第17話「月夜を焼く光矢―2」
「狙撃予定時刻まで120秒。コード1、作戦行動を実施する」
バルトが宣言すると共に、一号機のメインカメラに走査用レーザーが走る。カメラを覆う光透過性装甲の内部に散乱する光は、さながら巨神像の目に灯された炎の輝きだ。一号機にとっての瞬きが済まされたならば、機体は目覚めの儀式を終えていた。
「サブジェネレーターを戦闘出力で点火、高周波加速空洞、偏向収束システム共に異常無し。パラメータ規定値突破後、偽装を解除」
メインカメラの細やかな発光現象に遅れて、くぐもった調子の高周波音が空気を震わせ始める。どこか遠くから聞こえて来る咆哮のような、それでいて恐ろしく機械的な調和を感じさせる起動音は、徐々に高音域へと移行していった。赤外線隠匿用マントの内側には留め切れない音が、夜の静寂を破る。
ジェネレーター出力が充分に上がりきった所で、両肩部から同時に増加装甲が弾け飛んだ。爆砕ボルトを用いて固定されていた暗灰色の布は、重力に引かれて一号機を取り囲むように落下。布全体が折り重なるように地面へと触れた途端、事前に仕込まれていた機密保持用分解剤が機能し出し、機体を覆うほどもあった布は見る間に原形を失っていく。
バルトの出した装備破棄指示により、赤外線隠匿用マントは迅速且つ完全に失われていた。サブジェネレーターを戦闘出力で稼働させる以上、排熱を阻害しかねない赤外線隠匿用マントはもはや不要だったのだ。しかしそれは同時に、一号機の隠密性がほぼ完全に失われた事を意味する。可視光域はともかく、二つのジェネレーター稼働によって長波長領域で明るくなっている一号機は、暗幕を取り去った白熱電球のようなものだった。撃たなければ撃たれる、この期に及んで後戻りは許されない。
「円形粒子加速器、入力経路全開放で起動。陽電子チェンバー・トラップを解除後、予備加速を開始。稼働状況グリーン、安定」
一号機が背部に装備する大型円形加速器、そして長大な砲身に連なる予備加速器の両方が、莫大な電力を注ぎ込まれて稼働を始める。次いで、これまで磁束の檻にトラップされていた陽電子が解放され、高い真空度を保たれた加速リングへと注入。すぐさま光速の90%近くにも迫る速度へと予備加速され、円形コースを疾走し始める。陽電子は一秒間に数千万回というオーダーで周回を重ね、発射の時を待つ。
加速器起動プロセスの最中に、一号機は転送されてくる大容量データを感知していた。バルトはそれが、三号機から転送されて来た精密観測情報である事を確認した。
「暗号化通信による転送を確認。ルーカス少尉からのデータだと、やはりここか」
バルトが視線を向けた先には、既に確認済みだった格納庫区画がある。そこは基地防衛部隊が出撃したと思しきポイントではあったが、他に20m級が予想されるトールを格納出来そうな場所は無い。本来なら、既に兵器が出払った格納庫を戦闘中に焼き払うメリットは無い――――しかし、ここしか有り得ないのだ。抹殺を命じられた第三世代型トールがあるとすれば、格納庫以外には有り得ないという確信がバルトにはあった。
「火器管制システム〈FCS〉連動モード、データリンク良好。照準固定」
一号機の背部から砲身がせり出し、機体前方へ向けられたまま固定される。
投影型精密照準スコープに視界を同期させ、バルトは射撃体勢の微調整を開始した。FCSとの連動で射撃体勢が決定された後は、マニュアル操作によって各アクチュエーターを作動。膝立ちを維持したまま、砲身を含む僅かな角度調整が行われていく。
機体のフィードバックシステムがあるとはいえ、長距離狙撃においては射撃体勢の些細なズレさえも許されない。故にバルト自らの手で、自動制御だけでは修正し切れない僅かな調整を行う必要があるのだ。無論、闇雲に人が手を出せば良いというものでは無く、陽電子砲の扱いに長けた者でなければ、機械制御に介入する意味は無い。
