第18話「現われた過去、あるいは一機の黒狼―1」
「この反応は何だ、格納庫区画に何かがあるのか」
リーグは二号機を停止させ、次いで部下二人にも機体を止めるよう指示を出した。
三機はまだ基地敷地内を出てすらいない。しかしこの時既に、ごく小さな、そして致命的な異変は、各機のサブモニター上で表面化していた。自機、友軍機を示す青い表示が三つだけ表示されていれば問題無かったにも関わらず、やや離れた地点にもう一つ、敵味方識別不能を示す光点が映り込んでいたのだ。データリンクによって共有されている三号機の索敵システムが、吹き飛ばされたはずの格納庫跡地に反応を検知している。その事実だけで、あるいはこの作戦における全てが無意味と化すのかもしれなかった。リーグにとってはその予感が、充分に撤退を中断する理由となり得ていた。
撤退を中断した三号機が、全身に満載された観測機器を再び稼働させ始める。冷却型広帯域光学センサーは、月明かりと炎光の中に潜む僅かな影を探し求め、対地レーダーも特定方向へと強力な電磁波を放出する。機体へと返って来る反射波には、膨大な残骸や電磁パルス〈EMP〉に起因するノイズが混じり込んでいたが、その反応の中にルーカスは確かな影を発見した。最も確からしい情報をよこす光学センサーもまた、レーダーに違わぬ見解を示していた。
間違いなく、何かがある。ルーカスは否定しようの無い事実を受け止め、それでもやはり疑わしいという調子を隠せそうにない。数秒経って、二号機と四号機に報告がもたらされた。
『コード3より各機へ。これはセンサーの誤認でも、ノイズで作り出された虚像でも無いらしい……信じらんないけど、間違いなくこの機影はトールだぜ。各機に映像を展開』
三号機の捉えた高精細映像が、各機のメインモニターへ割り込むように展開される。
基地敷地内で続く火災により発生した高熱環境、そして上昇気流が起こす気流の乱れ。熱で透明に揺らめく大気は複雑な屈折をもたらし、決して遠くは無いはずの基地内の風景すら歪ませる。不安定な望遠映像には、立ち上る煤と黒煙が幾筋にも映り込んでいたが、元あった格納庫区画を見通す事は出来ていた。陽電子砲の一撃により一掃されたその地点には、確かに黒い影が捉えられていた。それは紛れも無く、一機の黒いトールだった。陽炎の中に沈められた機体を目にして、リーグとナオトはしばし言葉を失う。
白熱する残骸に佇むトールの外見は、主に鋭い曲面によって形作られていた。全身のほとんどが黒く見えているのは、決して逆光や煤の付着といった要因によるものでは無く、あくまで機体構造材が持っている色によるもの。高熱に晒された影響で表面が酸化しているのかもしれなかったが、それにしてはあまりに発色が均一過ぎるとリーグは判断する。元から黒い装甲は、まるで入れ墨か何かのような赤いラインによって縁取られ、関節部や開口部にのぞく銀白色を引き立たせていた。ただし、特徴的なのは色だけでは無かった。
黒い機体には、上腕から前腕を覆う盾のように細長い装甲があり、胸部ブロックは両脇から張り出した装甲板によって保護されている。いずれも曲線的で有機的なラインを描く美しい装甲ではあったが、胸部に収められた幾重もの巨大なラジエーターフィンや、脇腹にのぞく角形のブロックなど、直線的な意匠によって構成された部位も数多く存在していた。角張った素体を、有機的な曲面で包み込んでいるといった雰囲気だ。それは、分厚い筋肉を装甲に置き換えたようなイメージとは異なり、しなやかな鉄の服を纏っているようなイメージだった。否、服を連想するにはあまりに躍動感のある装甲を例えるならば、より生々しい、獣皮を引き合いに出した方が相応しい表現となる。
その上、ところどころ人型を外れる要素を含みながらも、むしろ機体そのもののシルエットは、試験先行運用部隊の扱う第三世代型トールなどよりもよほど人型に近い。どこか根本的な次元でアンバランスさを内包しているデザインなどは、人を脱しようとして脱し切れず、獣になろうとしてなり切れない人の姿。獣の皮を被る人の姿そのものでもあった。トールとしての設計思想の異質さは、視覚的な形で極めて明瞭に表現されている。
極めつけに、黒いトールの頭部は狼を象ったような造形がなされていた。頭頂付近を鋭く尖った耳のようなパーツが飾り、それをやや前後に細長い頭部形状が違和感なく取り込む。装甲に刻まれた赤黒いラインは、さながら獲物を食らった証に滴らせる血の流れだった。ただし、顔の正面には巨大な単眼があるだけで、狼ならあって然るべき位置に目が見当らない。それこそが、生理的嫌悪を伴う違和感を引き起こしている。全体的には狼を想起出来る形状なだけに、却って、たったそれだけの要素が決定的な不気味さを印象付けていた。狼の頭部を模して設計されたのかも知れなかったが、むしろ剥製じみた得体の知れなさが際立っている。あくまで感情的な見方において、リーグはそう感じざるを得ない。
