第19話「現われた過去、あるいは一機の黒狼―2」
『B1と仮命名したる未確認トール出現。独自判断は困難ゆえ、速やかなる指示を求む』
極めて簡潔な電文に添付されていた画像、解析データを目にして、バルトは不意に目の前が揺らいだような気がした。まだ判断するべきでは無いと理解しながらも、既に揺らぎようの無い確信が脳髄を貫いている。このまま何もせずに帰投できるはずは無い、その思いが身体を反射的に動かしていた。直後、一号機を再び狙撃可能ポイントまで引き返させるのに、全く躊躇は無かった。
機体は、谷間を縫うようにして設定していた撤退経路から大きく外れ、ホバーユニットを作動させながら一気に斜面を駆け上がる。頂点に達し、そのまま斜面を落ちるようにして加速していく先は、進むべき撤退経路とは真逆の方向だった。もはや気休め程度の隠密性などには構わず、遠慮なしにメインスラスターから噴射炎が吐き出される。推進系に回すジェネレーター出力を許容値一杯にまで引き上げて、一号機は全速で元の地点へと向かって行く。
黒い未確認機体、B1の出現が確認された座標は、格納庫区画のちょうど中央。確かにバルト自身の手で狙いを付け、陽電子砲の莫大なエネルギー放出を以て焼き払ったはずの地点だった。そんな地点に残っていて良いトールなど有りはしない。故に、B1は|有って良いトールでは無い《・・・・・・・・・・・・》。
エークス軍やゲルバニアン軍のいかなるトールでも有り得ない、その性能。現行技術や常識など軽く飛び越えていき、そして蹂躙と破壊をもたらすその力。真っ黒いトール、本来有ってはならないトール、そして十二年間追い求め続けて来たトール。彼はそれらが同一の存在で括れる事を疑っていなかった。
忘れようも無い機体色――――黒。もはや無関係であるはずが無い。もしそれでも、黒い機体がエークス軍から流出した第三世代型トールであるというのなら、バルトにとってそれはもはや質の悪い冗談でしか無かった。代わりに、B1の正体を指す名を彼は知っている。十二年前に人生を狂わせ、そして今また実体を持って復活した組織の名を、彼は知っている。
決して忘れたことなど無い。生にしがみつく為に必要とした名を、忘れられるはずが無い。
「フェンリル……こんな場所に出て来るとはな。アレと無関係でないのならここで消す!」
狙撃ポイントまで到達した一号機は、脚部の射出式大型杭を地面に突き立てた。軽い爆発のような鈍い衝撃と共に、比較的柔らかい土壌を2m強に及ぶ鉄杭が抉り抜く。更に、脚部の固定用アンカーまでもが射出され、ピンと張り詰めたワイヤーは機体をその場に縫い付ける。退く事など全く考慮に入れず、一号機は背部から陽電子砲を展開させていった。
本加速器、予備加速器の再稼働が規定手順を無視したやり方で開始され、第一射目とは比べ物にならないほど強引なやり方で出力が上昇させられる。過負荷により真っ先にサブジェネレーターが悲鳴を上げるが、バルトは戦闘支援システムからの警告を取り下げさせた。観測データも位置座標も、既に陽電子砲の補正へと組み込んでいた。あとは出力が上がりさえすれば、陽電子砲の再射撃が可能となる。リーグ達へ「射線からの待避」という命令を伝えた後は、もはや誰も止めず、止まらないままに再射撃の準備が整えられていく。
部下達の機体が加害範囲から外れている今、そしてB1が動かずにのうのうと沈黙している今ほど、陽電子砲を叩き込む好機は無い。一度は陽電子砲に耐えたかも知れないが、二度目はどうなる。二度目でも駄目なら、三度目はどうなる。たとえ十回でも百回だろうと、何度でも陽電子砲を撃ち込んで試してやる。バルトは隠し切れない昏い喜びを噛み締めながら、引き金に指を掛ける感触を味わっていた。
「円形加速器稼働率、警告域に到達。入力経路開放を続行……収束率を更に引き上げて、今度こそ奴を撃ち抜く」