しかし、バルトにはその技能があった。実弾による砲撃と、陽電子砲を用いた砲撃、その二つは全く性質が違うものではあったが、彼はどちらの砲撃技術にも精通している珍しい人材だった。故に、常人の技量では手に負えない狙撃任務を、今作戦のような形で行う事もある。が、彼の技量を以てしても、最大射程ぎりぎりからの狙撃が困難である事に変わりはない。人知れず、バルトの頬を一筋の汗が伝う。照準には、既に格納庫が捕捉されている。
「作戦目標を破壊する。収束率最大、発射」
操縦桿から離れていた人差し指が、ごく静かにトリガーボタンを押し込んだ。
長大な砲身を貫く空洞、ぽっかりと口を空けていた砲口の奥から、月光のように儚げな光が溢れ出る。しかし、砲口を満たしていた闇が消え失せると、途端に光は破裂した。まるで太陽の如き暴力的閃光が一気に噴き出し、瞬きする間もなく、無秩序な拡散が一号機すら飲みこんでいた。しかし、それはほんの一瞬で秩序だった形へと整えられ、絹糸の如く細い、ただ一本の矢へと絞り込まれた。それでも収束し切らなかった奔流の残滓は、一号機を包むように背後へと抜けていく。それはうっすらと輝く雲が流れていく光景であり、一種の幻想風景そのものだった。対消滅反応に起因する強烈なγ線放出があらゆる生を拒み、束の間、光の衣を纏った巨神像はまさに不可侵と化す。闇夜を貫く矢、大気中の原子に励起を促した陽電子の矢共々、途切れる事の無い淡いヴェールによって覆われているようでもあった。
発射してから僅か数万分の一秒後、陽電子の奔流はあやまたず目標を撃ち抜いていた。着弾した荷電粒子線は格納庫中央を貫き、対消滅に伴う膨大な熱量、溜め込んでいた膨大なエネルギーを爆発的に放出する。内部に数百万度の火球を抱え込んだ格納庫は、一秒とかからずに巨大風船と化して膨れ上がり――――そして、完全に吹き飛ばされて消滅した。しかし、それだけでは飽き足らない陽電子砲の暴威は、格納庫周辺をも業火で焼き尽くしていた。高熱で熔けるどころか、完全に蒸発した鉄、アルミ、その他諸々の合金。衝撃波で一掃された区画には、普段であれば決して漂わない金属蒸気が辺りに立ち込め、凝結して微細粒子となってはパチパチと燃え上がる。決して狭くない基地の一角が、赤黒いと表現できるような火に覆われていた。
人間は勿論のこと、この膨大なエネルギー放出に耐え得る兵器など存在しない。バルトはどこか冷え冷えとする思いで着弾地点を見つめ、恐るべき威力を改めて理解していた。減衰が激しい最大射程からの砲撃ですら、この威力なのだ。反面、機体に掛かる負荷もまた大きかった。
陽電子砲の発射により発生した熱量は、射撃システムの許容量を超えていた。警告が発せられる間も無く作動した強制冷却装置が、砲身、加速器全体の排熱作業を進め始める。背部強制冷却システムが引き出され、びっしりと並んだダクトを介して冷却ガスを噴出。背部装甲も一部が滑るように展開し、ラジエーターフィンから機体周囲の空間へと夥しい熱量を垂れ流していく。砲身へと巻き付けられていたサーマルジャケット状の追加装備もまた、正しく冷却器として作動していた。時間にして約三秒後、機体全体に溜め込まれていた熱量はようやく安全域へと収まる。
しかし、一号機は射撃体勢を解こうとはしていなかった。バルトは再び照準固定作業を始め、高強度γ線にも耐え得るセンサーユニットから最低限の情報を引き出していく。第一射目の弾着を基に更なる微修正が加えられ、一号機の加速器は稼働を再開する。次に投影型精密照準スコープを介して捕捉されたのは、基地施設では無くトール部隊だった。試験先行運用部隊の三機の側面へと回り込み、たった今も三号機へと向かっている一個小隊、その四機へ向けて照準が固定されていた。バルトの指は、トリガーボタンへと掛けられた。
再び、陽電子砲の砲身から夥しいまでの光が噴出。二射目となった光の矢は、撃ったバルトでさえ知覚する間もなく着弾する。陽電子砲を十秒以下の間隔で連射する際には、機体保護の為に出力が大幅に引き下げられる為、二射目は30%程度の出力放射が行われたに過ぎなかった。
