦闘は、決して軽視出来ない規模となっていた。
入り組んだ山岳地帯での戦闘は、地形の複雑さも相まって戦況を把握し辛い。現在はっきりしている事と言えば、およそ数kmは離れている稜線を挟み、両軍併せて400機以上のトールが撃ち合っているという戦況だった。かつて水が流れていた谷の上空には、まるで無数の橋を架けるように火線が描かれている。戦車では入り込むのが難しい山間にあっても尚、トールは高い走破能力で以て戦闘を繰り広げていた。
しかし、数十kmの遠方から飛んで来る榴弾が、エークス側のトール部隊目掛けて次々に落下。盛大な爆発と共に、付近の木々と地面を吹き飛ばしていく。曲射で稜線を超えて来る支援砲撃は、エークス側のトール部隊へと次々に襲い掛かっていた。濃密な支援砲撃とトール部隊の連携によって、エークス側はなかなか前進する事が出来ずにいる。
これは、ゲルバニアン軍の山岳基地〈デルタ14〉を巡る基地攻略戦の光景だった。
レオーツ戦役以降、要所を見張るようにして建設された基地の一つ――――山岳基地〈デルタ14〉。エークスの艦隊は、まさにこの要所を攻略した後に、更に奥の国境戦線へ北上しようと試みている。他方、ゲルバニアン側も〈デルタ14〉基地防衛の為に、多数の戦力を投入している。その事から、エークス・ゲルバニアンがデルタ14を重要視しているのは、誰の目からも明らかな事実だった。
そもそも、開戦当初のレオーツ周辺を巡る戦闘において、エークスは保有していた鉱山の多くを失っている。12年が経過した現在においても、ゲルバニアンに奪われた領土は殆ど奪還出来ていない。当然、12年という長期に亘って、資源鉱脈を抑えられてしまっていた影響は大きい。それは、軍事力でゲルバニアンに勝るはずのエークスが、同国を攻めきれない要因の一つとなっている程だった。
つまり、今回のデルタ14攻略戦とは、エークスの不利要因を取り除くべく行われる反攻作戦の一環なのだ。だからこそ、ゲルバニアンに向けて北上する上で邪魔な基地は、叩いておく必要がある。デルタ14が重要視される理由は、エークスが大規模な反攻作戦を企図しているからだ――――戦略的な視点に立てば、こう言い換える事も出来た。
デルタ14基地攻略の為に、エークス軍が派遣した艦隊は一つ。本来なら陸上艦艇も積極的に動かすべき状況だったが、山谷が多ければどうしても進攻ルートが限られてしまう。一方、山岳地帯での戦闘においては、トールの走破能力が大きな武器になる。そういった意味で、たとえトールだけを前面に押し立てざるを得ないとしても、それ自体は大した問題にはならない。ましてや180機規模のトールを配備しているのだから、艦隊の装備に不満を言う者など居ないはずだった。そう、エークス側の艦隊司令官、シーグ=ハルデン中佐ただ一人を除いては。
後方に控える艦隊旗艦〈グランパスA-1〉の艦橋にて、シーグは険しい表情で戦況を俯瞰していた。彼の全身から滲む不満は、しかし前線での膠着状態に向けられているのでは無い。自らが最前線に立てないという事実に対して抱く、焦れったい思いを隠し切れていないだけだった。元戦車長として、これまでの軍人生活を前線で過ごしてきた者として、自ら砲撃音を聞ける場所に立ちたいと願うのがシーグという男なのだ。
シーグは、落ち着かない様子で腕を組み合わせたかと思えば、数秒後には太い首元を締め付ける襟を緩めている。それはまるで、長年実戦で鍛えて来た身体が、徽章に飾られた軍服へ収まる事を拒否しているような光景だ。
傍らに立つ一人の男は、シーグのもぞもぞとした様子に気付くとすぐに視線を向けた。そろそろ呼ばれる頃合いだろう、という彼の細やかな予測は、一秒も経たず的中する事となった。
「タリス中尉」
「はい、何でしょうか」
シーグの呼び掛けは、副官たるタリス=リート中尉へと向けられたものだ。シーグは、タリスが間髪入れずに応えた事を当然と思いこそすれ、今さら彼の観察力を疑うつもりは無い。
タリスは実際、見た目の印象を裏切らない男だった。元々、色白で細面の彼が、細縁の眼鏡を掛けているのだから、絵に描いたような"神経質な男"が生まれるのも当然の事だった。加えて、タリスが述べる意見というのは、常に現実的で実現可能なものばかりだった。
まさにそういった、堅物と表現されて然るべき振舞いも相まって、タリスは周囲の人間に、ユーモアセンスの欠片も持ち合わせていない男だと信じられている。実はそうでも無い、という事実に気付いているのはシーグだけだったが、タリスのセンスがどこかずれている事実は彼も認めざるを得ない。だからシーグは、単なる状況報告以上の事は期待しないで彼に問うのだ。
「あれは、まだ届かんのか」
「まだです」
無下に突っ返されてしまったシーグだが、特に気を悪くした風でも無い。「だろうな」と呟いた後は、甘んじてタリスからの小言に耳を傾けるだけだった。
「中佐は一時間前にも、全く同じことを仰っていました。到着するならするで連絡は来るのですから、もう少し落ち着かれてはどうですか」
「そうもいかんだろう。兵器管理局の連中が出し渋っていたせいで、出撃に間に合わなかった事を忘れたのか? こちらが使うと言っているのだから、さっさとよこせばいいものを」
「あれだけ急な要請なら、あちら側が対応出来なくても仕方ないと考えます。中佐、常に要請は早めに出しておくべきです」
「分かってる、分かっているから、あれが早く届くようにタリス中尉も祈っている事だ」
「では、報告書の集計を終わらせたらすぐにでも」
旗艦〈グランパスA-1〉の艦橋から、彼らが待っているものはただ一つ。堅固な陸上戦艦すらも一撃で吹き飛ばし得る、陽電子投射型の攻城砲だった。しかし、陽電子投射型攻城砲は使い勝手が悪いだけに、起伏の激しい山岳地帯で使う羽目になるとは誰も考えていなかった。そう、エークス側の艦隊司令官、シーグ=ハルデン中佐ただ一人を除いては。
シーグはこの日も、どうしようもなく、戦局を覆し得る砲を待ち詫びていた。