バルトにもはや退くつもりなど微塵も無く、一号機自体もまた退けない状況にある。しかし、それで良いと彼は考えていた。B1が、流出した第三世代型トールという事になっているのならば、それを抹殺するまで撃ち続けるだけの覚悟だった。
しかし、今度こそ無視し切れない反動が襲い掛かって来た。コックピット内に鋭い警告音が鳴り響き、全力稼働していたはずのサブジェネレーターの出力がみるみる内に下がって行く。バルトが咄嗟に自己診断システムを走らせると、冷却系の排出熱量が想定を軽く上回る値となってしまっていた。戦闘支援システムは、Level 2〈既定状態を維持困難〉からLevel 3〈一部機体機能の喪失〉への移行すら示しており、このまま放置すればいずれ動力系、制御系にまで負荷が及ぶことは明白だった。最悪、熱に弱い機体制御系の破損すら有り得る状況だ。
度重なる砲撃がもたらした負荷は、深刻な排熱不良として表面化していたのだった。既にスライド展開している背部装甲からは、やや赤みを帯びたラジエーターフィンが露出している。しかし、それだけで排熱が追い付くはずも無く、気化した冷却材は機体周囲を霞ませ、赤熱したフィンとメインカメラとがボウッと辺りを薄く照らし出していた。通常であれば考えられない程の稼働状況を示す冷却系だったが、機能効率の低下が引き起こされてしまっていた。
「排熱処理が間に合わないのか、くそッ!」
バルトは思わず、望遠映像に展開される基地方面へと苛烈な視線を向ける。戦闘支援システムといい、機体各部から発せられる悲鳴といい、彼には痛いほど非情な現実が理解出来ていた。どんなに無理を押しても、あと一回撃つのが限界だった。さもなければ、過負荷を強いられたメインジェネレーターまでもが破損するか、あるいは超伝導を維持できなくなった偏向収束ブロックが丸ごと吹き飛ぶか、最低でもどちらかの結末を受け容れるしかなくなる。
あと一度の砲撃をどう使うか。バルトは決断を迫られていた。
しばし目を閉じ、押し黙る。異常な循環音と甲高い稼働音とに包まれながら、彼はただ静かに考える。やがて大きく息を吐いたなら、強張る指は通信パネルへと伸びていった。リーグらへ伝える命令内容には新たな内容が追加され、一号機は無念の内に砲撃シークエンスを再開するのだった。
黒いトール、試験先行運用部隊側にB1と呼称される機体のコックピットに、あぁ、と短くも恍惚に満ちた声が漏れる。男は瞬きすら忘れたかのように固まり、どこに焦点を合わせるでもなく、ただ何も無い場所へと目を見開いていた。
男が意識を――あるいは強いて意識と呼ぶしか無い何か――を志向させていたのは、ただ鼓膜を震わせる音楽に対してだけだった。真っ赤に照り返されたコックピットの内部には、確かに、クラシックに分類されるに相応しい荘厳な合唱音楽が流されている。男はやがて、肺から空気を絞り出すような呻き声を上げ始めた。
「粉砕する。粉砕しなければならなかったのだ、私は。そう、この私が」
やや単調な音階に乗せて、幾重にも重ねられた笛のような音色。ただし、そこには笛と聞いて真っ先に連想するような軽快さ、透明感は無く、むしろ金属的な重みを含んだ音色こそが、その音楽を形作る主役だった。空間的な広がりを持たせるならば、それは壁であり、土台であり、そして、金属とは相容れないはずの人間を描く為の背景だ。何十人とも知れない人間から発せられた歌声は、ある一つの系へと収束して、合唱という一つの状態へと縮退している。それによって景色を持たない音の中に、確かな人間の姿が現れる。それこそ数十層、数百層にも亘って積層された背景には、これまた同等の奥行きを持った合唱が描画されていた。
男の脳裏には、パイプオルガンも、聖歌隊の姿も思い描かれてはいない。だが、あるいはだからこそ、合唱音楽という形を取った音の集合体が、何ら偏向される事無く脳髄を震わせているのだった。神を畏れ、讃え、祝福する為の言葉が、歌声が、聴覚野の処理を通して全身へとしみ込んでいく。認識と混然一体となった歌声は直接、魂そのものとなり替わって、男の意識の在り方すら塗り替える。それは聖歌によって、一種の復活が為されたに等しかった。男は、ようやく再起動させられた。