しかし、トリガーボタンを押し込んでから彼が見たものと言えば、基地敷地内に空けられた二つ目のクレーターと、不気味な程に澄んでいる金属蒸気の塊だった。着弾地点周囲にトールの機影は全く見られず、密集隊形の一個小隊は全て蒸気と化して消滅している。否、陽電子流の直撃を受けた機体は、蒸気すら残っていない。今頃は光となって、既に夜空や大気中へと拡散しているに違いなかった。ただ消えたのだと、バルトは意識するとも無く事実を反芻する。
彼は望遠映像から目を離すと、我に返ったように通信装置へと手を伸ばした。二号機と四号機が交戦していた一隊を除けば、既に敵防衛部隊は殲滅。陽電子砲を格納庫に撃ち込んだ事で、本命たる目標の破壊も済んでいる。もはや意味を失った通信封鎖状態を解き、バルトは生き残っているであろう部下達へと呼びかけを始めた。
「こちらコード1。誰か聞こえているなら応答しろ、繰り返す、誰か聞こえているなら応答しろ」
通信状況を示す指標は、かなり酷い値を示していた。陽電子砲の発射により電離された原子はもとより、叩き出された電子とγ線とがコンプトン効果を引き起こしてしまった事で、射線の周囲に限定的な電磁パルス〈EMP〉が発生していたのだ。これは、一号機と基地方面とを繋ぐ地域一帯において、大規模な電波妨害が仕掛けられているにも等しい状況だった。当然、通信状況が良いはずは無い。
仮に通信が繋がらない場合であっても、合流ポイントにまで辿り着けば安否は判明する。合流時刻も遠からず設定されているのだから、少し待って移動すれば済む話ではある。しかし、それでもバルトは呼びかけを止めようとはしなかった。
「誰か聞こえているのなら応答しろ、繰り返す、応答しろ――――」
『誰か聞こえているのなら応答しろ、繰り返す、応答しろ――――』
劣悪な通信状況にも関わらず、二号機のコックピットにはバルトの声を乗せた通信が届いていた。推定補正処理によってノイズを修復している為、音質はさほど悪く無く、内容を聞き取れないという事も無い。それは偏にルーカスの功績に他ならなかった。強烈な電波障害の中から通信を探り当てたのも、現在こうして二号機に通信を中継しているのも、全てはルーカスと三号機が行っている事だったからだ。リーグは、思わず部下の働きぶりに感心する。
「こちらコード2、別働隊は全機帰還可能です。パイロットも無事ですよ、合流できます」
二号機はガトリング砲を構えたまま、燃え盛る基地を背景にして立っていた。そして、二号機の傍らには、サブマシンガンとコンバットナイフを携える四号機の姿もあった。どこか黒っぽい炎光は、二機の側面にはっきりとしない影を作り出している。それぞれ装甲表面には固さを持った油分がこびり付いていたが、それを取り除くのは整備班の仕事だ。
すっかり煤けた二機の足元には、配線部から未だに火花を散らす残骸が転がっている。腹部に大きな亀裂が生じている機体、原形を留めない程に吹き飛んだ機体、脚部を失って転がっている機体など、合計四機、一個小隊分のトールT型は物言わぬ残骸と化していた。いずれも対物ライフル砲を装備していた小隊だったが、それ故に懐へ入り込んでしまえば対処が難しい相手でも無かったと、リーグは戦闘を振り返る。運動性、機動性に優れる第三世代型トールの前では、どの機体も充分な働きを示す事が出来なかったのだ。
『そうか、それは何よりだ。リーグ中尉、ご苦労だった』
「まだ終わっていませんけどね。しかし、分かりました。これから合流地点に向かいます」
リーグは一旦、一号機との通信を切った。正確には、三号機から中継されている通信を遮断した。作戦行動中であるから、最低限の文言で通信は終了する。
「コード2から各機へ。作戦目標は達成した。合流予定ポイントへ撤退するぞ」
『コード3、了解。もう見える位置にまで来てるんで』
