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竟憶のリトロス  作者: 鉄乃 鉄機
4章:過去
26/123

第24話「追憶、焼き払われたのは男の全て―1」

 山岳地帯に周囲を囲まれ、約六十万とも言われる人口を抱える地方都市レオーツ。エークスとゲルバニアンという二大超国家連合の狭間にありながら、これまで数十年来の平穏を享受してきた都市は、今、焼かれていた。不条理に、唐突に、そして無慈悲に焼かれていた。

 早朝、都市全体を揺るがさんとする程の爆発音が発生してからというもの、人々は助けを待つまでもなくレオーツから脱出していった。幸い、レオーツから外へと繋がる経路は豊富にあったから、即席のゴーストタウンが出来上がるまでにそう長い時間は必要とされなかった。代わりに残されているのは、日常生活を色濃く匂わせる民家であり、置き去りにされた荷物が散らばる路地であり、乗り捨てられた車両で詰まった大通りくらいのものでしかない。

 つい昨日まで――それどころかつい数時間前まで――、戦火など無縁だったはずのこの地には、もはやあって然るべき日常がどこにも残されていなかった。人々が細やかな広場を行き交う様も、立ち並ぶ商店が家族連れで賑わう様も、この数万と並ぶ建物のどこにもありはしない。人々が居たという事実の残滓を残すばかりで、致命的なまでに実感を伴わない都市の姿。しかし、未だに僅かばかりの人影が、崩れかけた街並みにのぞいていた。

 もぬけの殻と化した都市に残され、至る所で砲火が花開く都市内を未だに逃げ惑っている人々といえば、ようやく傷付いた建物や地下から這い出してきたような者たちだ。この期に及んで避難の意志を固めた者たちは、皆、ようやく尋常ならざる事態を理解したとでも言うかのように、顔を青ざめさせるばかりだった。彼らは、都市全体を襲った危機に対する認識が甘かったのかもしれないし、あるいは逃げ出せない事情があったのかもしれない。だが、そんな事情はどうでも良いとばかりに、爆発と火災の暴威が残された人々の命を吹き消していく。

 軍から派遣された歩兵部隊の一部は、既にそうした者たちを可能な限り保護しようとしていたのだが、それでも少なからず取りこぼしは発生してしまう。目に見える形となって都市中に散乱する『取りこぼし』は、路傍に転がったまま動かない人々であり、あるいは永遠に立ち上がる事の無くなった市民そのものだ。皆、軍属でもなければ、軍人でも無い。ことごとくが民間人だった。

 今朝、彼らが目を覚ました時には、きっと夜まで続くのだろうと信じていた今日という一日。何事も無く過ぎ去っていくはずだった平穏な日常は、極めて理不尽な形で、突如として崩れ去って行ったのだ。その不条理は誰にも否定できるものでは無い。

 そして何気ない路地にも、唐突に断ち切られた命がまた一つ。

 あまりに呆気ない幕切れを迎えた人生、その無念を訴えるかのように目を見開いたままの男が、ある商店の店先にもたれかかるようにして事切れていた。もうどこにも焦点を合わせない虚ろな瞳は、ただ商店の立ち並ぶ路地へ向けられているだけで、乾きつつある角膜の上に風景を反射するだけとなっている。緩み切った瞳孔の奥には深い闇が広がり、唯一動くものが現れつつある眼前の光景を待ち受けていた。やがて目の前に現れた物体の巨大さに、男の虚ろな視界は、モジュール化された複合装甲の影によって埋め尽くされていった。ところどころに生々しい死が撒き散らされている路地、物言わぬ人間たちが転がっている通りを、一台の戦車が通り掛かろうとしていたのだ。

 幾つもの回転輪が駆動部で擦れる音、そして稼働中のガスタービンエンジンが発する独特な高周波音――――戦車の力強さを証明するはずの音は、無人の通りにどこか虚しく響く。石畳調に舗装された小奇麗な路地は、散乱する瓦礫や黒ずんだ灰にうっすらと覆われており、見る影もなかった。進んだ後に履帯の後を残す戦車自身もまた、既に幾つかの火災を潜り抜けて来た事を示すように、低い車高を誇る車両全体が薄汚れていた。

 かねてより試験的に運用されていた市街地用迷彩――灰と白の細やかなドットから生成されるデジタル迷彩――が、やや黒ずんだ車体をコンクリートの多い背景に溶け込ませる。ちょうど、薄汚れた鼠色と表現するに相応しい色だ。まさに鼠の如く都市を這いずり廻る様には、次期主力候補たる最新鋭戦車としての威厳などあったものではない。