「ようやくお目覚めになったのですね、この機体は。アインドは、起きたのです。目覚めた!」
男は身体を引き攣らせるようにして、狭いコックピット内に興奮を発散させる。微塵も嬉しさなど感じてはいないのにも関わらず、喜んだ。喉を鳴らすような笑い声が発せられると、まるで焚火に水を掛けたような勢いで男は無表情と化した。その手は黙々と、機械的に機体状況のチェック作業を進めている。
装甲を貫徹された形跡は無し、機体フレームについても同様。制御系、動力系、駆動系、冷却系など、特に重要な構成要素には、些細な悪影響さえも表れていなかった。耐久性の問題では無い。陽電子砲の着弾点に居たにも関わらず、そもそも機体は被弾してすらいなかったのだ。ただ一つ、男は〈中枢装備〉と括られた項目に異常を見つけていたが、それはまったく一時的な不調が現れているに過ぎなかった。陽電子砲の直撃を逸らした事からすれば、つまらないと切り捨て得るほどに小さな不調だった。
起動作業によって息を吹き返した索敵システムは、ようやく敵機の存在を検知する。総数はたったの3、三機のトールが明らかな警戒態勢を取っている。男は三機が戦う場面を見ていなかったが、認識を回復させられる前に、基地を襲撃して壊滅せしめた部隊に違いないと予想を付けた。そこらに転がっているトールと基地の残骸を目にすれば、当然の判断だった。
望遠映像に三機を捕捉し、やはり男は空っぽな笑みを浮かべてみせる。
「すぐに撤退すれば見逃してやったのですか? そうだ、いつまでもここに居なければ、私が見つけてしまうことも無かったのに。彼らの責任です。粉砕するしかない」
メインモニター上には、〈4th Generation TOR〉の表示が浮かび上がっていた。ハッタリでも何でもない新規格――――第四世代型トールを意味するその表示は、男にとってはあまり意味を持たない文字列だった。狼の如き機体を指し示すべき記号は、もっと他にあるからだ。
男は、第四世代型トールを意味する文字列の下に並べられた、〈I n d〉という表示にこそ固執していた。それは、固有のものとして与えられたペットネームであり、機体を表す名そのものだ。〈I〉だけが他二つとは異なる大きさで示されており、フォントもまた華美な曲線を絡めたような複雑なものになっている。その読み方は、一人称としての〈I〉に準ずるものだった。
男は口元が勝手に引き攣り出すほどに昂っていた。否、何も感じてはいなかった。
こみ上げる興奮が、身体を無意識に震わせる。否、興奮など全く湧き上がって来なかった。
「さあ、十二年ぶりに来訪したる殲滅の機会! 参りましょうか、行くのですよ、アインド!」
本格的に稼働を始めた機体は、ごく小さな振動と共にジェネレーター出力を増大させていく。周囲の高熱などまるで意に介する事も無く、巨大なエネルギーを注がれた駆動モーターは静かな唸りを上げ始める。黒い狼は周囲に微かな兆候を発しながら、着実に力を溜め込んでいた。
その力が一つの臨界に達した瞬間、アインドは刃のように鋭い双眼を出現させるに至った。単眼に加えて更に二つ、薄緑の燐光を発する眼が左右に見開かれたのだ。それぞれのセンサーを彩る薄緑は氷のような透明感を帯び、まるでペリドットを嵌め込んだ宝石細工のような美しさを誇っていた。夕月夜でも衰えないその色彩たるや、まさに三つの翠玉が現れたようでもあったが、支離滅裂な言動を繰り返す男と対になっていては只の皮肉でしか無い。
細い輝線が端からセンサー表面を舐めて行き、三つ眼の輝きは更に強められる。狼が貪欲な視線を向ける先には、総数三を数える巨人たちの機影があった。