『コード4、了解』
ナオトとルーカスに撤退の指示を伝えつつも、リーグは内心の苦笑を抑えられない。同時に、バルトが真っ先に隊員の無事を確認した行為に対して、安堵してもいた。
目的達成の為なら、時に命を捧げる事が要求される。合理性に支配される軍隊とはそういった組織であり、軍人にならばまず、その事実を飲み込まねばならない。無論、リーグも軍人の一人として、軍隊という組織の合理性に巻き込まれる覚悟は出来ていた。自分達の敵、すなわちゲルバニアン軍と戦う場に出て行くならば、いずれそうなるのかもしれないと。しかし、だからこそ、無事を期待されているのだと実感する度、救われるような思いを抱くのだ。
バルト=イワンドという男は、もしかすると軍人として不適格なのかもしれない。リーグがそう考えるようになったのは、決して最近のことでは無い。しかし、そう考えるようになって初めて、リーグは真に自分が付いて行くべき存在を見出せたのだ。彼には今、その時の心情を改めて確認できた満足感がある。
「ここは最寄りの敵根拠地からも遠いから、増援がすぐに来ることは無いが。データリンクを再構築後、見つからない内に離脱だ」
二号機からの呼びかけに応じて、やや離れた場所にいた三号機も合流する。陽動役を務めた三機のトールは、もはや何の脅威も残っていない経路を撤退していく事になっていた。全ての脅威を排除し終えたなら当然、そうなるものだと誰もが信じ切っていたのだ。この時までは。
世界とは、可能性の選択によって構築される舞台だ。過去に数多存在した可能性を切り捨てて表面化した、個々人が認識し得る、ただ一つの可能性。それは、人の認識によって選択されるものでありながら、常に人知の及ばない領域において決定される。故に世界は、最悪の可能性を選択する事さえ厭わない。その過程に、意味付けを行う余地は無い。
だからこそ何故、焼き尽くされたはずの格納庫跡地に|一機のトールが立ち上がれたのか《・・・・・・・・・・・・・・・》は、誰にも分からない事だった。分かったつもりになっているのだとしたら、それは現実に対し、仮初めの意味を与えて理解した気になっているに過ぎない。そこにトールが立っているという現実だけが、人の認識する世界へと割り込んでいた。真の理由など必要としてはいなかった。
地獄を思わせる赤黒い業火に包まれ、黒いトールがガラス化した地を踏みしめる。
薄暗いコックピットの中で、男は目覚めていた。モニターの他に光源が無い密室にあっては、嫌でも赤っぽい光が顔を照り付けて来る。まるで生きながらに火炙りにされているようだ。男は、そう考える自分を捉えたような気がしたが、その実、そんな事は微塵も考えていなかった。考えたような気がした、という信号が脳髄を機械的に励起させただけの事だ。
男は、一つ一つコンソールパネルの項目をチェックしているようだった。意味も無く笑い、悪態をつき、まるで定まらない感情を表現しながらも、その目は鋭く機体外の光景を睨む。自身が認識を回復させるまでの間、何が起こったのかは既に理解していた。
「は、よりにもよって陽電子砲を撃たれたのに無事なんだな? あれを食らっても動けるとはな、まったくどうなっていやがる」
男の口角はうっすらと上方に吊り上げられ、幾分細められた両目と共に一定の表情を成した。しかし、感情に取り憑かれているようでありながら、そこに感情は無く、果たして表情と呼べるかどうかさえ怪しいものだった。それを強いて感情の発露として捉えるならば、男は笑っていた。恐ろしく空虚な笑みを浮かべながら、男の視線は燃え盛る基地を見つめていた。
「そうだよ、そうでなくてはな。そうでなくっちゃ、私がこれを手に入れた意味は無いんだよ」
選択された、最悪の可能性。あるいは、とバルトがかねてより恐れていた可能性。
それは、陽電子砲の直撃を受けても疵一つ付かないトールという実体を伴い、彼らの前に姿を現そうとしていた。