 しかし、戦車は戦車だ。市街地という環境に紛れ込みつつも、分厚い装甲を纏った快速戦車としての存在感は、なお衰えて見えるということが無い。生身の人間にしてみれば、砲塔から突き出す130mm高初速滑腔砲は相変わらずの威容に見えていたことだろう。走っても微動だにしない長砲身は、優秀な能動式サスペンション、安定化装置の存在をうかがわせる。

 既に生存者が見当らない事に気付いているのか、その車両からは誰も降りてこようとしない。まるで馬を走らせるが如き軽快さで速度を上げたかと思うと、まるで臆する様子も無く、大小のショーウィンドウに挟まれた道路を走り抜けていく。

 しかし、加減速の激しさとは裏腹に、車両から発せられる音は不自然な程に小さかった。時に履帯が擦れ合うような音を立てながらも、それでも戦車にしては驚くべき静穏性が発揮され、複雑な市街地はみるみる内に走破されていく。日常生活が営まれていた空間へ埋め込まれるにはあまりに異質な砲を正面に構えながら、加減速の度に微妙に車体を揺らしつつ、戦車は進む。

「こちらからは救助対象者を確認できず……ここも、駄目なようです!」

 不規則な走行振動に揺られる車両、白色系塗装に統一された狭い車内に、砲手から沈痛な報告の声が上がる。先程まで画面に目を凝らしていた砲手は、高感度赤外線センサーを用いて微かな生体反応を探り当てようとしていたのだ。しかし照準用画面には、とても生者では有り得ない体温にまで低下した人影が幾つも見えただけで、誰一人として助けるべき市民を発見することは叶わなかった。

 報告の後に続いた沈黙の間にも、前方の機関室に唸るガスタービンエンジンは、分厚い隔壁越しに乗員の鼓膜を震わし続ける。電子式潜望鏡(ペリスコープ)を通して周囲に目を凝らす戦車長は、静かに頷いてみせた。そして、ヘッドセットを用いた車内通信に自らの声を乗せる。

『このまま悟られぬよう前進を続けろ! 部隊長からの指示だ、我が車は工業区画の放棄施設にて砲撃を再開する』

 戦車内には計三人。土埃(カーキ)色のボディアーマーとヘッドセットという規定の戦闘装備に身を包んだ男たちが、それぞれの座席で揺られていた。巨大な薬室や火器管制コンピュータに押し潰されそうな砲塔内は狭く、たった二人の人間と弾薬とを詰めるだけで精一杯。故に、砲手と戦車長だけが砲塔内に収まり、車両を操る操縦手は前方に配置されるようになっている。

 砲塔内で照準器に張り付く砲手は、やりきれない光景に目を逸らしそうになっていた。しかし、それだけは出来ない相談だ。砲手が目を離しては、いったい誰が主砲の狙いを付けるというのか。その義務感こそが、視界に飛び込んで来る惨状から目を逸らさせまいとする。

「少佐!」

 砲手――バルト=イワンド少尉――は、擦り切れそうな神経を必死に抑え付けながら許可を求めた。焦燥感に焼かれる胸が、ひたすらに苦しい。彼は、ともすれば過呼吸に陥りそうな呼吸を整えつつ、視界の端で一瞬だけ上官の様子を窺う。だが、返答はごく短いものだった。

『まだだ』

 狭い砲塔内である為、バルトから見ればさほどの距離も無い。戦車長を務めるシーグ=ハルデン少佐は、バルトから見て左斜め後方に座っている。シーグは、車外カメラから得られた映像を画面に展開しながら、戦車長として部下二人に指示を下そうとしていた。そのやり取りを前方で聞いているのは、操縦手として乗車するロズエル=デルーム曹長だ。

『曹長、地点C78に変更!』

『了解』

 彼ら三人の所属部隊は、レオーツ駐屯部隊戦車教導団。軍内屈指の練度を誇る機甲部隊の一つであり、所属する戦車兵といえば皆、突出した技量を持つ叩き上げやエリートばかりだった。配備されている戦車も、制式採用前のテストを兼ねて最新の機種が回される慣例となっており、〈BT4090―Y5〉と呼ばれる最新鋭戦車が13輌も配備されていた。

 通称、〈Y5〉と呼称されるこの最新鋭戦車は快速を誇り、装甲材質や動力伝達機構の見直しによって大幅な重量低減を達成した優秀な戦車だ。モジュール化複合装甲、ガスタービン―電気式シリーズハイブリッド方式、前方機関後方駆動方式、130mm高初速滑腔砲、広域データリンク対応型火器管制システム〈FCS〉……あらゆる面において洗練された車両だったが、それ故に戦車兵の腕が如実に表れる素直さを内包している。しかし、総勢約五十名を数える部隊員の誰もが、Y5の性能を十二分に発揮できるだけの精鋭だった。Y5を持て余すような者など、誰一人としていなかった。