『あれは狼、なのか?』と、ナオト。リーグにしても、機体の外見についての感想をまとめればそうなるはずだった。ただし、そこに悪趣味なジョークやパロディの域に留まらない、ハッタリなどでは済まされないような確かな脅威を感じ取っている。黒い機体に関して、ルーカスからの通信は続いていた。
『あとついでに言うと、あれは新型みたいだ。周囲の影響を完全には取り除けないけど、敵味方ともに既存の機体形状、熱紋、稼働音の全てに一致するものを確認できず。いきなり出て来て何者なんだよ、あいつは』
『あそこって陽電子砲が着弾した場所だったよな、ルーカス?』
『そうだったと思うぜ。ああ、間違いなく』
黒いトールの周囲では、相変わらず発火した資材の延焼が収まっていない。時に弾薬類に引火して小規模な爆発が起こる事もあったが、大規模な爆発は起こさずに延々と燃え盛っている。熱せられ続けた大気の温度は、到底、人を収めた機械が居続けて良いようなものでは無くなっていた。一時的に炎の中に留まるだけならともかく、トールといえども排熱障害を引き起こして機能不全となって然るべき環境だ。それにも関わらず、黒いトールは平然と業火に焼かれ続けたまま動こうとしていなかった。
しかし、無論、陽電子砲の直撃した地点にわざわざトールが移動する筈も無い。最も不可解且つ素直な結論を出すならば、あの黒い機体が初めから格納庫に待機していた、という事にならざるを得なかった。しかも、陽電子流が直撃したと思しき地点に立っているというのは、もはやリーグが単独で判断して良い次元の事象では無くなっている。すぐさま隊長に報告しなければならない。すぐさま判断した彼は、一号機の移動予想地点を素早く確認した。
「コード2からコード3へ。あの黒い機体を〈B1〉と仮命名。今すぐ一号機への暗号電文を送るんだ。あれにこちらの動きがどれだけモニターされているか分からないし、動かない内は出来るだけ刺激したくない。内容と通信量は必要最低限で構わないから、隊長に報告しろ」
『コード3、了解。今からで間に合うかなぁ』
「奴が何をするかが分からない、俺とナオト少尉は交戦準備を。ただし、相手がどんな性能でもリミッターの解除は無しだ。自分の脚で帰れるようにしておけよ」
『コード4、了解!』
一応、この態勢でB1の反応を待つことが出来る。リーグは上官との連絡が付く事を祈りつつも、そうならない場合には迎え撃つ事も辞さない構えだった。
だが、あまりに多過ぎる不確定要素が、彼の思考を混乱へと追い込もうとする。B1に戦う意思はあるのか、何故動こうとしないのか、今は稼働状態にあるのか、パイロットは搭乗しているのか、否か。正体不明、性能不明、そもそも何のためにこの場所に居るのかさえ分からない敵機は、警戒してもし過ぎる事は無いとさえ言える程に危険な存在だ。
B1との交戦はリスクが大きい上に、既に基地の無力化という作戦目標を達成した今、撤退行動を再開しても文句は言われないはずだった。しかし、これは退けない状況なのだと叫ぶ直感を、リーグはどうしても殺し切れていなかった。何故そう思うのか。その理由を自問しても、直感に至る思考が見えてこない。だが、彼は作戦前の心境を思い出していくに従って、ふと直感の理由に気付いていった。
「まさかな。しかし、隊長は知っていたんじゃないだろうか」
今回の作戦は、始まる前から不自然な部分が多々あった。そもそも、今まで見向きもされて来なかった前線補給基地の無力化を期して、試験先行運用部隊が抜擢された事さえ、普通とは言えないはずなのだ。だから自分は違和感を捨てられなかったのだと、リーグは思い至る。
ただの前線補給基地を無力化する為だけに、試験先行運用部隊が投入されるはずはない。作戦を聞かされてから真っ先に思った事を、彼はもっと現実味を帯びた形で理解し始めているところだった。デルタ3がただの基地で無いと言うのなら、第三世代型トール四機を擁する部隊を向かわせるだけの何かがある。それこそが、B1という仮名称を与えられた黒いトールだとしたら、意味するところは一つだった。誰に言われるでも無く、当の敵と戦い始めるまでも無く、リーグは自身の中で激しく警告灯が明滅するのを感じ取っていた。つまり、B1は極めて危険だが、試験先行運用部隊に逃げる事は許されていないのだ。
そしてもう一つ、B1を見た瞬間から生まれていた疑惑が、彼の胸を不吉に高鳴らせる。明確な根拠は無かったが、同時に、まだ否定し切れる材料を一つも見つけられていない。彼は、それがただの勘違いである事を祈りながら、心中に不吉な予感を吐き出した。
俺は、あの黒いトールが何であるのかを知っているのかもしれない。もし万が一にも予想が合ってしまっていたら、バルト大尉は――――。