 シーグ、ロズエル、バルトの三人もまた、Y5に搭乗する事を許された精鋭の一角だ。バルトは上官と同僚の優秀さを疑ったことは無いし、その信頼こそが擦り切れそうな神経を辛うじて支えていると言っても良かった。戦車長を務めるシーグは、やや前面に立つ事を好む傾向があるとはいえ、教導隊において車長を任されるほど優秀な戦車兵。操縦手ロズエルは、バルトから見ても寡黙な仕事ぶりが信頼に値する戦友なのだ。バルトは、上官も、戦友も、戦車も、そして自身の腕をも信頼している。だから大丈夫なのだと、自分に言い聞かせる。

「あれは……!」

 照準器に目を凝らしていたバルトは、画面の中にふと、無残にも店正面のガラスが砕け散った時計屋を発見してどきりとした。どこかから飛んできた瓦礫に直撃されたか、あるいは榴弾の破片が飛び込んで来てしまったのか、時計屋は商店の中でも際立って酷い有様となっていたのだが、そこに注意が向いた訳ではない。ほとんど原型を留めていないにも関わらず、そこが時計屋だと分かったのは、彼が半年ほど前に妻アリエルと訪れた店だからだった。

 以前訪れた時には、年季の入った木造の梁が印象的で、決して嫌味では無い懐古趣味的雰囲気に溢れた店内だった、とバルトは思い返す。店内の光景が思い浮かぶと同時に、幾多もの秒針たちが刻んでいた音までもが、耳の傍で朧げに聞こえて来るようだった。しかし今や、へし折られた梁と思しき木材が店内から転がり出し、あんなにも規則的に時を刻み続けていた時計の数々は、全てが止まってしまっているようだった。僅かにも動くものの気配が感じられない店内は、突き崩された鉄筋造りの廃屋でしか無くなっていた。

 もはや何も動くものは無い。が、その瓦礫の中でキラリと光った物を見つけ、バルトは反射的にその一点に目を凝らした。よく見てみれば、それは幼子の掌にも収まりそうな大きさの小振りな懐中時計だった。バルトは、その懐中時計が今時珍しい機械式駆動であり、相応に手間の掛かる機種である事をよく知っている。当然だった。小振りな懐中時計は、まさにアリエルに贈った時計と同じ型のものだったからだ。だからこそ、ガラスの山に埋もれかけ、もはや針も動いていない懐中時計の姿は、何らかの暗示を伴う光景に見えて仕方が無かった。

 どうしても拭い切れないバルトの不安は、悉くアリエルの安否へと向けられたものだ。今日も研究棟へ出向くと言っていたアリエルは大丈夫なのか、今頃どこにいるのか、まさかまだ研究施設に留まっているのではないか――――それは、今まさに砲手としてY5戦車に乗り込んでいる彼には、到底確かめようの無い情報だった。

 まさか、とは思う。だがレオーツは、他に目立つ施設とて無い地方都市だ。エークスとゲルバニアン、そして学術団体と行政の連携によって管理され、都市全体に多大な経済的還元をもたらすモデルの構築を目指す、そんな大義名分が与えられた特別開発区なのだ。都市のほぼ中央には、学術団体の保有する大規模研究施設が建てられており、バルトもレオーツで暮らしている中でその堂々たる研究棟を目にした事がある。また、彼が直接目にする機会こそ無かったが、地下深くには大規模な円形加速器施設が建造されており、都市全体をぐるりと取り囲むような形で埋め込まれているらしいという事も知っていた。何より重大なのは、アリエルがまさにその研究施設に勤める研究員だという事実だった。都市全体を襲う混乱が発生した時も、そこに居たはずなのだ。

 そんな事実に目を向ける度に、バルトの精神は押し潰されるようだった。そんなはずは無い、とひたすらに胸中で繰り返す事しか出来ない。その無力感を現実にぶつけるかのように、バルトは|レオーツに惨状をもたらしている元凶・・・・・・・・・・・・・・・・・の存在を強く思い浮かべた。冗談でも何でもない。レオーツと駐屯部隊を壊滅に追いやっているのは、たった一つの存在に他ならなかった。一度目にしたなら自らの正気を疑いたくなり、実在を決して認めたくなくなるような異形の存在が、確かにここレオーツに顕現している。

『悪い夢か何かだと思いたいな。あんなものが出て来るなんていう冗談は笑えんぞ』

 自らの理解を超えた事態を呪うシーグの声が、ヘッドセットを通じて流れ込んで来る。破壊された店内から視線を引き剥がし、バルトは戦車の進行方向に対してやや左にそびえ立つ、ただただ真っ黒い巨神像へとその注目を移した。その姿は歪ではあるが、見た者に巨神を想起させて止まない一種の強制力を含んでいた。


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